今年に入ってから、

ずーーーっと忙しくしていて

物凄く充実していたし楽しかった。

(そもそも楽しくないことはしない

 

4月5月は体調の変化もあり、

色んなことを見直していかなきゃなって思っていて

6月はその狭間で切り替わりを感じていた。

 

そして7月。

本当はもっと色んなことをやろうとしていたけど、

動くな、止まれと声が聞こえる。

 

動いているほうがラクだよね。

歩みを止めることの方が

よっぽどドキドキする。

 

私たちはいつも理由を探している。

動くときも止まるときも

~だからと言える理由が欲しい。

 

だけど、もう理由がなくていいんだよ。

私がそう決めたから、でいい。

 

自分の世界にいた人たちが

ひとり、またひとりと消えていって

何のせいにもできなくなった時

そこには私しかいないのだから

全部を自由に好きなように決めていいんだと

やっと気づくんだと思う。

 

うるさく色々言ってくるあの人も

ずっと監視しているようにみえるあの人も

寂しがりやのあなたが元々配置しただけ。

 

ねぇ、わたしのことをお願いだから見ていてねって。

 

動こうと思えばできるだろう。

何者かになろうと思えばそれもできるだろう。

常に揺らいでいる私たちは

それぞれの波をもつ。

 

上がったり、下がったり

ずーーっと一直線ということはない。

揺らぐのが自然のリズム。

 

だけど下がったり、停滞しているようにみえる時期を

人はあまりいいものだと思わない。

いい、わるいですべて決める時期はもう終わってる。

 

ぜーーんぶでひとつ。

ぜーーーんぶが愛。

 

どちらにも役割がある。

だからどちらでもいい。

 

上がった時にはそのように動けばいいし

下がった時にはまたそのようにいるだけ。

 

どちらの波も乗りこなすことが出来たなら

絶対的な安心感の中で揺らぐことができるだろう。

 

波の谷間にいるときは

何も欲しくないし何もいらない。

頭も空っぽにしていたいし

どす黒い未消化の感情が湧き上がったりもする。

 

そんな時は日々の暮らしを丁寧に、

自分の為だけにただ生きてさえいればいい。

無理に何かやらない、やらなくていい環境を自分に与える。

普段見過ごしてしまうような小さなことを

ゆっくりと手に取ってあたためる時間を。

 

何者にもなるな。

誰にも見られなくてもいい。

ひっそりこっそりと

自分の呼吸を感じるだけ。

そして肌に触れること。

自分の肌を愛おしく触れて

声をかけ慈しむ。

 

誰のことも好きにならなくていい。

いい、わるいで片づけない。

自分の声しか聞こえないくらいでいい。

 

細かいことを掘り下げるより

今のぜんぶをまるっとよしとすること。

大丈夫だから、心配しないで

全部が完璧なタイミングで

今まさに進んでいる。

 

眠れないなら寝なくていい

約束だって守らなきゃいい

食べたいときに食べられるものを

苦しさの中に自分を置かずに

でも決して自分を明け渡すことはなく

できない、わからないふりをする必要はない。

どんな瞬間もそれでいい。

自分に◎をつける。

それはあなたにしかできないこと。