内面重視での演技・・・身体はどこに? 2-1 | JIDAIの「食べて」「動いて」「考えて」

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〜マイムから心と身体の平和を〜心態表現としての身体表現「オーガニックマイム」を主宰しています。

さて、前回のつづきです。
(読まれていない方は『内面重視での演技・・・身体はどこに? 1』を、
まず先にご覧下さい。)


内面重視の演技を追求するあまり、
身体が置き去りになってしまったというお話ですけれど、
では、身体重視なら上手くいくのか?


きっと、演劇にたずわる方々の多くが恐れているのは、
身体重視によって型にはまったような、形だけの演技になることだと思うんです。
身体重視によって内面が置き去りになってしまうことは、ままありますからね。
(パントマイムが軽視されるのも、まさにこのあたりにあるのでしょう。)



私は日本舞踊を16,7年やっているのですけど、
日本舞踊は踊りであると同時に演技、お芝居なんですね。
自由な演技というのではなく、形が決められた演技です。


例えば、「寒いなぁ」という演技を自分なりに工夫して表すのではなく、
振り付けとして両手を合わせて身をかがめるような姿勢で表さなければいけない。
それも大袈裟にするのでも、ぶるぶる震えるのでもなく。


これは、ある意味、最低限のジェスチャーで、
まあ、誰がやってもそれなりに、寒さを表そうとしていることは伝わるかな?
というものですね。


で、問題なのが、それなりに伝わってしまい、
演じている(踊っている)本人もそれで良しとしてしまったり、
その形をきれいにしようという変な方向に意識が行ってしまうんです。
(当然、寒さではなく、きれいな姿勢だけが伝わるようになってしまいます。)



このように、
身体重視の強みであり同時に弱みでもあるのが、
正解があるように思えるところ
だと思うんです。


身体は目に見えますから、形を整えていけばいい。
形が整えば、表現出来ていると。


で、この安易さを良しとしない人たちが、内面重視になる。


そして、内面重視になりますと、
正解が目に見えるものに頼れなくなりますから、
どこまで内面に入り込めばいいのか分らなくなり、
独りよがりになってしまったり、
それだけに自分に酔うことも出来るし、
ものすごく深い演技を追求している気にもなれてしまう。



でも、どうでしょう?


大事なのは
観客に伝わること。


観客が演者の内面に同化出来るように導くこと。


ですから、内面重視とか身体重視ではなく、どちらも重視。
当然と言えば当然なんですけど、実現は容易ではない。


では実現のために必要なことは?と言いますと、
まず、そのことを意識すること。
内面偏重でも身体偏重でもない。


そのために私が大事だなと思いますのは、身体が自由に動けること。
それは、内面の変化が素直に現れる、感度の高い身体を作ることともいえます。
動き過ぎる身体を抑える必要もあります。
(これは大抵、無意識で動いてしまっていますから、
その意味で感度が低いわけです。)



身体というのは、本来内面と深く結びついています。
けれど、思いを強く持ったからといって、身体は動いてくれない。
特に演技というのは、基本的に決められたことを人前で何度も繰り返すわけで、
そもそも不自然なんです。
それを自然に見せるために、技術が必要なんですね。


演技とは、演じる「技」です。



動物や子どもにはかなわないといいますけど、
それは、動物や子どもには不自然なことが出来ないからです。
自然な反応しか出来ないからです。


私たちは、それを「技」でカバーするほか無いんです。
そして、技をさとられないようにしなければならない。


そのためには、やはり
舞台上では毎回、新鮮な反応でなければいけないんですね。


ここが難しいとこですよね。
不自然が前提で技を使うのに、新鮮だなんて・・・矛盾してますものね。


けれど、これを矛盾させないようにするのが、
身体的に内面を作ることだと私は思っているんですね。



前回、キャラクターのお話をしましたけれど、
身体で内面を作れていれば、
内面に意識を向けなくても身体に意識を向けておくことで、
内面すなわちキャラクターは維持が出来る、ブレが生じることが無くなるんです。



実はこれ、私たちの日常でもあるんですね。



(すみませんが、つづきは次に。)




Body,Mind&Spirit 本当の自分の身体は天才だ!





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