2011年1月2日。
私は一生忘れられないであろう別れを経験した。
愛犬のミルクが亡くなった。
ミルクは私が小学5年生か6年生の頃に当時の友人の家で生まれた4兄妹のうちのひとりだった。
私は低学年の頃から捨て犬や捨て猫を見つける度に親に怒られつつも、
当時アパート暮らしだったので親に協力してもらって里親を探すような事が日常茶飯事だったし、(何故か保健所は殺されるからと既に認識していた気がする)、高学年の頃には一戸建てに引越していたのと、
その当時は動物実験の悍ましさを学んでいたので、その当時の友人の、
さらっと「飼主が見つからなかったら保健所かな」という言葉に戦慄して、どうしても引き取りたいという旨を伝え、
親にも多分それまでにも何度も言ったであろう〝一生のお願い〟として頼み込んだ。
親も相当困ったであろう、
両親はたしか既に共働きだったし、
まだ保育所か小1の幼い弟がいたし、
私が幼い子犬の世話を全う出来るかも怪しかっただろうし。
でも〝1日2回の散歩に行くこと〟
という条件を提示されて、
ミルクは我が家に迎え入れられる事になった。
他の兄妹も無事引き取られ、
その後はわからぬが保健所は免れた。
ミルクはとにかく小さくて白くて
ふわふわのぬいぐるみみたいな子だった。
犬種はミックスなんだけど、
散歩に連れて歩く度に「アイヌ犬?」と声をかけられ、その度には何故だか誇らしく感じた。
初めて我が家に迎え入れられた家族は、
私だけじゃなく、各々の特別な存在になった。
あととても食いしん坊な子だったので、
とにかくよく食べる。
なにか食べていると、
「ちょうだい、分けてよ」
と愛くるしい顔でねだり、
何とも幸せそうに食べる。
この可愛らしさに勝てる家族は誰もいなかった。
各々に自分だけだしいいか、と思って一緒にシェアして食べるのが当たり前になっていた為、気がつけばあの愛くるしいぬいぐるみはボンレスハムになっていた。
寝ている姿はアザラシのようで、
散歩に行けば、気ままにゆっくり歩くので牛車の様。
5月17日生まれの丑年の牡牛座だったので、おそらく丑三つ時にうまれたんだろうね、と何度も言っては笑った。
それでも本当に散歩は好きだったらしく、家を出てすぐに帰りたいというのは雨の日だけで、雨さえ降っていなければ、夏の暑い日はひとり木陰で小休止を勝手にとり、リードをもった者はもれなく太陽光に晒され、秋は松ぼっくりや栗のイガで心置きなく遊び、冬は雪に顔を埋めて喜んではしゃいでいたし、短い春は桜咲く道を共に歩くのが私も楽しかった。
とにかく散歩コースにバリエーションをもっている子だったので、私だけでも5パターンくらいはあった。
他の家族が行くと私とは違う道を歩き分けていたらしい。
なので、散歩に行く度に別れ道で、
「今日はどっちがいい?」と聞くと
顔を交差させながら本人なりに悩み、
その後に「今日はこっち!」と歩き出す。
(少し歩いてやっぱりこっち!時もあったけれど笑)
散歩は本人の楽しみだったのがいかにわかる。
それから小中高とミルクと時を過ごしたけれど、
私は短大に行く為実家を出ることになった。
実家からは車でも6時間はかかっただろうか。早々に帰ってこれない。
私がいなくなってから、
母がミルクと散歩に出ると
急に座りだしなにかを待つような、
まるで私を探しているかのような仕草をしていたらしい。
それから短大を卒業して実家に戻り、
地元で就職した。
またミルクの顔を見ながらの生活に戻った。
就職するにあたり免許もとって車も買ったので、徒歩では行けなかったお散歩ポイントにたまにミルクを連れていく事も出来、これは免許を取り車を買って良かったと1番の利点だった。
でも社会人になったからか?
今度は母と事ある事に意見が合わなくなり、実家にもいるのが嫌になり、
ペット可能のアパートをさがして、
父にミルクを連れていくから、とだけ告げてミルクと共に実家を出た。
決まったアパートは職場にも近く、
かかりつけの動物病院も目と鼻の先の所に決めた。
ミルクは彼氏(今の旦那)にもよく懐いており、半同棲生活にミルクがいるという私としては幸せな生活が続いたけれど、
その時既に私は23歳、ミルクは13歳になっていた。
引越してからも元気にしていて、
それからちょっとした12月23日私達は札幌のGLAYのLiveに行くために、万一体調を崩した時を憂いて、
近所のかかりつけの病院まで散歩がてら歩いていき、そのまま1泊様子を見てください、と預けた。
それからLiveが終わり深夜に帰り、
翌日病院まで迎えに行き、
先生に様子を聞いても何も変わりはなかったというので安心し、
そのままお留守番をしてくれたご褒美としてミルクの好きな公園へ車で連れていった。
が、いつもなら飛び降りるように車を降りるのに、何故か降りない。
だっこが出来ないので
「どうしたの?」といいながらゆっくり車から降ろし、少し歩いたけれど足取りがおかしく、挙句の果てには、崩れ落ちるかの様に座り込んでしまった。
慌てて病院に連絡をとると、
Xmas時期に預けて他の子達と一緒の慣れない環境だったから疲れたのかも、とだけ言われ、それからすぐに家に帰りお土産に買ってきたXmasプレゼント代わりのお菓子をあげても食いしん坊なミルクがいらないという。
これは絶対おかしい。
結局ご飯も食べなかった。
1日様子を見て、
次の日改めて病院に行くと、
心臓と腎臓に負担が掛かっており、
もしかしたら長期戦になるか、
自宅点滴が必要になるかも知れないと言われ。
つい数日前まで歩いて散歩に行けた子がなんで急に!?と泣いた。
それからは地獄だった。
食べるの大好きで散歩も大好きなミルクはそのどちらも最後まで楽しむ事は出来なかった。
それでもトイレは散歩の時に済ますとミルク自身決めていたからか、
家にトイレを設置しても一切使わなかったため、トイレの為だけに数回家から外の空気を吸わせて上げながら用を足すだけ。
ごはんもどんなに好きなものを用意しても食べれず、病院での1時間は掛かる点滴。
あまりにも動けない時には往診を頼んだ事もあった。
夜中に部屋の片隅で顔を隠す様にして吐いたり、トイレを我慢しきれず漏らしてしまった時も、その度に飛び起きて片付けようとすると、
本人は何とも言えぬ申し訳なさそうな顔をして、ごめんね、ごめんね、というような表情をする。
その度に私は泣いてばかりいた。
でも長期戦になって自宅点滴になったとしても、昔介護員をしていたのは今のミルクを支えるためだからと変に自分を励ましてミルクと過ごしていた。
弟は当時大学生でこちらも地元から遠い大学に通っていた。
帰省が年内ではなく年始の元旦になると知らせを受け、
ミルクに何度も弟はお正月に帰ってくるからね、と言い聞かせていた。
大晦日。
ミルクは相変わらずぐったりしていたけれど、吐いたりする様子もなく、
平穏だった。正直年を越せるか不安だったけれど、無事一緒に年を越せた時は嬉しかった。
私は元旦から仕事だったため、
弟には帰省したらすぐに私のアパートにきてミルクを見ていて欲しいと頼み、
正月だったので仕事も早く片付けて
自宅に戻ると、困り顔の弟と風呂場でうずくまるミルクがいた。
ミルクは雨はもちろんシャワーも大嫌いな子で、風呂場自体大嫌いな子だったのになぜ!?と思ったが、どうやら室内で漏らすよりも風呂場で用を足すことを自分で思いついたらしく風呂場にいったものの、
弟の顔を見て安心したのか、崩れ落ちてしまったようだ。
それで慌てて弟に抱き上げてもらい、
病院へ直行した。
先生からは、
「もう山場かも知れない。
自宅で過ごすか、病院で預かるか。どちらにしますか」
弟を目の前にして、そしてその場でこの決断を即答するには凄く辛かった。
私としては、家で看取ってあげたい。
でも万一があった時は私では対応出来ない。病院の方が最善の処置をしてもらえるだろう。
それに私は1月2日は仕事で3、4日と連休だった。
この日を乗り切ってくれれば自宅で過ごせる。
ミルクにごめんね、今日だけ頑張ってね、必ず迎えにくるからね。
と言って抱き上げられて病室の奥に行くミルクを姉弟で見送った。
生きているミルクを見たのはそれが最期だった。
弟は万一の時に備え私の家に泊まり、
私は病院からいつ連絡がくるかと怯えながら携帯を握りしめていた。
夜もほとんど眠れず、夜が明けて、
「あぁ、乗り切ってくれたんだな」
と思った瞬間。
携帯が鳴ってしまった。
「ミルクちゃんが亡くなりました。朝方は暴れるくらい元気だったのですが容態が急変して・・・」
鳴った瞬間から覚悟はしたけれど、
すぐに約束通り迎えに行かなければと泣きながら電話をきり、
私の様子で起きた彼と弟は何も言わず一緒に迎えに付き添ってくれた。
ミルクはまだ温かく、
いつもの様に寝ている様だった。
私はとにかく涙が止まらなかったけれど、
迎えに行って1度自宅にミルクと帰ってきて、それから仕事に行かなければならなかった。奇しくも、迎えに行って帰ってきた時間はいつも出勤前に行っていた散歩の時間通りで、遅刻もせずに出勤した。
なんて優しい子だったんだろう。
仕事中も、先輩や同僚を困惑させてしまったけれど、ずっと泣き続けながら仕事をし、昼休みに1度戻った時にはミルクを見つめながら病院から紹介された火葬場に泣きながら連絡した。
それから弟から、ミルクを実家に戻したいと言われ、了承して仕事に戻り、
仕事が終わってからすぐに久しぶりの実家に戻った。
ミルクの周りには大量のお供えものと線香が絶えずにつけられていた。
父が通夜はこうするものだといい、
ずっとろうそくと線香を絶やさなかった。
幼い頃に祖父母を亡くしたきり肉親や知人を亡くした事のなかった私はその時初めてしった。
ずっと話をしなかった母とも、
久しぶりに自然とミルクの昔話をしているうちに、気がつけば母への憎悪はなくなっていた。
家族でミルクを囲みながら、
箱ティッシュをどれだけ使ったか解らないくらい泣いて泣いて泣いて、
一生分の涙を流したんじゃないかと思ってもまだ止まることのない涙はずっと流れ続けた。
翌日、ミルクを家族全員と彼で火葬場に連れて行き、棺に各々にお供えモノをスキマなく入れる。ただ、このお供え。
ミルクといえばで各々に用意した結果、オール食べ物になった。
ミルクはオモチャもたくさん持っていたけれど、お気に入りが多すぎてどれを入れて上げればいいかわからず、結果家族全員が選んだのは食べ物ばかりだった。
泣きながら並べたのに、食べ物にまみれるミルクの棺を見て、火葬場の方と家族でつい笑いが零れた。
ミルクらしい。
そして火葬炉に入れる瞬間、
まって、まだ入れないでという気持ちと、
ミルクを成仏させてあげなきゃというなんとも言えない気持ちがぐちゃぐちゃになっていたのが忘れられない。
そして終わるまで時間がかかるからと1度家に戻ることにしたのだが、
その時黒い煙がもくもくと上がっており、
あぁ、ミルクが・・・
と思った矢先、
「あれ、全部脂肪ですね」といわれ涙も引っ込んだのは言うまでもない。
それからミルクを改めて迎えに行き、
お骨を拾い、とても小さくなったミルクと一緒に帰った。
それからしばらくミルクのいないアパートに帰る気がしなくて、
ミルクの仏壇がある実家で寝泊りした。
この時、ミルクは私の一生分の涙と憎悪や悪い感情は持って行ってくれたんだな、と感じた。
それから家族とも和解し、
毎月2日前後には必ず月命日のお参りをしに実家に行くようになった。
ミルクは多くのかけがえのないものを残してくれた。
今もそっと私たち家族を見守ってくれている気がする。
presious/GLAY
I miss youあの頃は 互いに意地を張り合って
I love youもう少し 大事に出来たはずなのに
どんな時も弛まぬ愛 そしてそれは2人の愛
思い出すよ 俺にくれたお前の最初の言葉を
「長い長い道のりを 独り荷物背にこさえ
走り続けてきたのね? それはどれほどの痛み…」
後ろめたい恋もした バカ騒ぎの日もあった
そして2人誓うんだ この新たな今日の良き日に
-でもTIME GOES BY-
「どんなに愛し愛されても 決して一緒に逝(ゆ)けない」
そんな哀しい告白の後で なんで俺を欲しがった…?
変えられない運命なら いっそすべて飲み込むのさ
忘れないよ あれはきっとお前の最後の遺言
安い指輪天にかざし ありがとうと涙した
くだらない喧嘩の後は 詫びる言葉探したね
励まし合うその後で 独り別れに怯えた夜
出会いそれは人生の 少しだけ残酷な賭け事
朝目覚めて隣にいない お前をずっと探していた
いつもお前にいいところ見せようと 強がりばかりで
愛は愛を生み出して そして新たな命まで
あの子が生まれた時の 重さをまだ覚えてる?
なぁ、俺はどんな夫(どんな)だった?
【ねえ、私はどんな飼い主だった・・・?】
お前を幸せに出来たか?
狂おしく愛に満ちた
お前それはそれはかけがえのない
Precious Love
Precious Love
眠れよ 眠れよ 眠れよ
眠れよ…
「人は馬鹿な生き物ね 失うまで気づかない」
そんなお前の言葉を 独り思い浮かべてる
暗闇を怖がるから 明かりは消さずにおくよ
この子達は大丈夫 安心してよ…
say your dream(第3部)/GLAY
今荒野の果てに星瞬いている 今ふたつの命鮮やかに重なる
ただ偶然に星の葬列を見た さぁ清らかな泉の畔でさようなら
世界の片隅であなたを抱き上げる 世界の片隅で私を見送って
今越えてゆくこの目標は夢に似ているけれどでも違う 人を幸せにするその難しさの中でどうか焦らずに 少しずつ 少しずつ約束の場所に向かう
今出会えた事にとても感謝している さぁ振り向かないで私なら大丈夫
まだ幼くて泣き虫なあなたの事 あぁ蘇るまるで昨日の事の様に
世界の片隅であなたを抱き上げた いつもあの重さが私の支えだった
今滅び行く人の繋がりを どうか大切にして欲しい 神に与えられた限りある時に さぁ 唄を道連れに 愛すべき者連と約束の場所に向かう
世界の片隅であなたを抱き上げる 世界の片隅で私を見送って 世界の片隅であなたを育て上げた 世界の片隅で私を看取って
人はたくさんの涙に囲まれて 独り天国へ行くけれど どうか微笑んで今は泣かないでいて 生まれ変わる日にはまた逢えた嬉しさを 産声に変えて叫ぶから命の果てに祝福を
また必ず逢えるから泣かないで… |
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