旭川イベント前にして、
めっちゃ体調崩しているえりかです。

旭川の企画も大詰め、
あとは流汰ちゃんとの合わせ技でカタチを成す感じになりそうです!

本当はもっと丁寧に経過報告したかったんだけど、風邪が思いのほか長引いて、体調不良に悩まされております。
とりあえず私自身はインフルではないのですが、
この寒暖の差や変わる変わる周りがどんどん掛かって倒れゆく感じが怖いですな・・・。

バイオハザードみたい?←やったことないので完全偏見

さて、
風邪薬のおかげ!?で
眠剤でなくても爆睡出来るようになったら、
色んな夢を見るようになりまして。
私は夢の中でも「これは夢だ」と気付けるタイプではないので、まーとにかく夢の中で、
あれやこれやいい思いをして、
不眠症の時は完全に忘れていた
お布団が安心する、という感覚を思い出している日々です。

仕事ばかりじゃないけど、
家の事や気持ち的に悩んだりして

忙しい時間は
目線を一つにし過ぎちゃうと、
絶対自分でも気付かないとこに瑕疵が出て、
急にぼろっと崩れるのよね。

そして、初めて自分無理してたんだ、
心死んでたんだなって気づく。

昔はそれでも鞭叩いたけど、
もうそれはしない。

とりあえず深呼吸して、
寝る時は寝て、
ちゃんと薬飲んで
自分を保てるようになったら、
またいつもの生活に戻ろう・・・。

とりあえず無理はしない。
動画で告知するほど声も出ないんだけど、
旭川企画のまとめ入ってたり、
データをカタカタしてたりして、
少しずつスッキリしてきた感じで、
ちょっと気分も穏やか。

あともう一週間なのかー。まじに?
エグさん来る頃には、
お天道様のごきげんいいといいな。
ホワイトアウトとかマジやめてね←真顔

さてさて、
最近旭川の話ばっかだったけど
たまには普通にブログってみる。

といっても近況と言えば
お仕事再開してまだ身体が100%の稼働が出来なくて悶々してたり(悩)


日曜以外基本リハビリ行って、
優しい先生だし行って楽にもなるんだけど、
これが11月後半からずーーーっと続いてるので、
「いつまで続くんだろ・・・」とたまに鬱っぽくなったり。

こないだ風邪引いて薬貰ったら、
副作用酷すぎて、なかなか仲良くなれなくて、
1日寝てないと眠いとかで
今日くらいでやっと付き合い方を理解した感じ。


あと、相手方の保険屋やうちのディーラーに不信感を持ってしまい、そこから人と電話したり話すのが怖くなってぷち人間不信になったり。
職場の人とか、家族とか話せる友達とかならいいんだけど、、
着信なったらびくつくようになったりと大変でした。
1人で悩まずに旦那さんに自分で出来ないとこはバトンタッチしてとりあえず事なきを得まして。

あとは運転かなーーー。
超田舎なもんで、
バスは1日1本とかなんで、
車恐怖症なんて言ってられないのですよ。
でも相変わらず対向車は恐いし、
停車中に後続車がくるとびくつくし。
隣町に行こうものなら、国道怖いんで、
むしろ高速の方が楽なのに気付いた。

信号ないし、
動物もたまに出るだろうけど
スピードだせんし日中ならたぶん気付けるし、
対向車もちゃんと区切られてるし
後続車も平日ならほとんどないし
(田舎よありがとう)

最近は高速さまさま。

なんか色んなものに
ネガティブになり過ぎてたけど、

自分の出来ること出来ないことを判断してみる。
少し旦那さんに助けを求めてみること。

これで少し楽になった。

twitterにも出没するぜ!
みんな私を忘れないでね!(笑)
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これはホラーだな(爆)


皆さまこんにちワッフル( ‘ч’ )♥
先日の旭川企画では、
たくさんの方々と繋がることが出来、
感謝しっぱなしでございます!
今回、動画でも話していますが
一応、の締切は2/10(水)とします。

メッセージは本当に自由に書いて頂いて自由です、色紙にメッセージを詰めるんじゃなくて、色紙をメッセージに合わせます!
思いの丈を下さいませ!
先にご連絡頂いてる方で10日過ぎそうでも一言下されば大丈夫だし、10日以降に知った方でもギリギリまで対応します!
宜しくお願いします!

動画①


動画②


 
動画③



オマケ

ビルダーズではラストのが好きです!
まちゃさんの綺麗な歌声に胸がぎゅーんです。
どーでもいい情報(笑)

( 'ω'o[参加者募集中]o
2/21の旭川エグディナーショーに参加される方、
初来道なのに涙を飲んで参加出来ない道民の方!
エグさんに労いと感謝の気持ちを道産子パワーでちょっとしたプレゼント企画を予定しています!フォロ外参加もOkです!詳細は気になる方連絡下さい!



  
その1
※収録時が1/31なので来月と表現してます

その2
追加




フリーダイヤルの日までもう一時間きったねー!
私の20代は短大卒業で始まり、
自爆で怪我の完治が遅くなる、というなんとも私らしい10年でした。

すんごい辛いこともあれば、
結婚も出来たし
家族(にゃんこ)も増えたし
社会人として学ぶ事もたくさんあったし。
GLAYERとしても復活できたし。
EDISONファンにもなって、
遠征行けるようになったし、
ファンの方々とも交流出来たし。

何だかんだで私らしく、
楽しい10年だったかも。

これからも頑張りますでしでしっ٩( 'ω' )و
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先月広島でのセルフ勉強会を終えてから、
文章も温めて温めて、言葉のチョイスにも相当悩みましたが、
とりあえず私の言葉で、私が自分の目で見て、直接お話を伺ってきた事を書き綴りたいと思います。
所謂【個人の主観】でしかありませんが、
皆々様の頭の片隅に、世の中にはこんな輩もいるんだな、程度でお読み下さると幸いにございます。

勿論、これは違う!とか間違ってる!
というのがあればご指摘下さいませ。





さて、本題。
皆様は自分の頭上で太陽が炸裂したら?
という問いかけに、想像出来るでしょうか。
私は出来ませんでした。

でも実際に過剰表現でもなんでもなく、
1945年8月6日8時15分民間人の上に本当に炸裂したんです。

何故太陽という表現を用いたかと言うと、
広島型原爆(リトルボーイ、ウラン型)は投下後、
地上から600m上で炸裂しました。

この時炸裂した1秒後の火の玉は最大直径280m、中心温度は100万度越え、爆心地付近では火の玉の表面温度は3000~4000度。

実際の天体の太陽も水素とヘリウムの核融合でエネルギーを生み出しており、
太陽の表面温度は約5510度。

太陽から地球まで約1億5000万 km。時速300 kmの新幹線ですら片道50年。秒速30万 kmという光の速度でも、約8分。

そんなに遠くにあるはずのものがいきなり自分の頭の上に落ちてきたら?

これにより被爆された方の殆どはヤケドで亡くなった方も大変多く、
強烈な熱線により体内の水分が一気に蒸発し、その水蒸気により表皮が爛れ、真皮がむき出しの状態に。
真皮は痛覚神経と繋がっているため、人間が感じうる最大限の痛みであっただろうという学者さんの意見も拝見しました。
よく被爆された方が【オバケの様だった】と表現されるのは爛れた皮膚がずる向けており、真皮が晒されている事による激痛からそうせざるを得なかったものと考えます。大人も子供も関係なく……

そして、原爆は熱だけではなく、
爆風圧や放射線被害も凄まじい。
爆風圧により爆心地から500m離れていても秒速400m。
通常の台風よりも10倍以上の衝撃波が荒れ狂っていたということ。

【水が欲しい】
体内の水分が一気に亡くなった事で多くの方々が水を求めました。

命からがら助かったひとでも
【水を】の声に助けようと思っても
顔が晴れ上がりすぎて唇がどこかすら分からない。
必死に水を汲んできたが既にその人は息絶えていた
そもそも強烈な放射能で汚染されている為、飲んでも飲まなくても死を迎えるしかなかった。
放射線被害は今現在ほど市民理解はなかったが、水を上げても死んでしまうという認識は徐々に広まり、【水を上げたくても上げることが出来ずに自分は見殺しにしてしまったと、あの日からずっと心に傷を負い自責の念に囚われてしまってる人達も多い】

【投下前の広島】
現在の平和記念公園は、
一般人が多く住んでおり、職人さんなんかも多くまさに広島城の城下町として栄えていた区画だったとのこと。

投下当日は建物疎開の為に駆り出されていた中学生等の学生さんが1番死亡率も高く、爆心地から500mでは、1945年末までに98から99%の方が亡くなられている統計も出ています。

【原爆神話とティベッツ大佐】
ここからはまたさらにエグい話をします。
11年前に長崎の原爆を学んだ時に合わせて知ったティベッツ大佐。
彼はその後'07年に亡くなったそうだが、生涯原爆を投下した事を悔やんでいない様子だった。

Wikipediaでは広島は訪れた事はないと書いてあったけれど、
11年前の戦後60年の企画番組で広島の資料館を訪れたのを見ている。
その時彼は様々な被爆者の遺品や展示物を見てもなにも関心を持たず、投下直後のエノラ・ゲイから撮影したきのこ雲の映像だか写真だかを見て、初めて「これは私が撮ったものだ!」と嬉嬉として話していたのが強烈だった。

そして実際に広島原爆被爆者を目の前にしても、原爆神話ばかりを賞賛し、
【remember the Parl Harbor】

この時程この人を許せないと思った事はない。
諸説はあるけど
人の死を比べちゃダメなのも解るけど
アメリカの軍人なら知っていた筈、
あれは日本の開戦予告が遅れたのも事実だけれど、それ以前にとっくに日本の暗号無線は解読済で、むしろ日本を悪者にして開戦のきっかけを作るためにアメリカ軍が自らの軍人を犠牲にして開戦のきっかけを作ったと言う事を。

そして、そして何より戦争での国際法として戦闘員以外は巻き込んではいけない、病院などへの攻撃も論外。

当日日本も鬼畜米英なんて言っていたけど
アメリカもアメリカでJAPだyellowmonkeyだの散々馬鹿にした挙句、自分達の国際法違反を戦勝国だからと言って棚にあげ、東京裁判では勝ち誇った様に公開処刑を繰り返す。
これを蛮行と呼ばずしてなんと呼ぶのか。

戦争反逆者は誰よりもアメリカだと思う。
憎しみの連鎖が続いても仕方がないけれど。

先のイラク戦争でも散々誤爆誤爆を繰り返して、市民を惨殺しておきながら、
戦争理由だった筈の核はありませんでした。
ここまでしなきゃ分からなかった分けないでしょう?
単に原油産地として支配下に起きたかっただけでしょう?

子供の頃からいつも思う。
自由とは、制限や制約、相手の存在も考慮してルールを守った上で成立するものだと。
アメリカの、
オレが1番!I'm free!
はただの自国愛であり、なおかつ自己中なだけではないかと。

でもそれがすべての人だとは思ってない。
実際に私が広島に行った時の平和記念公園は多くの海外の方(アジア系ではなく、アメリカ圏やヨーロッパ圏の方々と思われる)人達の多さ!

色んな人がいるけれど、
戦後71年目。
実際に戦争を体験した方々からのバトンを受け継ぐのは今だと思ってる。

もっと勉強して、研究重ねて行こうと思います。

感情一方通行になってしまいましたが
これで先月の広島での感想は以上にしておきます。

きのこ雲の高度は1万2000km
その雲の下に数多の人の、
ひとりひとりの命があったこと。

あなたは想像出来ますか?
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誕生日まであと4日、
20代のラストスパート!
楽しく過ごそうと思ってたのに。

リハビリ行くために準備して階段降りてたら、足滑らせて5段程尻もちつきながら転落、普通なら直ぐ起き上がれるのに痛みがが強すぎて、足と臀部のありとあらゆるところに内出血、そして元々悪かった腰も強打し、病院で改めてレントゲンなり検査して貰ったところ、骨折はしてないけど、
左ふくらはぎ筋部分断裂。
雪国歩きがまともに出来ず、
引き摺りながらなので、
楽しみにしてた秋田由利本荘イベント断念しました(TT)

雪が無ければいいかも知れないけど秋田の雪質知らないし、寒さで痛みが増すのを懸念してのなくなく判断。

とりあえず飛行機宿キャンセル。
チケット1枚も貰い手いなそう(TT)

そして、昨日。
これまた病院帰りに運転してたところ、
前の車が急に止まって、去年の追突事故(された側だけど)恐怖がフラッシュバックしてハンドル切りすぎたら、
スリップして路肩のポールにぶつかってしまい自爆事故。

もう
精神ぼろんぼろん。

来月の旭川までには回復するとは思えけど、
とりあえず20代ラストは厄祓いで終わりそう。
おっかない……

ミルクが亡くなって5年目の命日。
自分でもこんなに切ない気持ちで迎える事になるとはおもいませんでした。





亡くなってからしばらくは、
実をいうと家族みんな寂しくて仕方なくて。

私が実家と仲違いして、
アパートにミルクを連れていったあと。

居なくなったミルクの場所を埋めるというわけではないけれど、どーしてもワンコにココロの置き場を求めたのかな。
程なくしてパピヨンの「リク」が家族の一員となっていました。まだ生後数ヶ月で、
小さくて人懐こい、そして誰よりも優しい性格の子。

ミルクと入れ違いに実家にきたこの子は、
何を教えた訳でもなく、
生前のミルクにあったこともないのに
ミルクの独特な座り方や仕草を自然と真似る子です。

もしかしたら、
ワンコのちょっとした習性なだけかもしれない。
だけれども、たったひとつのさりげない仕草でもミルクが何かをリクにバトンタッチしていったかのような気がして。

生後数ヶ月の甘えっ子で人から離れたくなかったはずのリクは、
いきなり顔も合わせた事のなかった私と、大きなワンコの遺体がウチの中にきて。
さぞかし驚いた事だろう。
でも皆でミルクを囲んで泣いている時。
そっとミルクを覗き込んで最期の別れをして、そのあとは誰に支持された訳ではなくひとり大人しくケージに入ってぽつんと寝ていた。

亡くなってしばらくしてからは、
毎日のように仕事帰りには実家に寄っては、リクと遊びつつ、母とはミルクの想い出話ばかりを繰り返し何度も何度もしては、涙ぐんでいた。
リクも遊びつつも気持ちがココに無いことに気づいていたのだろう。
もともと友達欲しいや遊び相手が欲しい!という年頃だったのと家庭環境がそうさせたのか、とにかく遊び相手を探しているかのようになった。
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そんな、ミルクが亡くなりおよそ半年。
リクの誕生日の1週間後。
これは今考えても不思議で仕方ないのだけれども、小さな子猫が実家に迷い込んできた。

というより、たまたまウォーキングだか、ちょっとした買い物だか?に出た父が帰路ついていた時、スッと警戒心なく家までついてきて、玄関ドアを開ければスッと当たり前のように家に入ってきたという。家族はみんなどうしたらいいのかわからない、
戸惑うばかり。
だけどリクだけは違った。
パピヨンならではのジャンプ力を精一杯発揮して、小さな子猫を大歓迎していた。
子猫も最初はリクの熱烈歓迎ぶりに驚いたのか最初は警戒したけれど、そのうちにリクにくっついて、リクがひたすら舐めてあげたり、寄り添ってもはや誰も引き離せそうになかったのだけれども、
父もとりあえず一日また外に出しておいて
それから今後を考えようとしたらしく、
そっと引き離して夜を過ごした。

そして翌朝。
やはり子猫が気になったらしくいつもより早めに起きた父は、
窓のカーテンを開け、そこにいた夜間ずっと泣き続けてもう声が枯れかけた子猫をまた家に入れてから仕事に行ったという。

リクは大喜びでまた子猫の世話を始め、
子猫もリクに寄添う。
この写真はホントにまさにその時のもの。
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我が家に迷い込んできて24時間しないうちに、この子猫は正式に我が家の家族となった。

ミルク→リク

意識した訳ではなかったが名前の最後に「ク」がつく。
じゃあこの子にはなんてつけようか。
当時大学生で実家にいなかった弟にことの経緯を話し、結果話し合って、ミルクが紡いでくれた縁を大切にして、未来を託す意を込めて【未来(ミク)】になった。

ミルクが亡くなって、リクがいるのに半年も泣き続けている私達を見かねたミルクが
«もうそんなに泣かないで»というかのようにリクの誕生日にリクにとっても家族にとっても最大のプレゼントをしてくれた気がする。

未来は生後2ヵ月だった事が判明し、
ウチはミルクリクと男の子が続いた中での思いも寄らぬ初めての女の子。初めてのにゃんこ。
これで我が家は未来姫の元気一杯っぷりに次第に振り回されるようになり、
リクミクコンビの話題で持ちきりになるようになった。
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そしてその後は今にいたり、
私の自宅に2匹のにゃんこ兄妹が家族となり、そしてさらに4匹の子猫が生まれ、死別を経て今の4匹になった。
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気がつけばこの5年で家族が一気に増えた。
ミルクが亡くなった時の悲しみを忘れた訳ではない。
きっとこの子らがいずれ、また去ろうとする時また涙するんだろう。

でも、その悲しみよりも与えてくれるものが大きいのだとミルクに教わった。

小さな命たちは、
今日も私たちに寄り添ってくれている。

ありがとう。







2011年1月2日。
私は一生忘れられないであろう別れを経験した。
愛犬のミルクが亡くなった。

ミルクは私が小学5年生か6年生の頃に当時の友人の家で生まれた4兄妹のうちのひとりだった。

私は低学年の頃から捨て犬や捨て猫を見つける度に親に怒られつつも、
当時アパート暮らしだったので親に協力してもらって里親を探すような事が日常茶飯事だったし、(何故か保健所は殺されるからと既に認識していた気がする)、高学年の頃には一戸建てに引越していたのと、
その当時は動物実験の悍ましさを学んでいたので、その当時の友人の、
さらっと「飼主が見つからなかったら保健所かな」という言葉に戦慄して、どうしても引き取りたいという旨を伝え、
親にも多分それまでにも何度も言ったであろう〝一生のお願い〟として頼み込んだ。

親も相当困ったであろう、
両親はたしか既に共働きだったし、
まだ保育所か小1の幼い弟がいたし、
私が幼い子犬の世話を全う出来るかも怪しかっただろうし。

でも〝1日2回の散歩に行くこと〟
という条件を提示されて、
ミルクは我が家に迎え入れられる事になった。
他の兄妹も無事引き取られ、
その後はわからぬが保健所は免れた。

ミルクはとにかく小さくて白くて
ふわふわのぬいぐるみみたいな子だった。
犬種はミックスなんだけど、
散歩に連れて歩く度に「アイヌ犬?」と声をかけられ、その度には何故だか誇らしく感じた。

初めて我が家に迎え入れられた家族は、
私だけじゃなく、各々の特別な存在になった。
あととても食いしん坊な子だったので、
とにかくよく食べる。
なにか食べていると、
「ちょうだい、分けてよ」
と愛くるしい顔でねだり、
何とも幸せそうに食べる。
この可愛らしさに勝てる家族は誰もいなかった。
各々に自分だけだしいいか、と思って一緒にシェアして食べるのが当たり前になっていた為、気がつけばあの愛くるしいぬいぐるみはボンレスハムになっていた。

寝ている姿はアザラシのようで、
散歩に行けば、気ままにゆっくり歩くので牛車の様。
5月17日生まれの丑年の牡牛座だったので、おそらく丑三つ時にうまれたんだろうね、と何度も言っては笑った。

それでも本当に散歩は好きだったらしく、家を出てすぐに帰りたいというのは雨の日だけで、雨さえ降っていなければ、夏の暑い日はひとり木陰で小休止を勝手にとり、リードをもった者はもれなく太陽光に晒され、秋は松ぼっくりや栗のイガで心置きなく遊び、冬は雪に顔を埋めて喜んではしゃいでいたし、短い春は桜咲く道を共に歩くのが私も楽しかった。

とにかく散歩コースにバリエーションをもっている子だったので、私だけでも5パターンくらいはあった。
他の家族が行くと私とは違う道を歩き分けていたらしい。

なので、散歩に行く度に別れ道で、
「今日はどっちがいい?」と聞くと
顔を交差させながら本人なりに悩み、
その後に「今日はこっち!」と歩き出す。
(少し歩いてやっぱりこっち!時もあったけれど笑)
散歩は本人の楽しみだったのがいかにわかる。

それから小中高とミルクと時を過ごしたけれど、
私は短大に行く為実家を出ることになった。
実家からは車でも6時間はかかっただろうか。早々に帰ってこれない。

私がいなくなってから、
母がミルクと散歩に出ると
急に座りだしなにかを待つような、
まるで私を探しているかのような仕草をしていたらしい。

それから短大を卒業して実家に戻り、
地元で就職した。
またミルクの顔を見ながらの生活に戻った。

就職するにあたり免許もとって車も買ったので、徒歩では行けなかったお散歩ポイントにたまにミルクを連れていく事も出来、これは免許を取り車を買って良かったと1番の利点だった。

でも社会人になったからか?
今度は母と事ある事に意見が合わなくなり、実家にもいるのが嫌になり、
ペット可能のアパートをさがして、
父にミルクを連れていくから、とだけ告げてミルクと共に実家を出た。
決まったアパートは職場にも近く、
かかりつけの動物病院も目と鼻の先の所に決めた。
ミルクは彼氏(今の旦那)にもよく懐いており、半同棲生活にミルクがいるという私としては幸せな生活が続いたけれど、
その時既に私は23歳、ミルクは13歳になっていた。

引越してからも元気にしていて、
それからちょっとした12月23日私達は札幌のGLAYのLiveに行くために、万一体調を崩した時を憂いて、
近所のかかりつけの病院まで散歩がてら歩いていき、そのまま1泊様子を見てください、と預けた。

それからLiveが終わり深夜に帰り、
翌日病院まで迎えに行き、
先生に様子を聞いても何も変わりはなかったというので安心し、
そのままお留守番をしてくれたご褒美としてミルクの好きな公園へ車で連れていった。

が、いつもなら飛び降りるように車を降りるのに、何故か降りない。
だっこが出来ないので
「どうしたの?」といいながらゆっくり車から降ろし、少し歩いたけれど足取りがおかしく、挙句の果てには、崩れ落ちるかの様に座り込んでしまった。

慌てて病院に連絡をとると、
Xmas時期に預けて他の子達と一緒の慣れない環境だったから疲れたのかも、とだけ言われ、それからすぐに家に帰りお土産に買ってきたXmasプレゼント代わりのお菓子をあげても食いしん坊なミルクがいらないという。

これは絶対おかしい。
結局ご飯も食べなかった。

1日様子を見て、
次の日改めて病院に行くと、
心臓と腎臓に負担が掛かっており、
もしかしたら長期戦になるか、
自宅点滴が必要になるかも知れないと言われ。
つい数日前まで歩いて散歩に行けた子がなんで急に!?と泣いた。

それからは地獄だった。
食べるの大好きで散歩も大好きなミルクはそのどちらも最後まで楽しむ事は出来なかった。

それでもトイレは散歩の時に済ますとミルク自身決めていたからか、
家にトイレを設置しても一切使わなかったため、トイレの為だけに数回家から外の空気を吸わせて上げながら用を足すだけ。

ごはんもどんなに好きなものを用意しても食べれず、病院での1時間は掛かる点滴。
あまりにも動けない時には往診を頼んだ事もあった。

夜中に部屋の片隅で顔を隠す様にして吐いたり、トイレを我慢しきれず漏らしてしまった時も、その度に飛び起きて片付けようとすると、
本人は何とも言えぬ申し訳なさそうな顔をして、ごめんね、ごめんね、というような表情をする。
その度に私は泣いてばかりいた。

でも長期戦になって自宅点滴になったとしても、昔介護員をしていたのは今のミルクを支えるためだからと変に自分を励ましてミルクと過ごしていた。
弟は当時大学生でこちらも地元から遠い大学に通っていた。
帰省が年内ではなく年始の元旦になると知らせを受け、
ミルクに何度も弟はお正月に帰ってくるからね、と言い聞かせていた。

大晦日。
ミルクは相変わらずぐったりしていたけれど、吐いたりする様子もなく、
平穏だった。正直年を越せるか不安だったけれど、無事一緒に年を越せた時は嬉しかった。

私は元旦から仕事だったため、
弟には帰省したらすぐに私のアパートにきてミルクを見ていて欲しいと頼み、
正月だったので仕事も早く片付けて
自宅に戻ると、困り顔の弟と風呂場でうずくまるミルクがいた。

ミルクは雨はもちろんシャワーも大嫌いな子で、風呂場自体大嫌いな子だったのになぜ!?と思ったが、どうやら室内で漏らすよりも風呂場で用を足すことを自分で思いついたらしく風呂場にいったものの、
弟の顔を見て安心したのか、崩れ落ちてしまったようだ。

それで慌てて弟に抱き上げてもらい、
病院へ直行した。

先生からは、
「もう山場かも知れない。
自宅で過ごすか、病院で預かるか。どちらにしますか」
弟を目の前にして、そしてその場でこの決断を即答するには凄く辛かった。

私としては、家で看取ってあげたい。
でも万一があった時は私では対応出来ない。病院の方が最善の処置をしてもらえるだろう。
それに私は1月2日は仕事で3、4日と連休だった。
この日を乗り切ってくれれば自宅で過ごせる。
ミルクにごめんね、今日だけ頑張ってね、必ず迎えにくるからね。
と言って抱き上げられて病室の奥に行くミルクを姉弟で見送った。
生きているミルクを見たのはそれが最期だった。

弟は万一の時に備え私の家に泊まり、
私は病院からいつ連絡がくるかと怯えながら携帯を握りしめていた。
夜もほとんど眠れず、夜が明けて、
「あぁ、乗り切ってくれたんだな」
と思った瞬間。

携帯が鳴ってしまった。
「ミルクちゃんが亡くなりました。朝方は暴れるくらい元気だったのですが容態が急変して・・・」

鳴った瞬間から覚悟はしたけれど、
すぐに約束通り迎えに行かなければと泣きながら電話をきり、
私の様子で起きた彼と弟は何も言わず一緒に迎えに付き添ってくれた。

ミルクはまだ温かく、
いつもの様に寝ている様だった。
私はとにかく涙が止まらなかったけれど、
迎えに行って1度自宅にミルクと帰ってきて、それから仕事に行かなければならなかった。奇しくも、迎えに行って帰ってきた時間はいつも出勤前に行っていた散歩の時間通りで、遅刻もせずに出勤した。
なんて優しい子だったんだろう。

仕事中も、先輩や同僚を困惑させてしまったけれど、ずっと泣き続けながら仕事をし、昼休みに1度戻った時にはミルクを見つめながら病院から紹介された火葬場に泣きながら連絡した。
それから弟から、ミルクを実家に戻したいと言われ、了承して仕事に戻り、
仕事が終わってからすぐに久しぶりの実家に戻った。

ミルクの周りには大量のお供えものと線香が絶えずにつけられていた。
父が通夜はこうするものだといい、
ずっとろうそくと線香を絶やさなかった。
幼い頃に祖父母を亡くしたきり肉親や知人を亡くした事のなかった私はその時初めてしった。

ずっと話をしなかった母とも、
久しぶりに自然とミルクの昔話をしているうちに、気がつけば母への憎悪はなくなっていた。

家族でミルクを囲みながら、
箱ティッシュをどれだけ使ったか解らないくらい泣いて泣いて泣いて、
一生分の涙を流したんじゃないかと思ってもまだ止まることのない涙はずっと流れ続けた。

翌日、ミルクを家族全員と彼で火葬場に連れて行き、棺に各々にお供えモノをスキマなく入れる。ただ、このお供え。
ミルクといえばで各々に用意した結果、オール食べ物になった。
ミルクはオモチャもたくさん持っていたけれど、お気に入りが多すぎてどれを入れて上げればいいかわからず、結果家族全員が選んだのは食べ物ばかりだった。
泣きながら並べたのに、食べ物にまみれるミルクの棺を見て、火葬場の方と家族でつい笑いが零れた。
ミルクらしい。

そして火葬炉に入れる瞬間、
まって、まだ入れないでという気持ちと、
ミルクを成仏させてあげなきゃというなんとも言えない気持ちがぐちゃぐちゃになっていたのが忘れられない。

そして終わるまで時間がかかるからと1度家に戻ることにしたのだが、
その時黒い煙がもくもくと上がっており、
あぁ、ミルクが・・・
と思った矢先、
「あれ、全部脂肪ですね」といわれ涙も引っ込んだのは言うまでもない。

それからミルクを改めて迎えに行き、
お骨を拾い、とても小さくなったミルクと一緒に帰った。

それからしばらくミルクのいないアパートに帰る気がしなくて、
ミルクの仏壇がある実家で寝泊りした。
この時、ミルクは私の一生分の涙と憎悪や悪い感情は持って行ってくれたんだな、と感じた。
それから家族とも和解し、
毎月2日前後には必ず月命日のお参りをしに実家に行くようになった。

ミルクは多くのかけがえのないものを残してくれた。
今もそっと私たち家族を見守ってくれている気がする。 
{A455667F-07ED-41A3-9F60-2B81633D2480:01}

{FBA9C5D2-0D87-4433-B47B-34C5F97DAA5D:01}





presious/GLAY



I miss youあの頃は 互いに意地を張り合って
I love youもう少し 大事に出来たはずなのに

どんな時も弛まぬ愛 そしてそれは2人の愛
思い出すよ 俺にくれたお前の最初の言葉を

「長い長い道のりを 独り荷物背にこさえ
走り続けてきたのね? それはどれほどの痛み…」
後ろめたい恋もした バカ騒ぎの日もあった
そして2人誓うんだ この新たな今日の良き日に

-でもTIME GOES BY-

「どんなに愛し愛されても 決して一緒に逝(ゆ)けない」
そんな哀しい告白の後で なんで俺を欲しがった…?

変えられない運命なら いっそすべて飲み込むのさ
忘れないよ あれはきっとお前の最後の遺言

安い指輪天にかざし ありがとうと涙した
くだらない喧嘩の後は 詫びる言葉探したね
励まし合うその後で 独り別れに怯えた夜
出会いそれは人生の 少しだけ残酷な賭け事

朝目覚めて隣にいない お前をずっと探していた
いつもお前にいいところ見せようと 強がりばかりで

愛は愛を生み出して そして新たな命まで
あの子が生まれた時の 重さをまだ覚えてる?
なぁ、俺はどんな夫(どんな)だった? 
【ねえ、私はどんな飼い主だった・・・?】
お前を幸せに出来たか?
狂おしく愛に満ちた 
お前それはそれはかけがえのない
Precious Love
Precious Love

眠れよ 眠れよ 眠れよ
眠れよ…

「人は馬鹿な生き物ね 失うまで気づかない」
そんなお前の言葉を 独り思い浮かべてる
暗闇を怖がるから 明かりは消さずにおくよ
この子達は大丈夫 安心してよ…


say your dream(第3部)/GLAY


今荒野の果てに星瞬いている
今ふたつの命鮮やかに重なる


ただ偶然に星の葬列を見た
さぁ清らかな泉の畔でさようなら

世界の片隅であなたを抱き上げる
世界の片隅で私を見送って

今越えてゆくこの目標は夢に似ているけれどでも違う
人を幸せにするその難しさの中でどうか焦らずに
少しずつ 少しずつ約束の場所に向かう

今出会えた事にとても感謝している
さぁ振り向かないで私なら大丈夫

まだ幼くて泣き虫なあなたの事
あぁ蘇るまるで昨日の事の様に

世界の片隅であなたを抱き上げた
いつもあの重さが私の支えだった

今滅び行く人の繋がりを

どうか大切にして欲しい
神に与えられた限りある時に

さぁ 唄を道連れに

愛すべき者連と約束の場所に向かう

世界の片隅であなたを抱き上げる
世界の片隅で私を見送って
世界の片隅であなたを育て上げた
世界の片隅で私を看取って

人はたくさんの涙に囲まれて 

独り天国へ行くけれど
どうか微笑んで今は泣かないでいて
生まれ変わる日にはまた逢えた嬉しさを
産声に変えて叫ぶから命の果てに祝福を

また必ず逢えるから泣かないで…





Xmasってイベント感あって、イルミネーションなんかも綺麗でほんわかムードだよね。
相手がいよーがいまいが楽しめる感じ。

それから数日しか経っていないというのにだね!
気がつけば年賀状も中途半端、事故の書類もまとめなきゃ、仕事もリハビリも行かなきゃ、きゃーーーー!(大泣)な日々でしたが本日無事に私のお仕事は仕事納めでした
。来年の課題も沢山見つけたので、来年は修整修整を重ねながら仕事も接客も楽しもうと思います。


さて、20代ラストの年末と言うことで、
20代と今年を振り返ってみようかと。
節目ですからね。

20-21歳
短大卒業。希望専攻は入れなかったので、
とりあえず地元で需用の多い福祉系の資格を取って地元に戻り、介護員となる。
が、責任は勿論伴うけれども介助が好きで仕事自体は楽しくて利用者さんからも愛されキャラになれるも先輩から意味不明なイジメ、イビリが続き、まず人生2回目の人格崩壊。人間関係に恐怖を感じるようになって休職→退職。
今思えば馬鹿正直になんでもやりすぎたんだろうね。社会勉強不足
22歳
仕事の枷から開放されたので、GLAYを聞き直してまた少し息を吹き返す。
PCを習い初めて資格もとるも、とりあえずいろんな職を転々と。で、たまたま入ったデイサービスセンターでサービス残業やら給料誤魔化されたりして腹が立ったのでブチ切れて「労基局に訴えるぞコラァ」と啖呵切ってヤクザのように退職し、
その後パソコンの資格を生かそうと営業事務に再就職。

28歳
女子ばかりの職場の割にネチネチもなく、
男っぽいサバサバ系の職場だったので仕事もしやすかったのだけど、1番若輩者だからか色々仕事任され過ぎて、それを消化しきれなくなって、でもやっぱり出来ないって言いたくないから最後の最後まで粘ろうとした所に追突事故に遭い、それで抜け殻になってしまい程なく退職。
その後、見兼ねた?旦那から結婚話が急に持ち上がって結婚。

そして今年、20代ラストイヤー。


1月 
専業主婦となるも引越しが決まっていたので黙々と荷造り。
3月
引越し完了。夫婦2人にしては勿体ない広さだけど、猫をのびのび育てられるからいいかな、と満足
4月
だからといって、気がついたら妊娠してたエルサ嬢。お腹大きい感じはしなかったのに、もう臨月!うそーん。

5、6月
こにゃんこ4匹誕生。
でもエルサの乳腺が何故かすぐに枯れてしまい、2匹が産まれて間もなくしてなくなってしまい、残った子は何としても生かしたくて完全に人工哺乳に切り替え。
ソファで寝起きして2時間置きの授乳。
この時、1人夜中で不安になりながら見てたのはYouTubeに落ちてた歴史番組←なんでやねん

必死に人工哺乳してたら、残った子たちはすくすく育ってくれて、予定よりも早く離乳食に切り替え。
この時は嬉しかった。

んで、ちょうどその頃に歴史番組見てたせいか、本能寺の変がオススメされましてん。
ダンスや歌詞の視点が面白かったのは勿論、「諸説あり」で同じ歴史好きとして注目するも、子育て必死でなかなか集中出来ず。

7月
こちびもヨチヨチ歩いてトイレも完璧になったので、函館へ。本来なら函館アリーナでのGLAYのこけら落とし公演が見たかったんだけどチケット取れずに、やさぐれ気味に函館入り。
ちなみにこの日の函館はチケ取れなかったGLAYERが溢れかえってた(笑)
コラボイベントもやってたからなんだけど、この時に横浜のGLAYERに逢えて感激。
車片道3時間の近所感は有難い!

8月-9月
コンビニバイト開始。
昔バイトしてたからなんだろうけど、
いきなり「明日からこれねーか!?」なんだもんwまぁお世話になってるし、推しに負けて翌日から働き初めたけど、肝心のテンチョいないって何www
そして久々だっつってんのに、
ムチャクチャなシフトにするから体内バランスが崩壊し始める。
10月
あまりにもしんどかったのでシフトを緩めて貰い、気持ちも持ち返してきて、
ここでよーやくエグチャンネルを見返して、どハマリする。

11月
YTFF見て、あー、ホントにアーティストなんだ!実感。やっぱそのアーティストのライブを観るのが1番よね。 で、北海道来ないならコッチからいくぜ!とネオキャメ福岡を取る。
がライブ1週間前に追突事故に遭い、
左半身の痛みと痺れ、首のムチウチでかなりボロボロだったけど、
無理やり福岡いり。ライブは想像以上にカッコよかったし、生で見る迫力の凄さに圧倒され。
ただ、この時は絶賛不眠症だったのでライブ終わりでも眠れず、体力低下も著しかったので余裕があれば下関も寄る筈だったのに、体調悪化に負けて飛行機の便も変更して北海道戻り。
でもこの時に直接お逢い出来たエグファミさんには感動だったなぁ。

12月
何事もそうだけど、全てが上手く回るわけもないというか。
ちょこちょこ人の視点の違いについて良い面も悪い面考えさせられる。
おばらさんからリプ頂いて熟考出来たのも今思えば凄いキッカケだったと思う。

あと、広島イベントも急遽参加する事にしたんだけど、夢だった29歳でもう一度勉強する、という機会に恵まれ、そしてエグさんも見れて。エグについていくともれなくいろんな夢が叶うというジンクス生まれる笑
 
 


さて、10年と今年を振り返ってみたけれど、言葉に起こしながら自分を振り返って見ると、今まではかなり頑固に自己否定やら自分嫌い、自分を蔑んでばかりで、自分で勝手に壁作って「私はヒトがニガテ」と予防線張りまくっていたけれど、
いざ人の世界に入ってみると、
そんな事しなくても良かったんだよね。

何かあれば単刀直入にモノを言ってくれる主人がいて。
弱音を吐けば聞いて叱咤激励してくれる友人もいて。
義実家、実家もサポートしてくれるし、
実際にお逢いした事なくても、絶えずお心遣いをして下さるエグファミさんやGLAYERさんたち。

そして、子供の頃から生きてく術と夢を与えてくれるGLAYさん。

夢と人の繋がりの温かさや思い遣りの何たるかを改めて教えてくれたEDISONさん。

20代まてで学んだのは、
言葉の強さと温かみ、
相手を慈しむ心や思い遣り。

そのためには自分がどうあれば、
どう立ち振舞って行けば良いのか。

言葉は時として諸刃の剣になってしまう側面もある事を常に心に留め置き、如何に使いこなせるようになるか。
 上部の情報に踊らされずに自分の芯を強くもつ為に必要なものとは?

今までに悩み苦しんだネガティブな経験や流した涙は次のステップに進むための鍵だったのだと信じて。

マイナスは自分次第でプラスに変換出来る。

出逢えた全ての人々に感謝を。

I wish will be happy life!

皆様、良いお年を!