さばきはあざける者のために準備され、むち打ちは愚かな者の背のために準備されている。(箴言19・29)


フランスのサッカー選手が日本人を侮辱する動画がSNSを通じて拡散された。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/115032

二人のうちの一人は、「自分が馬鹿にしているのは日本人だけではない」と言い訳をしていたが、「馬鹿にする」行為を正々堂々と行って恥じるところがない、というのはどういうことだろうか。

彼は黒人だが、人種を問わず、「あざける」行為は、自分に破滅をもたらす。

こういうことは、親が子に教えなければならない第一の道徳である。

差別や侮蔑が蔓延している社会は、教育が崩壊している社会であり、死ぬ寸前である。

「さばきはあざける者のために準備され」る。

つまり、あざけるならば裁かれる、ということ。

無意味な(つまり、ただ人種が違うという理由で)人種差別をする人や社会は、必ず裁かれる。


思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。(ガラテヤ6・7)


人間が何らかの行動を取った場合、それに対して神は必ず評価を下される。

そして、悔い改めるならば裁きは来ないが、悔い改めなければ裁かれる。

警官が見ている前で交通違反をすれば、まず確実に切符を切られる。

警官が切符を切らなければ、その交通法規はザルだ、ということになる。

交通法規がザルであれば、道路は無法地帯になり、事故が頻発する。

為政者の務めは、法にしたがって厳正に取り締まりを行うことである。

法治国家を維持するには、裁きを下す以外にはない。

神も、ご自身が創造された世界を維持するために、必ず裁きを行われる。

人をあざけるならば、裁きを下される。

だから、このフランス人選手も裁かれる。

FIFAが裁きを下さなければ、FIFAも神に裁かれる。

神が裁かれると、FIFAの影響力は落ち、観客が減って、サッカーがビジネスとして成立しなくなるだろう。

「世界においてサッカー人気が落ちる可能性はない。」というかもしれないが、神はどんなことでも行うことができる。

実際、Jリーグ以前、日本ではサッカーは人気スポーツではなかった。

Jリーグ発足以降、いろいろな有能な選手が登場し、盛り上げてくれた。

中田のような天才が現れたのは、神の恵みである。

神が裁かれると、こういう人を魅了するような選手が現れなくなる。

野球界に大谷翔平が現れたのも、神の恵み。

ボクシング界に井上尚哉が現れたのも、神の恵み。

スポーツに限らず、どの業界でも「神なんて関係ない!人種差別の横行を取り締まるつもりはない」と言い出したら、呪いがくだって、日照りになり、飢餓が起きて、その業界は死ぬ。

あのフランスの黒人選手は、神の裁きを恐れていないので、愚か者である。

「むち打ちは愚かな者の背のために準備されている」