人類、または命あるもの全て、何のために生きているのだろうか。
その答えはいまだかつて誰もが見つけ出す事の出来なかった疑問だと思う。何故ならば生きている意味、自分が生きている意味は自分で決めるからだ。
私は、命あるもの全てを幸せにするために、命あるもの全ては生きているのだと思う。互いが互いを幸せにする事で心底「幸せ」と感じる事ができるのではないだろうか。
小さな植木鉢に植えてある花を見て子供が微笑む、その顔を見て親が微笑む、その花の持ち主も嬉しくなって微笑む、そしてその花も微笑む。こういう幸せの回路が途切れることなく全ての命に行き渡ると初めて自分の幸せではなく世の中の幸せとして、みんなで喜び合えるのではないだろうか。
今の世の中はおかしいと私は思う。幸せの回路は存在するのだが、全てどこがで途切れてしまっていて、全ての命に行き渡っていない。どこかで何十億もする豪邸に住む人々もいれば、食べる物もなくてこの世を去っていく人もいる。このようなことが同じ時間に起こっているのはおかしいと思う。
私は社会の歴史で今江戸時代を習っている。が、一番印象に残っているのは縄文時代だ。私は縄文時代の人々を心から尊敬している。何故ならばもめ事もなく、身分の差もなく、みんな平等に生活していたのなんて、素晴らしいことだと思うからだ。平成は縄文を見習うべきなのではないのだろうか。と言いたいほどだ。戦う時に活用できる武器を作るお金があるのならば、そのうちの少しでも貧しい人々に分け与える優しさはないのだろうか。それは今の世の中に不可能なことなのだろうか。それとも世間が不可能だと思い込んでいるだけなのかもしれない。物事は信じ続けることが大切だ。だから私は世界中が幸せの回路で包まれる日が必ずやって来ると信じている。
私は幸いなことに食べ物にも教育にもお友達にも家族にも恵まれて育っているから日々が幸せで仕方がない。けれども1日が終わる度に胸が痛む。こうして私が幸せに生活していたこの瞬間も誰かが悲しい思いをしているということを考えると自分にも今の世の中を変える何かは出来ないのだろうか。という考えが頭の中をグルグルと回った。それでこの文章を書く事にしたのだ。小学生の私が綴った文章は世の中に存在すらしないかもしれない。けれども、自分の意思表示をする事は大切だと思い、私はこの文章を全力を掛けて書いた。たとえこの文章を読んでくれた人が1人だったとしてもその1人の人の意識を変えることが出来たのなら私は幸せだ。
私はまだ小学生だけれども、世界中を幸せの回路で包むことが私の夢だ。けれども、私1人では幸せの回路など作れっこない。だから皆様の力をお借りしたい。
今が団結の時だ。
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