(  2014.7.29  小倉昭和館2  )



函館を舞台に、人生に絶望したそれぞれワケありの男女が出会い、

共鳴し愛し合っていく姿を描いた作品。

タイトルから想像するとキラキラした純愛ラブストーリーと思われるかもしれないが、
実際のところは暗く陰鬱でヘビーな世界観の中で芽生えた純愛ストーリーだ。

主人公の達夫(綾野剛)は、かつては鉱山の採掘現場をバリバリに仕切っていた男。
しかし不慮の事故で部下が亡くなってしまったことに責任を感じ山を降りた。
そして酒に溺れパチンコ三昧の自暴自棄な生活を送っていた中、拓児(菅田将暉)と出会う。
拓児は傷害事件の前科があり、保護観察中の身分。
しかし能天気で底抜けに明るい拓児のピュアさになんとなく癒された気分になった達夫は、
拓児に誘われるがまま拓児の自宅へと着いて行く。
そこは、社会的マイノリティの象徴のようなバラック小屋だ。
脳梗塞で寝たきりの父親、介護に疲れきって人として振舞えない母親。
「いいから、メシ食っていけよ!達夫~!遠慮すんなって~~!」
ピュアな拓児は、この惨状を他人に晒すことを恥ずかしがる素振りもない。
「姉ちゃ~ん!メシ作ってくれ~~!!」
姉ちゃん??姉がいるのか??
戸惑う達夫の前に、いささかだらしなくキャミソールをまとった女性が現れた。
拓児の姉・千夏(池脇千鶴)と達夫との、運命の出会いの瞬間だ。

この出会いまでの世界観の散りばめ方が、実に見事。
絶望と絶望をピュアな能天気が結びつけ、不思議な化学反応が発生する。
ストーリー的にはまだまだここから重苦しく痛々しいシーンが続くわけだが、
この出会いの瞬間のフィーリングを最後まで丁寧に守ってあるのがいい。

そこのみにて光輝く・・・

千夏にとっての”光輝く”とは、今の生活から抜け出して東京でお金持ちになるとか、
そういうことではない。
マイノリティの世界でしか輝けないとまでは言わないが、その世界を背負って
生きていく運命にあることくらいは、それとなく悟っている。
そんな自分を理解し、受け止め、すべてを包み込んでくれる存在が欲しい。
自分の境遇を哀れみ、慰め、経済的に援助して欲しいなんて思っていない。

達夫にとっての”そこのみ”は、やはり山ということになるだろう。
部下を亡くしたトラウマを、いかにして払拭するべきか・・・山に戻るにはここが問題。
だがよく考えると、トラウマから逃げる必要はない。
トラウマはトラウマで受け入れつつ、新たなモチベーションを見つければよいのだ・・。

千夏との触れ合いでそのことに気付き、千夏と所帯を持つことにモチベーションを
見出そうと決意する達夫。

そこにきて新たなトラブル発生で理想的なハッピーエンドとはいかないわけだが、
達夫と千夏の美しき魂の共鳴は今後何があってもブレないと感じさせる力強さがある。

ところでこのストーリー、やけに昭和を引きずっているな~~と思っていたが、
やはり原作の小説は1989年(平成元年)に発表されたものだった。
そして著者の佐藤泰志氏は、その翌年(1990年)に自ら生命を絶っている。

佐藤氏が最後に放った閃光も含んでの”光輝く”だけに、眩くも儚い仕上がりなのだろう。

(  2014.7.29  小倉昭和館2  )



余命3ヶ月の父親と、その父の年金を頼りに生活するうつ病の息子の姿を描いた社会派ドラマ。


正直なところ、ストーリーにそこまでの”悲劇”性はない。

国家を揺るがすような恐ろしい悲劇でも起こるかと思って観ていると、肩透かしに遭う。

ただ、今後は日本のそこかしこで起こりうる負の物語ではある。
そういうことを憂いながら生きていかなければならない社会情勢になっていることを考えた上での、
「日本の悲劇」ということなのかもしれないが・・。

とりあえずストーリーは、父・不二男(仲代達也)と息子・義男(北村一輝)の二人のキャストだけで進む。
そしてストーリーの表層的な流れというのも、父がいきなり部屋にこもり出てこなくなる。
ただ、それだけ。

それも単純な”引きこもり”のようなものでなく、内側から釘で板を打ち込む密閉型。
本当に何も知らずに観ていたとしたら、そこからイリュージョンでも始まるのかと思ってしまうくらい。

しかしそこから、小刻みな回想シーン+多少の長台詞で状況説明が続く。
そうやってわかってくるのが、義男の リストラ→離婚→うつ病 という負の循環。
やがて母が急な病に倒れ、そこに震災も襲ってくる。
母は亡くなり、さて父子二人で・・・と思ったところに、父への癌宣告。余命は三ヶ月。

父は考える・・・。
オレが死ぬのは仕方ないとして、オレが死んだ後、義男はどうなる?
この状態でオレの年金という唯一の収入源が断たれれば、義男も野垂れ死ぬ運命か・・・。

そこで父が決断したのは、”引きこもり”ならぬ”閉じこもり”。
「オレはもう、ここから一歩も出ない。そして死ぬ。でも、誰にも言うな・・・」

なんのことはない、いわゆる 年金不正受給問題 ではないか。

ということで、もはやネタばれもへったくれもないが、ストーリーはそれだけ。

おそらくポイントとなってくるのは、 それしか手段はなかったのか?? といったところ。
このあたりに、正直なところ説得力がない。
父があれほど頑なな態度で”閉じこもり”(遠回りな自殺)を決行するに至るまでの
理由付けが弱く、どちらかというとただの奇行にも見えなくないのは残念だ。

そこにきて義男の負の構図を、一生懸命やってきたけど仕方なかった・・・といった方向に
まとめようとしているのもちょっと違う気がする。
ハッキリいって、義男はもっとクズに描くべきだと思った。
たとえば、浮気三昧で離婚したかと思えば今度はヤク中で・・・みたいな。

そんな息子にでも、自らを犠牲にして年金を遺してやろうとする父・・・。
こういう流れにでもした方が、”悲劇”性が高まってよかったのではないだろうか。

しかしこの作品、演出面ではところどころ光るものがあった。
中でもいいと思ったのは、モノクロとカラーの使い分け。
基本的に映像はモノクロなのだが、回想シーンでの”幸せだった時代”だけは
カラーの映像に切り替わる。

人生の闇の(暗い)部分は自分がすべて引き取って逝くから、
お前はもう一度カラーの人生を目指せ・・・
そういうメッセージ性を込めての、父の”閉じこもり”だったのかもしれない。

(  2014.7.23  小倉昭和館1  )



アメリカ南部の綿花農園で12年間も不当な奴隷生活を強いられた黒人男性の

実話を映画化した作品。

この作品に関しては、鑑賞のタイミングというか順番のあやでそこまで鮮烈な印象を残すものではなかった。
というのも、奴隷制度の残酷さや差別の酷さに関してはここ1~2年の間だけでも
『ジャンゴ』や『大統領の執事の涙』において前もって散々目にしてきた。
よって、新鮮味に欠けたといってはアレだが「またか・・」という印象がどうしても残ってしまった。

ただこの作品においてポイントとなるのは、主人公のソロモン(キウェテル・イジョフォー)が
本来は”自由黒人”であったのに騙されて拉致され奴隷として売られたというところ。
つまりソロモンは、奴隷としてでも生きていく術がそこにしかなかった黒人たちと違い、
きちんと職業もあり家庭も持ち暮らしていた幸せを不当に奪われた末の奴隷生活だったのだ。

よって、ナチュラルボーンな奴隷たちと比べてなまじっか知識や教養があったため、
余計に白人たちから「何てめーは偉そうにしてるんんだ!」とにらまれ酷い仕打ちを受ける。
このあたりの悪循環には、何とも痛々しいものがあった。

またこの作品は、白人側にもバリエーションを持たせてあるところに工夫を感じた。
ただ単純に立場の弱い奴隷たちをいたぶることに快楽を覚える者もいれば、
普段のストレス発散の道具として奴隷たちをもてあそぶ者もいる。

うら若き女奴隷のカラダを毎夜むさぼり食う白人主人と、屈辱感に震えながら
見て見ぬふりをしつつも女奴隷を目の仇としていじめ抜くその妻。
この人権無視でさらに誰も得をしない負の構造は、腹立たしくもあり哀れでもあった。

最終的に奴隷制度反対論者のカナダ人・バス(ブラッド・ピット)が出てきて
一人勝ちの”いい人”をさわやかに演じるあたりはちょっと拍子抜けもしたし、
妻や子供がどのタイミングで解放されていたかもわからないまま
感動の再会で締めくくるあたりにはちょっと収まりの悪い感情も残った。

だが総じて骨太の良作であるのは間違いないし、 ベネディクト・カンバーバッジ や
マイケル・ファスペンダー といった二枚目俳優たちも嫌らしい役柄をキッチリと
演じてくれたことで完成度が高まっている作品ではある。

(  2014.7.23  小倉昭和館1  )



スペースシャトルの事故によって宇宙空間に放り出された宇宙飛行士と科学者の

サバイバルを描いたSFサスペンス。

この作品のイメージを漢字二文字で表すとしたら、おそらく ”凝縮” ではないだろうか。

ストーリーの大半は、ライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)がボロボロになった
シャトルの機内で生き延びようと奮闘するシーンに充てられている。
つまり、広大な宇宙の中においてはほんの微粒子程度でしかない空間に
ストーリーが凝縮されているのだ。

キャストも宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)と
先述のストーン博士に絞られ、しかも途中からはほぼストーン博士のみとなる。
よって、感情移入の方向性も自ずとストーン博士ただ一人へと凝縮される。

また、この作品は上映時間が100分弱とコンパクトに仕上がっている。
そう。無駄な余韻を極力省き、凝縮されたストーリーなのだ。

しかし正直、終演後は上映時間の倍くらいは鑑賞したような疲労に包まれる。
なにしろ危機一髪の緊迫した状況がひたすら続くので、力を抜く暇がないのだ。

”晴れときどき隕石”状態の宇宙ゴミを避け続ける序盤から、
機内の爆発→逃避→ギリギリ封鎖 の地獄のローテーションが続く中盤。
そして決死の生還を試みてのイチかバチかの操作選択を迫られる終盤まで、
ハラハラドキドキが止まらない。

それでいて、ストーン博士の心の内情もきちんとカバーしてくれているのがありがたい。
生き延びたいと必死になるにあたっての理由づけがしっかりしているので、
途中で飽きることもなく「ストーン博士頑張れ!」と最後まで感情移入できる。

そしていちばん良かったのは、やはりラストカット。
「よかった~!生き延びた~!」という安堵感よりは、何か違った感情が湧いてくる。
まさしく大地を力強く踏みしめたストーン博士の第一歩には、
新たに生まれ変わったような希望を強く感じた。

”希望の凝縮”とも思えるエンディングが、実に心地いい。

(  2014.7.18  小倉昭和館1  )



1980年代に当時無認可だったHIV代替治療薬を密輸販売し、アメリカのHIV患者が

特効薬を手に入れられるよう奔走した実在のカウボーイの半生を描いた作品。

とりあえず、主人公の ロン・ウッドルーフ を演じた マシュー・マコノヒー がすごかった!
『リンカーン弁護士』のイメージを強く持っていたので、その振れ幅が大きすぎ。
しかしそういう違和感を引きずっていたのもほんの序盤だけで、
あとはドップリと作品の世界観に入り込める骨太な作品だった。

主人公・ロンの序盤の荒れすさんだ生活ぶりには、感情移入なんて到底できない。
酒とドラッグに溺れ、勢いでガラクタみたいなオンナでもとりあえず抱く。
そらエイズにもなるやろ~、自業自得やがな~って感じ。

しかし、いざHIVに感染してからのロンの男気スイッチの入り方がカッコよかった。
単純に「死ぬのはやっぱり怖い。生きたい!」という思いはもちろんあっただろうが、
それよりも患者のことを考えない医療(薬品)業界のビジネスライクなスタイルに
反発するようなスタイルで立ち上がる。
これぞ西部のカウボーイ魂というほどのものではないだろうが、
死に急ぐような生活を送っていた男の一転した「生」のための奮闘ぶりが勇ましい。

メキシコを皮切りに世界中を飛び回っての密輸大作戦は壮大で、
西部からの’’HIV治療大開拓時代’’は実にセンセーショナルだ。

だが結局、途中からはロン自身がムーヴメントの根底を忘れたかのように
ビジネスありきの姿勢になっていくのはちょっと残念だった。

あと、イブ(ジェニファー・ガーナー)の存在がちょっと中途半端だった。
このあたりは実話ベースなので実在の人物に向けての配慮かもしれないが、
ロンの生き様の価値はある意味イブに委ねられているようにも思えるだけに
もっとイブの立ち位置を明確にしてもらった方が収まりはよかっただろう。