イフチアンドル その2

 

 

「ねえ、アマギ隊員、これは・・・もしかして」

モニターを見ていたアンヌが、カメラのような物を回しながらゆっくりと海洋研究所の廃墟を歩くアマギに声をかける。

アマギは、カメラをその場に固定してアンヌの所まで戻ってくる。モニターには、人の手に水掻きが付いたような形に見えるものが映し出されいてた。

アマギたちが研究所の再調査をした結果、研究所のいたる所で微量の放射能反応が検出された。

 

これはここを破壊した侵入者の残した痕跡ではないかと放射能の感知カメラを使用して侵入経路を探っていた。

「これは・・・ファインダーを覗いていても気が付かなかったよ」

「この水掻きから、侵入者は両棲生物らしいわね・・・」

「そうかもしれないな、とにかく何処から侵入したのか最後までつきとめるよ」

アマギは再びカメラを構えながら、先は海岸へと続く裏庭に向かって歩きだす、が・・・・・

「うわっ!!」と、彼は突然叫んだ。

「どうしたの、アマギ隊員!」と、アンヌがモニターから顔を上げてアマギの方を見るが、彼の姿はなかった。

 

 

よろずやの店先

ダンの背後から、今出て来たよろずやの主人の声がした。

「こうりゃ、驚いた・・・海人さんが逃げもせんとあんたをじっと見とるとは」

「かいじん・・・?」

ダンは振り向きもしないで少年をじっと見つめながら呟く。

それから、彼は再び少年の手を見て村役場の村岡が言っていたことを不意に思い出す。

「もしかして・・イサオ・・君?君がイサオ君だね」と少年に尋ねる。

だが、少年は返事をせず、身を翻すとあっという間に波間に消えて行った。

「坊や!ちょっと待って・・・あまり、沖へは・・・」

ダンが声をかけたが遅すぎた。

「ははは・・・やっぱり逃げてもうた・・・」という主人の声の含みには何やら安堵感が見られた。

 

ダンは何か気になり、店の主人の方を振り返る。

「ご主人、一体、その『海人』って何なんですか?・・・どうして、彼をそんな呼び方をするのですか?」

「そ、それは・・・その・・・」主人は言葉につまり、逃げ腰になる。

そして、「そうだ・・・」と急に用を思い出したように主人は言い出す。

「こうしてはおれかった・・・駐在に例のダイバーたちが見つかったと知らせならんかったんだ」

「行方不明のダイバーたちが見つかったのですか」

ダンが尋ねると、主人は今度はすらすらと話しはじめた。

「ああ・・・つい、さっき、ラジオから騒々しげな音楽をかき鳴らして何事もなかったように、海から上がってきた・・・」

「それで・・・」

「俺が、無事だったら、無事で、ちゃんと知らせろよ、おれたちも駐在もこの忙しいのにあんたたちを探しまわっていたんだぞ!って怒鳴りつけたが何処吹く風の様子だったんだ・・・」

彼は苦々しく吐き出すようにいった。そして、店の戸口を閉めカギをかけると、

「・・・・まったく、今時の都会もんは・・・とにかく、駐在のこのことを知らせなくては・・」

主人は空きビンはここへ返しておいてくれと入り口を指さして言いながら出かけようとする。

 

ダンは慌てて、彼を呼び止め、

「それで、そのダイバーたちは何処へいったのですか・・・」

「この先の奴らが泊まっていた民宿の方だ。『浅生』って、この坂を真っすぐ上がって二つ目の角を右に折れた所だ」と、彼は面倒臭そうに言い捨ていった。

ダンはビデオシーバーの蓋を開け、ソガに連絡を取る。

「ダン、どうした?」

「・・・それが、行方不明だったダイバーたちが戻って来たそうです・・・」

「何だって、消息が分からなくなって1週間近くも経っているじゃないか・・・怪しいな・・もし、いたずらだったらわざわざ戻っては来ないぞ・・」

「ええ、何か気になります・・・よろずやの主人が駐在へ知らせに行きましたが、こちらからも彼らに質問しようかと思います・・・宿泊していた民宿の方に戻ったそうですから行ってみます」

それから、イサオらしい少年が家の方へ泳いで行ったことを告げる。

「そうか、俺はもう少し、その孫が帰って来るのを待ってみる・・何かあったら連絡してくれ」

 

 

・・・海は静かだった。

彼の耳にはゆらゆら揺れて寄せてくる僅かな波の音しか聞こえなかった。

イサオは仰向けになって水に浮かんでいる。

太陽に向かって手をかざすと、水に濡れた手の膜を透して光が見え水滴に光がきらきらと反射している。

「こうやって光りに当てると魚たちに負けないくらいきれいなんだけどな・・・」

しかし、あまり日に手をかざしていると皮膚がひりひりしだす・・・イサオは水の中に手を戻した。

(でも、晴れた日は苦手だ・・・ずっと雨の日だったいいのに・・・)とイサオは思う。

ダンから逃げ出したイサオは家に戻ろうとしたが、家の前に止まっている見慣れぬ車に警戒を強める。じっと沖から車内の人物には気づかれないように見る。

その者は、さっきよろずやの前で見かけた男と同じ制服を来ていた。

(あの人の仲間なんだろうか・・・でも・・・あの人とは・・・何か・・違う・・・)

イサオにはその思いの正体がつかめなかった。

(どちらにしろ、彼らは僕に用があったみたいだったけど・・・でも・・・でも・・・いやだ・・・こわいのは・・・いや・・・だ)

イサオは何かから逃げるようにさらに沖に出ていったのだった。

大好きな海に抱かれようやく落ち着きを取り戻す。そして海上にプカリと浮かぶと手を上げて光にかざす。

イサオ自身は自分の手についてなんらわだかまりは持っていなかった。

泳ぐのに便利だったし、水中で美しいヒレを広げる魚たちに少しでも似ていることが、むしろ何か誇らしかった。

(・・・案内をした・・・・あの二人のダイバーに言われた時もそうだった・・・)

 

イサオは一週間前の事を思い出す───

 

「まるでイフチアンドルみたいな子ね・・・あんた」

イサオの手を物珍しげに見て暁美は言った。

「イフチアンドルって?」と、悟志の方がそう言った彼女に聞く。

「何語だったか忘れたけど、『魚に似たもの』という意味だったかな・・・昔読んだ本にあったのよ」

悟志の方はなる程という顔をする。

暁美はややバカにした言い方をしたのだったが、魚に似ていると聞いてイサオは僅かに微笑む。

 

イサオのそんな様子を見て二人は顔を見合わせ何か皮肉げに笑う。

彼らは都会からやって来たカップルで、ただのダイビングポイントは物足りないと民宿の主人の紹介で地元のダイバーの堀上満──港で老漁師に声をかけていたあの満である──をガイドに雇う。

しかし、彼も二人が満足いくポイントに連れて行くことができなかった。

そこで、満は海流が複雑でプロの彼でも難しい海洋研究所の近くの海に潜れるイサオを引き合わせることにした。

 

村人に『海人』と崇められこそすれ、何の経済的援助を受けることのなかったイサオの一家の生活は苦しかった。

祖母は村一番の海女ではあったが、その年齢とこのところは体調を崩し気味だった。

そして、彼らだけが潜れる海域は魚介の宝庫であったが、必要以上にそれらを採ることをイサオは嫌っていた。

 

あのダンと会った時も、湾内にもぐりこんだウツボを仕方なしに槍で狙っていた。

だからと言って背に腹は代えられないことなのに満は思ったが、イサオに忠告してやることはせず、

「イサオ、金がいるんだったら・・・彼らを案内してみないか」と持ちかける。

「でも・・・ばあちゃんが無闇に人をあそこには案内するなって・・・それに、その人たちをつれていったら・・・いっぱい採っていって・・・しまうよ・・」

イサオは渋るが、満は彼を言いくるめようとする。

「ばあさんには内緒にすればいいんだ・・・彼らは魚や貝を採るのが目的じゃない・・・物珍しい海底の様子を見物したいだけなんだよ」

ばあちゃんの調子もいけないんだろ、金があったら薬も買うこともできると満は、さらにイサオの気持ちを動かす。

しぶしぶイサオは了承する。

 

「彼らに気に入られたら、金をはずんで貰えるぞ・・お前のとっておきの場所に案内しろよな・・・」

満は船を操りながら側のイサオに耳打ちする。

船が目的のポイントに着くと、満は悟志たちに念を押した。

「ここは潮の流れが複雑ですから、あの子の後をしっかりついて下さいよ」

二人はいい加減に頷く。だが、水の中に入ると思った以上のだったのか暁美の方がやや流されかけるが、イサオがいち早く泳ぎよってきて連れ戻す。

潮の流れがただものでないことに一同は思い知り、二人は満の言った通りイサオの後をおとなしくついてくるようになった。

一行の最後尾につく満は、先頭の潜水器材も満足に身につけることなく潜るイサオを眺めて、

(イフチアンドルか・・・ほんと妙に言い得ているな・・)と思う。

 

やがて、大きなクレパスが眼下に現れてイサオはその間に潜って行く。しばらく潜ると横穴現れイサオはさらに進んだ。

暁美はしゃいだように悟志の方を振り返る。悟志は親指を立てて頷く。

その横穴の先はほんのり光っていた。先まで行くと空気のある空洞があり、そこの海面に一同が顔を出す。

 

「へぇ・・・こんなところに空洞があるんだ・・・」と、満は見回し呟く。

「坊主・・・おまえ本当に魚みたいなやつだな・・・こんなに息が長く続くなんて・・・」

悟志は、感心したようにイサオに言う。

そんなことには関心かないように暁美は陸地に上がると

「ねぇ、ねぇ、すごいね。海の中にこんなところがあるなんて・・・いろいろ潜ったけどこんなとこ初めてだわ・・・結構広いし・・・」

それから、一体、何が光っているのかしらと岩肌を覗き込む。その時、彼女は妙なものを見つける。

 

「うわっ!何これ・・・気持ち悪い・・・」

直径50センチくらいの無数に突起出た巨大なウニのようなものだった。

「どれどれ・・・うぇっ!本当だ・・・何なんだこれは・・・」

「こんなの見たことないですね・・・ほら民芸品になっているウニの刺があるでしょ、それ程大きな奴がいるけど、これは南洋に生息するものとは違うようだし」と、満も首を傾げる。

お前は知っているのかと満はイサオに尋ねるが、彼は首を横に振る。

ここへ頻繁に来るイサオにも初めて見るものだった。

(そこの海洋研究所に持ち込めば高く買ってくれるかもしれない・・・)と、ふと満は思い、

「とりあえず、持って帰りますよ・・・ウニの亜種かもしれない・・・」

満は、持っていたロープを器用にざっと網状に編む、そして、その生物に慎重にロープの網をかけ始める。

「ねえ、これって新発見なの。そしたら私の名がつくわね」暁美が興味深げに尋ねる。

「いえいえ、こいつだけの突然変異とかそんなのだったら認めてもらえませんよ・・・とにかく近くの研究所で聞いてみます・・・」

ところが、その生物のある部分にロープが掛かるとそれはやや身じろぎをした。

「ちょっと殺さないでよね。それに絶対にその結果はおしえて頂戴よ」

彼女はそう言うのは当然の権利だと言わんばかりに注文をつける。

はいはい、必ずと満は返事をするが、暁美たちの興味の的を変えるようにまだまだすごい所はたくさんありますよ、そちらへ参りましょうと促す。

 

 

数時間後、4人を乗せた船は港に戻って来た。

例の生物は船の水槽に入れられていた。

イサオに今日の駄賃を払っている満から離れ、暁美は悟志に話しかける。

「あそこのポイントはよかったわね・・・また、行って見たいわ・・あしたもあの子に頼もうか・・・」

悟志は、満たちからさらに離れるように暁美を引っ張ってから囁く。

「・・・あそこの近くまで車で行ってボートで海に出られる。別に高いガイド料払わなくてもいいじゃん、ちょっと潮は速いけど、あんな田舎のガイドがなくても、もう俺たちだけでいけるさ・・」

翌朝、二人はイサオの案内無しで出かけた。そして、彼らは消えたのだった。

 

イサオは、彼らだけであの場所に行ったではと思った。

しかし、なぜか満が誰にも二人をあの場所に案内したなんて言うんじゃないぞ、婆さんを困らせたくないだろうと言って来た。そして、満は駐在に二人を案内したのはいつもの場所だったと証言する。

駐在はイサオにも聞いて来たが、彼は黙り込んで首を横に振るばかりだった。イサオもどうしてもそのことを人に告げることができなかった。

 

それから、一週間たった今日、その二人が戻って来たのをイサオはまだ知らない。自分の家の近くまで帰ると例の車がいなくなっているので陸に上がる。

 

「ばあちゃん、ただいま・・・」

「・・・おかえり・・・イサオ・・昼の用意はできてるよ」

迎える老婆には、先程、村岡やダンたちを追い返した勢いはない。

「・・・ばあちゃん、何か見かけない人達が家の前にいたけど・・・・」

「イサオ・・・お前は何も心配しなくていいんだ・・・」

「でも・・・」と、イサオは何かいいたげに口ごもる。

「陸のことで、お前はなんら煩わせられることはないんだよ・・・」

「お前は、いつか、この広い海へ乗り出して行くんだよ・・・そして、お前の海の古里を見つけるんだよ。これは、お前にしかできないことだ・・・」

じつはイサオとあの老婆とは血のつながりは無かった。

十年近く前、岸辺に流れついていた赤ん坊のイサオを見つけたのだった。

「ばぁちゃのばっちゃは、海人と人の間に生まれたといっとった」と自慢げに村の者に吹聴する彼の祖母は、村人たちがその話を信じ、海の申し子かと言われるくらい、海女としての能力は高かった。

それで、家出した娘が彼を置き去りにしたということやイサオが伝説の海人(文字通り村の者は誰ひとり見たことはなかったが・・・)の特徴と思われるものを、その両手の水掻きに見えるものを持っていても彼が老婆の孫であることを不思議と誰も疑わなかった。

 

(ばあちゃんの言うとおり・・・僕は、いつか、海に還るのだろうか・・・)

実の祖母ではないと言い聞かされてきたが、イサオには手以外に自分と祖母が異質な者同士には感じられなかった。

 

(でも・・でも、あと少し、強くなれたら・・・)と、イサオは昼ごはんの片付けをしながら思う。

(ばあちゃんも、この海も守っていけるのに・・・でも、恐ろしくて僕は何もできなかった・・・)

 

数カ月前、海が泣いた・・・どこかで少年が怒り泣いた・・・突然、何か悲しくなった・・・ただ涙が流れた・・・そして、とてつもなく恐ろしくなった。

水を通して伝わってきた何かの思いに打ちのめされた・・・あれは僕の本当の仲間からだったのだろうか・・・

・・・・本当にまだ僕の仲間はこの海にいるのだろうか・・・

 

実際のところイサオには全く何も分からなかった・・・が、言い知れぬ恐怖だけは厳然と彼の心の底に流れていた。

「あと少し強くなれたら・・・」と、イサオは呟く。

 

その時、表の戸を叩く音がした。さっきの人たちが戻って来たのだろうか・・不安げにイサオは、奥で伏している祖母を見る。

彼女は眠り込んでいるようだった。

ギィッと音がして戸が僅かに開いた。

振り向いたイサオは戸口からのぞいている手を見て目を見開いた。

 

 

イフチアンドルその2 了