先日NHKでやっていた番組で、自分が勤めていた施設で暮らしていた
障害のある男の子を里子として引き取り、暮らしている女性の話を
観ました。
彼女がその子を引き取ったのは、ちょうど私くらいの年齢の時
(40代半ばくらい)、彼女が結婚して1年後くらいの時だったそうです。
(彼女は結婚前から、その男の子を週末だけ預かっていました)
彼の親になろうというより、彼を帰さなくていいようにしようという
想いからだったと話します。
そして3人が家族になってから6年後、ご主人がガンで他界。
現在、その男の子は21才となり、社会に出て働いています。
彼女の実家は北海道の富良野で、度々息子を連れて帰省し、
家族の温かさに触れ、元気をもらって東京に戻ってくる、という生活を
長く続けているそうです。
彼女の父親(現在は亡き人)は、その男の子を引き取って育てると
言った時、自分の決断に自信と誇りを持って育てなさいと
言ってくれたそうです。
いつの間にか私はこの女性に自分を重ねて、子供を持つということを
擬似体験している、つもりが、いつの間にか、こんな行動をとる娘を
親はどう見るのか、ばかり気になっている。
番組中で、彼はある里親と里子の番組の同じ場面を何度も繰り返し
観ていました。
それは、里子が『生まれ変わったら、またこの家に来たい?』という
質問に、『生まれ変わっても、また育ててほしい。でも、できれば
産んでほしい』と言っている場面でした。
彼も同じように、産んでもらうところから始めたい、と切望していました。
子供は親を選んで生まれてくると言います。
彼は、たまたま産んだ人が別にいたけれど、彼女の子供になるべくして
生まれてきたんだな~、と思います。
私は今まで、誰が産んだかではなく心が通うことのほうが大切、と
思ってきました。
でも、それはきっと私が親との関係に愛情を感じられなかったから
でしょう。
血よりも心のつながりのほうが大切、と思うのは、すでに血がつながって
いるから言える言葉だと思います。
彼らは幸運にも心のつながりを実感できる里親とめぐり合いましたが、
もし心がつながらなかったら『血がつながっていれば、乗り越えられる
だろうに』と思うのかもしれません。
親子関係の深さをあらためて考える、良い機会となりました。
親子ほど相手への執着や想いが強い関係はありません。
だからこそ、『あの子はこういう子だから』とか『うちの親はこう言うに
決まってる』などと決めつけることなく、いろんな面があることを
お互い認めあうことが大切。
(自分がある人に対して『あの人はこういう人だから』と決めつけてしまうと
その人はアナタの前で他の面を出せなくなるそうです)
親子に限らず、どんな人間関係でも基本は同じなんですよね。