おはようございます、有乃(あの)です。


『初投稿』を書いたすぐあとに、この記事を綴っています。





本当は、〇月〇日〇曜日〜みたいに日記らしく始めたいのですが、これは今日の話ではないので、番外編として失礼しようと思います。




番外編、『私がブログを始めようと思ったきっかけ』。






結論から言うと、私がこれを書いているきっかけは、父です。


もっと言えば、父の書いていたブログ。








私の父と母は、私と、私の双子の姉が小学校に上がるまで、ブログを書いていました。


主な運営は母で、育児日記のようなものを細々と綴っていたそうです。
別段有名だったわけでもありませんが、同じような障害児をもつお母さんに人気だったと聞きました。


そして、そんな母にくっつくように開設したのが、私がブログを書こうと思ったきっかけである、父の日記コーナーです。



もともと大のカメラ好きで、小さかった私たち姉妹やら景色やらに向かって、よくシャッターを切っていました(今はあんまりしない…)。それを載せる場が欲しかったのだとか。



主には写真と、それに添えられるように、日々の雑感、日記が軽く書かれていて。




最初はちらっと覗くつもりだったのが、面白くて読み進めていました。





小さい私達の奇天烈な行動も面白かったのですが、何より好きだ、面白いと思ったのは、父の『文章』でした。



使っている言葉が、別段綺麗だとか難しいというわけではないのに、テンポが小気味よくて面白い。ちょっとひねくれた言葉選びも好きで。


小さかった頃にも読んだはずなのに、その頃は考えもしなかった感想がぽんぽん出てきて笑ってしまうのですが、本当に彼の文章が好きだ、と思いながらじっくり読んでいました。



そのうちに、あぁ、私もこんなの書きたい、とじわじわ思ったのが始まりです。



もともと文章を読むのも書くのも好きで、どこかで書きたい、誰かに見てもらいたいと思っていたのが、父のブログで火がついたのでした。




そして、父のブログにハマったもうひとつの理由として、『私の知らなかった父がそこにある』という驚きを感じた、というのがあります。



考えてみたら当たり前なんですけど。


当時父の仕事がどれだけ忙しかったのか、何を思ってどう行動したのかなんて、なにも知らなかったのです。


物心ついてから見て、憶えた父を、私はずっと父だと思って生きてきましたが、意外と勘違いだったり、見えていなかったりするもので。



母と接する時間の方が到底長くて、知らないことを知らないまま、16年間生きていたのです。



私たちのことなんて、あんまり見ていないんじゃないかと思っていたのに、しょっちゅう成長を感じては感傷に浸ったり。




マイノリティである娘が社会に出ていくことを応援して、父として、親として、気を引き締めていたり。



興味が無いかと思っていた季節行事が大好きで、何年経っても特別感が拭えないような人だったり。(当時はなにも考えていませんでしたが、今になって、私はその血を継いでるなと思います)。



まだ本人には伝えていませんが、近日中に伝えるつもりです。『私も季節行事大好きなんだよ、お花見とか、クリスマスパーティーとかやろうよ』って。笑




別にこのブログを、父のように未来の我が子に見せたいとは思いませんが、備忘録みたいに、10年後の私が見て、若いな、痛いなぁ、ばかやろうだなぁと笑えたら、いいなと思ったのです。



そんな、ふたつの理由でした。