$みくに建設のブログ

最近、「yes」と「no」を言うことを学ばされている。

この間の特別賛美だったり、
プリスクールで教えること、

いや、「no」って言うことを学ばされているのかな。

話を受ける前に、きちんと自分が何をするのかを考える、
歌を歌うなら、歌の内容(歌詞)をevaluateするとか。

プリスクールも、教えたい気持ちが強いけど、
不安で確信がない想いがあって、
期待に答えることよりも、確信を持つことが大事だって。

祈り求めるなかで、
「両方できる」って言葉を2度もらったの。
でも、それは神様が自然にそう導いてくれるのを信じる。
「これってどうなのかなぁ…」って始めるんじゃなくて。

特別賛美は最初にokしちゃったから、後から出来ないっていって迷惑かけちゃったけど、プリスクールはなんとかギリギリ「no」って言えた。

寮母さんも、特別賛美の話の時に、「noって言うことについてのいい経験だったね」って言ってくれてたけど、それを用いて今回のことがあったのかな。もしもプリスクールのオファーについてnoって言うためにあったのなら、特別賛美の経験も良い経験だったんだなって思える。

とにかく。そんなかんじ。



K氏は元気かな?
アメリカ本土、楽しんでる?
早く会いたいよ!



にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
ランキング参加中

お久しぶり :)

日本に帰ってきて、会えるようになって、
全然ブログ書いてなかったね。

でも最近デボーションシェアしてないし、
今日はブログでしようかなって思って。

イザヤ6:8
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」

神様はイザヤを直接召したわけじゃなくて、イザヤが神様の話し声を聞いた。
神様のコーリングは選ばれた数人のためにあるんじゃなくて、
すべての人のためにあるんだ。
神様の声を聞くかどうかは私の耳がどんな状態かによるし、
何を聞くかは私の霊的な態度がどうなっているかによる。
マタイ22:14は「招かれる人は多いが選ばれる人は少ない」と書いてある。
これは選ばれていることを証明する人が少ないっていうこと。
選ばれた人っていうのはイエス様を通して神様とのリレーションシップを持って、霊的な状態も変わり耳も開かれた人。そして「誰が私たちのために行くだろう?」っていつも問いている神様の声を聞くことが出来る。
でも、神様は1人の人を選んで、「さぁ、あなたが行きなさい」とは言わない。
神様はイザヤにコーリングを押し付けなかった。
イザヤは神様の前にいて、神様のコーリングを耳にはさんで、
彼の自分の自由とチョイスで「私がここにいます!私を遣わして下さい。」と言ったんだよね。

神様が来て自分に強制したりお願いしたりするっていう期待を取り去りなさい。
主が弟子たちを呼んだ時だって強いプレッシャーを外からかけることはしなかった。
静かに、かつ情熱を込めて言った「私についておいで」の言葉は、
その言葉を受け入れたいと思う人へ語られた。
神様の御前に連れてって下さる聖霊の働きを私たちが許すなら
私たちもイザヤが聞いた神様の声が聞こえるだろう。
そして私たちも自由に「私はここにいます!遣わして下さい」というだろう。

ーオズワルド・チェンバース、My Utmost For His Highestから。


かおも、何か奇跡的な啓示や明らかな何かを神様に求めてたかもしれない。
でも、神様が全ての人を遣わしたいと思っていらっしゃって、
その召しのインビテーションはかおにも送られているんだ。
だから、「かおり、ここに行きなさい。」って言われるのを待つのではなくて、
「あなたのために行きます!」って言えばいいんだ。
だって、神様はもう既に機会を下さっているもの。
私はそれを受けるべきだと思う。

だから5月に戻ってこよう。
学校、手伝おう。
与えられている情熱のまま、神様に従おう。
ユースのミニストリーも手伝おう。
そのためのトレーニングは神様がして下さったから。
あと半年、必要な準備が出来るように祈る。
また必要もすべて満たされると信じて、つとめる。

神様は私の祈りに答えて下さった。

予期していた答えではないけど、
ちゃんと私の祈りを聞いて下さって、答えて下さった。

感謝します。

神様は、私のこと愛してくれてるんだね。

神様やさしいな。




感謝します。






と、言うことで…
私と神様の関係はこんなかんじ。

けいちはどうかな?

デボーションシェアしてね :)


143 babe.


love,
lauren
hey Kei

随分久しぶりだね。
メールやらスカイプやら出来てたから
ブログをすっかり忘れてたよ。

さて、最近かおはエペソを読んでるよ。
今日はエペソ5節。
1節だけだけど、じっくりゆっくり
噛み砕いて読んでみた。
わかりにくいから、3~5節を載せるねakn


エペソ 1:1-2は簡単な挨拶。

エペソ 1:3-5
わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
→これは1世紀頃のよくあったユダヤスタイルのお祈り。
私たちが聖霊をもらっているっていうのは、将来もらえる祝福の保証ってこと。よく「モノが与えられて、祝福されてます~」とか「日々充実してて、祝福です~」とか言うけど、クリスチャンの本当の祝福は天にある。将来もらえる、待ち望むべき祝福を神様が用意してる。その希望があったから、初代クリスチャンたちは迫害も乗り越えられたんだろうな。

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
→私たちが選ばれたー救われることは、この世が創られる前からもうプランされてたこと。人間が罪を犯したから救われたんじゃなくて、罪がこの世に入ってくることさえ神様のプランだったんだね。私たちが何かしたからじゃなくて、アダムとイブが何かしたからじゃなくて、影も形もない頃からそう決めてた。すごい!だからこそ、救いは私たちの功績で全くなく、すべて神様のお陰なんだ。神様はずっと、私たちをご自身のものとしようって計画を持っていたんだ。そして、わたしたちは聖なる、汚れない人になることがずっとプランだったんだ。

イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

→定め。私たちは「何かのため」に選ばれた。それは神様の子供になるため。これも、御心のまま。そして前もって。つまり、私たちや何かがそうさせたのではなくて、神様がそうしたいって自分でずっと思い計画してたから、自分からそうしたってこと。これを知ることはスゴく大切だよね。だって、神様は誰かに動かされているんじゃなくて、ご自身の御心によって動くから。


{祈り}
天のお父様、私を子供にしようと、イエス様を送って下さってありがとうございます。これ以上ないかたちであなたの完全で大いなる愛をイエス様を通して示して下さいました。ありがとうございます。また、あなたのことを小さい頃から教えてくれた両親を感謝します。私がなにかしたからじゃなくて、あなたがそう望み、あなたが愛であるから救われていることを信じ、感謝します。thank you so much, Father. イエス様を通して神の子供とされ、天に待ち望むべき祝福があることを信じて感謝し、救い主イエス様の御名によってお祈りします
アーメン


* * * * *
それでは、かおはこれから宿題にいそしむよ。
ではね!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
ランキンGOO!