第一話 梅の木
今は昔、本朝に第六二代、村上天皇の朝に夕にご覧になって愛で給ひける梅の木ありけり。いつもなら、時巡りて白妙の雪をとかす春風もふきそめしよりすぐにでも、他より早く花開きたるを、ある年開かりければ、梅の花のこいしう思召し、よき梅の木あらば持ち帰れとの仰せあり。これを受けて臣下の者、馬にて京を見巡る程に、げにその咲ぶり枝ぶりは、蘭に似てこれ芳しく、夕日を受けて香りの花ひらく、これならでは何か進ずべきとて、直ちに家主に勅なればとて、根より堀りてぞ持ち帰る。
去るほどに天皇ご覧じてお喜びの程なのめならず、ご尊顔たちまちほころびにけるが、ふっと気のつくひと枝、「かの枝なる短冊はいかに」「あれなる短冊、この梅の木を掘り起こして持ち帰らんずる所に、家主の何やら書いて密かにひっかけたげと存じまする」「とりて見よ」とて開けば、一首の歌かきつけたり。「いかに」「は、一首の歌にござります」「読み上げよ」臣下の者、しばし読み上げかねて、ついに申す。
勅なればいとも賢き鶯の宿はと問はばいかに答えむ
天皇これを聞こしめし、しばしは色をも変え給はざりしに、涙の一滴、お流しありけり。
謹按条
つらつら思ふに己が情けの及ぼすところの生き物に、塵程たりとも塁これ及ばば、我が身の裂かるるがごとき心地して、立つとも立たず、居るとも居られずなるべきもの。この時の村上天皇もさぞお悲しう思し召しけむ。
我青年の頃、家の庭なる木、春の芽吹まことに愛おしく、また冬につける実のあが心赤きをついばむ鵯の愛おしさ。草木を愛づるとはかかる心地ならるべしと思ひしに、父、その木を剪定すと仰せあり。なんたる事と思へども甲斐もなし。枝きり鋏をおっとり庭に脚立をうっ立てて、ぶつりぶつりと切り落とさるるを、窓より眺めし事もありしか。物を愛づるてふ事、かくの如し。
但し、謹んで記すに、村上天皇もし御寵愛の梅の木の今年は咲かざるとて別の梅を御所望の事真ならば、冴やかならざる趣禁ずる能はず。かかる所に目の届くやうになるべき也。
第二話 ごんぎつね
昔々、ある村に十兵衛という人といたずらっ子の狐のごんが住んでおりました。ごんはことあるごとに十兵衛にイタズラをして、その度にかんかんになって怒る十兵衛を楽しんでいました。
ある時、狐がふと見ると、沼でうなぎをとっている十兵衛を見つけました。「これは面白い」と思い、狐は気づかれないように、とったうなぎをいれている桶をそっとひっくり返して、うなぎを皆んな流してしまいました。すこし物音がしたのにきづいた十兵衛は、振り返ってみてみると狐がうなぎを逃しているではないか。「あ!またお前か!こら!!」というのも遅し、うなぎは皆んな逃げてしまいました。
存分にからかって楽しんだその日の夜、狐が十兵衛の家の前を通り過ぎると、何やらお経の声が聞こえてきます。覗いてみると、皆神妙な顔をしてお葬式をやってるようでした。誰が死んだんだろうと思い、じいっと見ていると、十兵衛のおかあがいません。「あぁ、十兵衛のおかあ、死んだんだ」と思いました。そのまた帰ろうとするとき、中から話し声が聞こえてきました。「あいつ、今日もおっかあに元気になってもらおうと、うなぎ食べさせてやろうとしとったのにな」「そうやな」…狐は驚きました。「そうか、あのうなぎはおっかあの為にとっていたのか…これは悪いことをした」と思い、深く深く反省しました。
次の日、十兵衛になんとかお詫びをしようと、ごんは魚屋さんに行き、魚を数匹加えていって十兵衛の家の前にそっとおいておきました。「これで少しは喜んでくれるだろう」と思い、じっと陰から見ていると、何やら人がかけてきます。魚屋の親父です。「こら!十兵衛!でてこい!」「へぇ、なんでござんしょか」「てめえ、魚盗みやがったな!ちょっと顔かしやがれ!」といって胸ぐらを掴み二、三発ぶったたき、「今度やったら承知しねぇぞ!おかっつぁんなくしたから、何やっても許されるて思っとったら大間違いじや!」ごんは、これは取り返しのつかないことをした、盗んだ魚ではだめなんだなと思いました。そして今度は山へ入り、くりやきのこをたくさんとってそっと家の前においておきました。これを何日も続けました。
ある時ごんが山を歩いていると、十兵衛の話し声が聞こえてきました。「このごろずっとうちの前にくりやきのこをぎょうさん置いていってくれる人がおるんだ」「おおそうか、そらよかったなあ」「わしや何にもした覚えねえのに、有難いことで、お返ししたいんだが、あら誰だろなあ」ごんはとても嬉しくなり、益々きのみをとって置くようになりました。
そんなある日の夕方、いつもの通りごんはたったきのみやらほったたけのこをざるに入れて家の前におこうとしていました。その時、十兵衛が丁度窓の外を見てごんに気づきました。「あ、またあいつだ。今度こそ逃がさなねえぞ」と、そばにかけてある鉄砲をとり、静かに狙いを定め、ざるをおき終わって今しも帰ろうとするごんを「ぱんっ!」と打ってしまいました。「よし!やったぞ!」と言いも終わらず、かけつけ打った狐を見るや、なんといつも栗や木の実やたけのこをざるに置いてくれていたのは、いたずら者のごんだったのです。それにきづいた十兵衛は、その場で膝から崩れ落ちました。そしてもう動かぬごんに話しかけるのでした。「ごめんよ…お前だったのか…すまねぇ…すまねぇ…」
謹按条
つらつら思ふに、これは情である。即ち十識の話である。また特に、人情である。誠に悲しい話でしょう。この情が人の世を包んでいるのである。
第三話 可哀想な鳥の話
第四話 弟橘媛命
第五話 でんでんむしのかなしみ
第六話 忠犬八公物語