最近は過去の情緒に住んでるらしい。
情緒の種類に現在、過去、未来とある。人の子の生い立ちにおいては、まず過去。それから現在。そして未来という風にできてゆく(というかあらわれていく)。
過去は懐かしさ。何となく懐かしいんですね。
岡先生の名句
青畳 翁の頃の 月の色
これは名句ですが、こんな感じ。あるひは、
神代より いくよろづよになりぬらむ
思へば久し 秋の夜の月
これは皇統の懐かしさ。まぁ、秋の月につけて詠むと流石に繊細な調べになって、懐かしさ特有の鋭さはなかなか表現できてないですが、しかしいいお歌ですね。また、
竹の葉に みがける玉の秋の月
千代に八千代に枝ながら見む
これもいいお歌ですね。
万葉の額田王の難読歌の解釈の一つに、
夕月の あふぎて問ひし 我が背子が
いたたせりけむ 厳橿がもと
というのがありますが、これは懐かしさ特有の鋭さを持ってますね。秋の月にはそれがない。
まぁ、そういうわけで、最近僕は非常に何となく懐かしい。お陰で何もやる気はおきぬ。困ったものです。笑
先日こんな文章ができました。
暁しづかに寝覚めして何やら涙とどめあへぬ。何とてこの夢さまさんと思へども我が身になすべきこともなし。只待つのみぞ人のわざかと思ひて、今一度毛布ひきよせ横様に、見上げる天井、ああ懐かしや母の声父の顔、ほろほろと鳴く山鳥の声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふてふ行基菩薩の御歌くちずさみつつ、ねむりにおつるもうつろうつろ、巡るこの世の思い出や、寺の鐘響き渡れば雁が飛びゆく秋の雲、はなすすきのなびく草原に風ふけば、路ゆく旅人我か他人か、単衣に願ふは月光の心ふかくぞさし玉へ。
流れは良いですね。よい叩き台にはなりそうです。
さて、今日も一首できました。これはなかなか上手く読めたのではなかろうか。
常世なす伊勢の潮路の潮津神
あは霧たてて 行方知らずも
はやく現在に戻りたいなぁ。
今僕は生まれ変わり中と言えるでしょうね。
懐かしさは今生をでたものと出てないものとあるが、出たものでないと全然懐かしいという気がしないので、本質的には今生の巡りを出たところに由来するのを懐かしさという。
僕は最近懐かしい。