うつしよは端なき環のごときものにして、帰すとあらはるとの廻りの大小、無始の始めよりつづいたり。そもそも天地開闢より初め、常住不易なる月宮殿あり。即ち原始天尊天月読尊と申し奉る。この月尊、転じて男女一対の造化と現る。男尊、天月読尊、これは女尊をなつかしむ月影なり。また女尊、天照大神、これは男尊現成を喜ぶ日の光なり。


世の初め、常世なす伊勢の海路のかなた、月宮殿よりうちよする白浪磯風にふかるるままに、天雲のゆたなる心地おもほへて、これを姿と現し給ひ、ひとつの粒となしたまふ。一度世にいづれば宿命の女尊夢路にかよひ、未だ星もならざるうつしよ、ぶらりぶらりとただよふ中に、会い難きものと再会のよろこび、日の光さし来れば、即ち相あらはれたまひ、物の初めとぞなりける。かくなる程に浅緑とよ葦原の中つ国のなるべき星こそ現れ出づれば、日月二尊の御心の波、更にしぶきを強うして夢路にかよひ来れば、粒の集まりを我が身としたる者なりきたり。かかる如き現成の有様、なりなりて極まりなし。ついに大海なる魚となれり。


ここに一匹の魚あり。常世なす、日のみ光に誘われて、ついに大海をいづれば、我が身を照らす日の光、ひらりひらりと雲遊び、あな嬉しやと父母に抱かれたる心の暖かさ。これぞ魚の陸上がりの深淵微妙の二尊のからくり。去るほどに花は蝶にえみ、花と遊ぶ蝶の数々、二尊の現成極まりなし。