生活保護を受給してから今まで【前編】
続きです。

NPOモヤイによる交渉のおかげで福祉のケースワーカーを説得することに成功し、僕は3ヶ所目の施設に移ることになった。
そこも更正施設で前の所より人数的には下だがそれなりの収容人数である。
ラッキーなことにここも綺麗な施設だった。施設に入所して初めこそは一時的にカーテンで仕切られただけの4人部屋になるが一週間ほどで個室に移された。
再燃したパチスロ癖も金銭管理されたこともありすっかりなくなっていた。
お金は15日間隔に一度9700円くらい渡された。タバコを吸うのでかなり厳しかったため、「わかば」を小分けにして本数を決めて吸っていた。
ちなみに3ヶ所目の施設は品川なのだが、なんの因果か隣の敷地にある建物は僕が保護を受ける前に入れられた施設でびっくりしたのを覚えている。
半年ぐらい経った頃、とあるオッサンが入所してきて仲良くなったが、後に暴力団を名乗り僕を脅してくるようになった。警察にも相談した結果、施設を出て地元に避難することに。そこで勤めていたパートの仕事もやめ、船で3日近くかけて地元に帰った。
その後も暴力団を名乗る人間はしつこく、居候先に度々手紙を送りつけてきたり電話などがあったが全て取り合わず、手紙は封を切らず郵便局から差出人に送り返し電話は着信拒否した。それから半年ぐらいでようやく諦めたようだった。

地元に帰郷して一ヶ月後にはデイケアに通うことになり追って申請した生活保護の受給も決まった。環境は田舎で自然に恵まれているので精神を落ち着けるにはいい場所とは思う。しかし社会に出てほとんどの時間を東京で過ごしてきた僕にとってもはやそこは一生涯過ごす場所ではなくなっていた。
半年か一年が経った頃、同居している母親と金銭トラブルが絶えなくなった。
親も生活保護である。もっと言えば、当時保護を切られている親の受給が決定したのも僕の受給が決定したおかげである。
親は地元のとある男性がきっかけでパチンコにハマっていた。親が生活保護でパチンコをしている期間はかなりの年月になる。パチンコが原因でサラ金にも借金して自己破産しているがそれでもやめられず、いまだに人から借金してまでパチンコを続けている。何より許せないのは、生活が成り立たないのは息子である僕のせいだと周囲に繰り返し言っていることだ。自分の弱さを内省する力が皆無なのである。
喧嘩が起きる度親が110番するので警察が家にきた。それにより、過去に母親から受けたDV以来の復讐心が再燃する。
現在はその母親とは口を一切きかなくなり数ヶ月が経つ。こんな未来のない田舎で一生を終えるつもりはないので、準備ができたら3度目の上京をするつもりでいる。
親との縁を切り、自分の感ずる生き辛さがなんなのかを今一度確かめにいく。

話としてはこんな所だろうか。
思い出せるものはだいたい書いた。
前編からお読みいただいた方、お疲れ様でしたm(_ _)m

生活保護(以下、保護と記す)を受給し、障害者となってから大体4年くらいが経過したのでこの期間に起きたことを思い出せる範囲で振り返る。

元々保護を受給する以前は精神科にも行ったことはなく、健常者として労働していた。この労働者であった期間は19歳から27歳までだったと思う。この間、実に数多くの職場を転々としている。
最後の職場は川崎市にあったが、上司のパワハラに耐えきれず姿を消した後、都内のとある漫画喫茶に数日間滞在していた。所持金が底を尽き、そこから数日はホームレス状態が続いたが、不幸中の幸いでiPhoneと充電器は所持していた。
各施設にある外壁のコンセントでiPhoneを充電しながら、たまたま見つけたホームレスを支援する団体の炊き出し(最新情報ではなかったが)を元に渋谷代々木公園で二回炊き出しに参加している。
このような状況でもタバコは吸いたかったので、渋谷区内の公園内で拾えるしけもくでしのいだ。最終的にようやく役所に助けを求めることを思い付き、現在地から一番近い役所をGoogleMapから割り出した。
そこに表示されたのは渋谷区ではなく目黒区。ルートに沿って役所前にたどり着いたがまだ時間が早かったので粗大ごみで捨てられていた布団のようなものに足を突っ込み寒さをしのぎながら時間まで待機。福祉科に相談したらとりあえずの処置みたいな感じで品川区にある都が運営している施設(現在は閉鎖されている)に送られた。2週間後、そこで心理士によるカウンセリングがあり色々言ったら「あなたは病院に行ったほうがいいね」と言われ渡された報告書とともに目黒区役所へ再度赴く。
そこで初めて保護の申請をすることができた。担当のケースワーカーとも面談。その後目黒区内のNPOが管理しているボロくてこじんまりした場所に入ることに。
そこは二人部屋だった。一人部屋でない不便はなによりテレビのチャンネルと空調の調節が自由にならないことである。健常者ならそれくらい我慢しろと思うだろうがなにせ酸素ボンベ必須の身体一級障害者もぶち壊むぐらい障害者に対する配慮はなく本当に辛かったのでなるべく外で過ごすことにした。
目黒の施設にいた時、刑務所上がりのチンピラみたいなのがいた。そのチンピラは後にアパートを借りて出ていくが浮かれたのかキャバクラ等で散財し、挙げ句の果ては同席していた僕に足りない生活費を工面しろと言ってきた。派遣単発で稼いだお金をいくらか渡したがその後も金の要求は続き目黒の施設の寮長からも金を借りろと言い出したためことの全てを寮長と福祉のケースワーカーに報告。目黒の施設はチンピラに場所を知られているため移動することとなった。僕が目黒の施設を出た後も何度かそのチンピラは僕を探して尋ねてきたらしい。2ヶ所目の施設に移動したその年の年末。目黒の寮長に連絡したらどうやらそのチンピラはどこかで窃盗か何かをしたのか警察に逮捕されたようだと情報が入る。同時期に目黒のケースワーカーからはチンピラに対する借りは今後チャラになるから気にしなくてよいと言われていたのでなるほどと思った。チンピラのその後の消息はわからない。
2ヶ所目に移動した施設は新宿と中野の堺にあった。保護受給者は1ヶ所目の施設みたいにタコ部屋だったりプライバシーがないケースが珍しくないようだがそこはその点かなり恵まれていた。23区の保護費でカバーできるギリギリの予算ではあるが部屋は全て個室で冷暖房完備。風呂とトイレは共同である。そこには50名ほどが暮らしていた。
ナマポ受給者も50人集まれば喧嘩いざこざは日常茶飯事。なるべく関わらないように過ごした。そこで1年ほどは穏やかな時が流れる。
ある日、当時どハマりしていたアニメのパチスロ機が出るとの話題が出た。保護を受給する前の仕事の時からスロット通いはやめていたがそのアニメの演出見たさにとうとう手を出してしまう。その時清掃のアルバイトをしていたけど初給料のお金も某アニメスロットに全てつぎ込み、最後は持っていたノートブックも秋葉原で売り払ってしまった。止まらなくなった状態の某日、アニメスロットを打っていたが寮の門限が迫っていたことに気づき、寮長に電話した。「何してるんだ。早く帰れ。お前のケースワーカーに言ってやるぞ。」みたいなことを寮長に電話口で言われたと思う。以前から寮長の対応には不信感が募っていた。頭にきたのでバックレてしまう。
その日から新宿某所のパチンコ店と漫画喫茶を往復する日々が始まったが異変はすぐにやってきた。泊まり込みしていた漫画喫茶2日目ぐらいの夜、暇潰しに無料配信されているアニメを見ていたが、途中からまともにアニメを見られなくなった。具体的にはカット割りされて流れる映像を映像として認識できなくなり、音だけが耳に届いていた。目の前はボヤけた状態。実は前日から横になってはいたがほぼ眠れていなかった。そのまま翌日も開店からスロットに噛りついていたせいで目と脳には疲労が蓄積されていった。当時はこれが統合失調症の症状かと勘違いしていたのだが後にも先にもおかしかったのはそれだけなので今振り返ると単に緊張からくる不眠不休が原因のようだ。あちこち移動していた記憶はあるがボーッとしていたりなかば夢見的な感じではっきりとした足取りは覚えていない。気づけばiPhoneの入った鞄はなく、ようやく正気に戻った時にはお金もなくなりかけていた。
2週間くらいして目黒区のケースワーカーに連絡したがおかんむりで匙を投げられ相手にされなかった。ついでにバックレた施設にも行ったが「お前の荷物は全て処分した」で門前払い。
漫画喫茶の滞在費が切れる当日、無い頭を一生懸命振り絞ってインターネット検索をかける。そこで一つだけ有力な支援組織が見つかった。NPOモヤイ。サイトの案内では指定の曜日に予め予約すれば面談が出来そうであったのでチャージ残額僅かのプリペイド携帯で電話してなんとか予約をとった。面談当日まで200円でしのぐ必要があったからマックで100円のコーヒーを注文して夜明けまで粘った。店内には同じような身の上と思われる人が何人もいて寝ると発見した店員に寝るなと起こされていて深夜のマックに都会の闇を感じた。
面談当日。その日モヤイはお休みだったらしくもう一人の面談者と雪が散らつく中待っていたが幸運にもたまたまスタッフの人が現れ、僕を見るなり事情を察知したのか翌日までの滞在費を渡して「明日また来て」と言われた。
翌日、事務所に通されて別のスタッフに改めて相談。匙を投げた目黒区のケースワーカーに粘り強く交渉してくれたおかげでなんとか次の施設を紹介してもらうことになり、その日のうちに移動が決まった。まさに神対応と言う他ない。(後編に続く)
ここでまとめた内容の続きになるが、2ch界隈から飛んでくる生活保護バッシングの本質は主に『自分とそう変わらない年齢層の人間が生活保護を受給しているという事実が許せない』『自分に入ってこない金は全て悪!』の2つであると感じられる。単純というか分かりやすい思考形態ではある。。。

これは私の周囲にいる20~30代の生活保護受給者のケースの話だが、大まかに2種類のタイプに分類される。一つは、働いてはいるが収入が足りず、そこに生活扶助を支給されているケース。もう一つは、なんらかの精神疾患を患っていて健常者と同じペースで仕事につけないため生活保護を受給されているケースだ。

この2chまとめ
で叩かれている主なコメントの内容としては(全部は読んでいないが)「まだ30代なのに生活保護を受給しているなんて許せない!生意気な口をきくな!」「いいから働け!」と言った感じと受け取ったのだけれど、先も記した通り、若年層の生活保護受給者にも事情は色々である。というか、彼らのバッシングには多分に先入観と無知が入り混じっている。

恐らく上記の2chまとめ記事で生保を叩いている人たちは、その辺への想像力が足りていないのだろう。それは若年層の生活保護の実態を知らず、生活保護の『不正受給』のほうへ目が釘付けになっているせいだと思われる。

現状の生活保護の問題点については専門的な内容を書いているブログは多々あろうかと思われるのでここでは省くが、そちらが槍玉に上がる一方で、本来救われるべき、受給されるべき人たちへの問題点を指摘しているところというのは、心なしか影が薄いように感じられる。

結局『世論』とかいうやつは、「弱者は社会のお荷物、早く死ね」という本音で大勢が占められているのが現状なのではないか。

仮にそれにならって考えるならば、真っ先に死ぬのは若年層の生活保護受給者ではなく
高齢者世帯と傷病者世帯の生活保護受給者であることはまず間違いないのだが、残念ながら、彼らはそのことに気づいている素振りはない。悲しい現実である。

ともかく、これからの少子高齢化社会、社会復帰を支援してあげるべきは、高齢者世帯よりも若年層の世帯受給者であるはずだ。これを単純に切り捨ててしまうことは、回りまわって働いている人たちの首を絞める結果になってしまうはずなのだから。

これは他人事ではない。今の時代、いつ自分の首が切られるか、分からない。

そんな時代に、僕らは生きているのだ。

2013-10-03 05:13:29 (旧ブログコピペ元記事)
テーマ:生活保護