2016.12


毎日が生きた心地しない

お母さんがいない

お母さんに二度と会えない

毎日何かに怯えながら生活する

生活といっても、ただ息をしているだけ

とにかく生きている事が怖い

子どもたちも私が元気ないのを心配して

毎日のように手紙をくれる

嬉しい…なのに気持ちが上がらない自分を責める

最低な母親だ

恵まれているのに笑えなくて最低

作り笑顔さえも難しいほどに堕ちてしまった


義母は私が塞ぎ込まないようにと

とにかく散歩や買い物に誘ってきた

でも私は何もできない

歩くのも辛いしそもそも食べる事もしたくない

だからといって何かしていないと

漠然とした不安感に押しつぶされて

ジッとできない

今にも心臓が潰されしまいそうな感覚を持ちながら

義母に連れられ外出する

気合いで必死で何かから逃げるように

自分を奮い立たせて

頑張れ、頑張れ、と…

まさに白黒の世界

色なんて何もなかった


眠る事が不安になり

薬を飲んでもすぐに起きてしまう

息ができない

夜中に目が覚めるとまた

地獄に落とされたような

猛烈な苦しみがやってくる


お母さん…

会いたいよ…

苦しいよ…

私はやっぱり

お母さんがいないと

生きていけないよ…


そんな中誕生日を迎えた

35歳

35年前にお母さんは私を産んでくれた

こんなに自分の誕生日が苦しいものだなんて

その時初めて知った


友達からのおめでとうのLINE…

もうお母さんが亡くなって1年が過ぎていた

もちろんみんな普通に明るく祝ってくれた

でも当時私は一年遅れの哀しみのどん底

返信しようと思っても

携帯の文字を見る事すらできない

とにかく辛いのだ

めちゃくちゃ頑張って

ありがとうスタンプを押した気がする


冬休みに入り

旦那の実家でお世話になる事になった

義母が私と娘2人を連れて

年末年始は義実家でただボーっとするだけ

年賀状を出してくるのできる?と聞かれ

久しぶりに1人で外に出た

たったの20メートルくらい

その20メートル先の郵便局に一人で行けた

それだけですごい事だった


新年を迎え親戚が下に集まってきた

私は1人、寝室の布団にうずくまり

笑い声が響く中

ただひたすらずっと涙を流してた


その年初めて実家には帰らなかった

お母さんがいない家に入れないのと

飛行機に乗るとパニックで動悸がするから

それに

父の声を聞くと闘病中の辛かった時が蘇って

苦しくなったり

父の前では頑張ってしまう自分がいて

もう限界をかんじていた

電話がかかってきて

お父さん

という文字だけで動悸がして

連絡をとる事ができなかった