6年前の6月

母は膵頭部十二指腸切除術を受けました

目に見えている癌は全てとりました

ただ血管の周りに滲出していた癌はこれ以上は触れませんでした

再発の可能性がかなり高いことを告げられました


母には取りきれたとだけ説明しました

その後予防のための抗がん剤をやりましょう

と言われ

母は仕方ないね、やるしかないね

と言って頑張っていました

母は元から小柄でした

術後うまく食事がとれず

更に痩せた身体に抗がん剤、、、

体力もなかったと思います


それでも母はこの先も生きるつもりでした

身体が思うようにいかない不安を抱えながらも

先生や私の言うことを素直に聞き入れ

頑張っていました


6月に手術をしてから

ずっとお腹の張り感が苦しいと話していました

先生は術後ですから、、、

と言ってましたが

術後何ヶ月経っても張りは治らず

何度聞いても原因は調べて貰えませんでした


そして6年前の10月

朝から母を起こしても起きないので

原因を調べます、と父に連絡が入りました


そこでやっと術後初めてCTを撮りました


その結果を聞きに父と母が呼ばれました

(私は飛行機で移動する距離の地域に住んでいます)


CTの画像を見て先生が言ったのは


肝臓に癌が転移しています

抗がん剤も全く効いていません

余命数ヶ月です

ここでは治療できません

これからの事をご家族で話し合って下さい


という言葉でした


その日から亡くなる日まで

前向きで明るい母と普通に会話ができる事はありませんでした


先生。

何で先に家族に相談してくれなかったのですか

母はネットとかで調べる人ではないし

まだガラケーの時代

胆管癌ってどんな病気なのか

母の情報は私たち家族か、先生、あなた達だけなんだよ

生きる事しか頭になかった母に

なんて残酷な事を

何の前触れもなく突然母に言ったの?

お母さん、それがショックで倒れて

声にならないほど苦しむだけ苦しんで

家族とまともに話せないまま天国へいってしまったよ


癌が見つかった4月から亡くなった11月までに

担当医が何人も変わった

最初の担当医が執刀するのかと思ったら

4月に赴任してきた先生が執刀し

6月母の術後1週間で

居なくなった


は?


執刀医が1週間でいなくなる


何のための2ヶ月だったのか


大学病院の医師はそういうものななか


今でもお母さんがお母さんじゃなくなったこの時期になると

心をえぐられた気持ちになる


あの時一旦家族に説明していてくれたなら

お母さんはショックで倒れてしまう事はなかったと思ってる

苦しい最期だったには変わりないだろうけど

少なからずお母さんだって

言いたいこと、やっておきたい事だってあったはず


悔しい


憎んでも恨んでも仕方ないから

口にすることなかったけど。


医者にとっては沢山の患者の中の1人かもしれないけど、家族にとっては大切な大切な人の命

同じ病気でもみんな症状が違うように

性格もそれぞれ違う

言い方やタイミングを考えてよ


私はお母さんが余命宣告を受けて

ショックで倒れてしまったのを聞いて

飛行機で飛んで帰った


目の前にいたお母さんは私が知ってるお母さんよりずっと細くて、頑張ってたのがよくわかった

私が戻ってからのお母さんは更に

可愛そうなくらいに変わり果ててしまった

しかもすごいスピードで