射し込む光が変った
雨が止み、雲が晴れ、部屋の明るさが急に変った瞬間が、
丁度このブログを再開しようとキーボードをたたき始めた瞬間だったので昂揚した。
まるで、僕の心と、世界が、無意識にシンクロしているかのようだ。
そう、最近、集合的無意識についてよく考える。
集合的無意識とは、人類は、無意識の根底で、
普遍的に横たわる共通感覚を持っている、というような意味で、
僕はこれを少し過大解釈して、人類、及びすべての生命の無意識は、
その根底で、ひとつの世界のようにつながっている、と考えている。
僕の心の状態が、主に集中力によって変容するとき、
僕の心は、この集合的無意識にダイブする。
そしてこの集合的無意識の波紋は、
僕の目の前の世界に侵食し、
結果、冒頭のような偶然のシンクロが訪れるのではないか?
というようなことを最近は特によく考える。
僕の周りの友人たちは、あっと驚くような偶然の体験をする人が非常に多い。
そんなみんなもまた、集合的無意識にタッチしながら
日々の生活を送っているのではないか?
と、常々考えてしまう。
未来、僕らが集合的無意識に、ずっとアクセスした状態で
互いのコミュニケーションを図るような世界が訪れたら
それはどんな世界だろうか?
イルカは感じたことを音波で相手に伝える。
音波で伝わるその情報に誤差はなく、
イルカたちは、感じたものを感じたままに伝え合っているのではないか?
という話を聞いたことがあるが、
集合的無意識の世界で行うコミュニケーションは
丁度そんな感じなのではないだろうか?と
僕はなんとなく想像しているのです。
虹の女神
友人の編集さんに「今後小説を書くにしても
今は基盤を固める時期、自分の好きな作品を振り返ったり、
自分の中に何があるか、何が自分の中から出せるのかを
考えてみたら」
と、言われ、今は、心赴くままに様々な作品を鑑賞している。
その中で、心惹かれたのは
スタジオジブリの「耳をすませば」と
上野樹里主演の「虹の女神」
どちらも恋愛・創作の要素が偶然入っているが
なにはともあれかなりのモチベーションになった。
特に「虹の女神」ですごくよかったのは
これは見終わってからずいぶんたって
気付いたことなのだけど
人が人の死に直面して、世界が一変してしまう
感覚を描いた作品は多いけど、
その作品の中でもすごく変ったパターンの
作品なのだなということ。
主人公は突然の飛行機事故で死んでしまうのだけれど
登場人物の誰もがその現実感のなさゆえに
主人公の死に対応しきれてない感じが
ずっとあって、それを引きづりつつ
物語は進んでいって、
で、
ラストのラストで、
一気にその現実感が押し寄せてくるシーンがあって
一瞬にしてもうひとりの主人公の世界が一変してしまう。
その繊細で衝撃的な瞬間を描きたいがために、それまでの流れが
あったのかと思うと、これはすごい映画だなと
今改めて気付かされた。
上野樹里の演技もめちゃめちゃよかったし、
とても大好きな映画です。
すみれ色の雲とイーサンローズ
夕方の五時まで寝ていた。活動欲求が非常に低い。
そもそも活動欲求が低いってことはどういうことなんだろう?
なにもやる気がしない?
でも、やりはじめたらやりはじめたで面白くなってゆく訳だし
やってやれないこともないのだから
ただたんに怠け癖が習慣化しているだけのような気がする。
カフェじゃらんじゃらんでパフを食べる。
駅前でお金をおろす。
古本屋で星新一とDVDをチェックする。
新しいアイスクリーム屋の価格に仰天する。
ビデオ屋で「時をかける少女」を借りる。
夜の色を帯びたすみれ色の雲が
太陽をまぶたのように挟み込んで浮かんでいた。
その情景が美しかったから
少し先の公園まで足を伸ばし、
イーサンローズ(音響・エレクトロニカ)をかけながら
空を眺めていた。
こういう時間が最も創作には大切な気がする。
背の高いケヤキやクヌギに囲まれた
野球場。木の下のベンチに腰掛けた
僕の視界には、
僕の視界を縁取るように、木々の枝葉が
まるでまつげのよう揺れている。
視界は僕の巨大な瞳。木々はまつげ。
木々の向こう側に層をなす雲と夕日。
時間のない国の水の流れのような
イーサンローズの音楽。
不意に僕は、数年前、音楽に憧れて詩を書いていたことを思い出す。
しかし今は、音楽を意識するよりも前に、物語的な詩を書いている。
音楽が聞こえるような文章、詩を書きたい。
それが今後のテーマかも。
