こんにちわ ミーコです!
「お姫様になりたいなあ~(#^^#)」なんて、1度くらいは思ったことないですか?
シンデレラコンプレックス世代の私は、
「世界一幸せなお姫様って誰なんだろう~?」なんて
ネットサーフィンしながら妄想したりします(^^ゞ
ところが、調べていく内に、案外「幸せ」なお姫様って見つからないのです。。
(厳密にはプリンセスとは王家に生まれた女子をさすそうですが、ここでは嫁いできた姫君も含みます)
そもそも「幸せ」の定義って人によりけりなので一概には言えないのですが、
一般的に考えたおとぎ話的な「幸せ」とします。
「裕福な生まれ」「愛情をかけてもらって育つ」「綺麗なドレスやお菓子がいっぱい」「王子様と結婚する」
こんな感じでしょうか( *´艸`)
いい年こいて私は気づいたのです!
おとぎ話はすべて結婚するまでで終わっていることを~(;''∀'')
家康が祖父、信長の姪・お江を母に持ち、義父は秀吉☆
千姫はある意味、最強の生まれじゃないですか?(^^;
そしてお市の方様のお孫、容姿端麗だったといいます。
7歳で秀頼と婚姻し大阪城で暮らします。
それはそれは立派な花嫁道具だったと伝わっています。
秀頼とは子宝には恵まれませんでしたが、仲睦まじかったそうです。
19歳の時に大坂夏の陣で大坂城は落城 淀殿・秀頼は自害★
しかし、そんな幸せは長くは続きませんでした。。

再婚にあたり、縁切寺の満徳寺(群馬県太田市)へ☆
秀頼とは離縁した訳ではないので、形式的に短期間尼になり、桑名藩主・本多忠政(本多忠勝の長男)の嫡男・忠刻と結婚☆
しばらく江戸城で暮らしていた千姫ですが、1年後新たな縁談が持ち上がります。ほどなくして本多忠刻のもとへ嫁ぎます。
結婚の翌年には、本多家が姫路に移ったことに伴い、姫路に移りました。
忠刻には千姫の化粧料として播磨10万石が与えられました。
千姫が姫路城に入る際には、馬500頭と供850人が付き添ったといいます。
そこでの結婚生活は幸せで、千姫と忠刻の間には長女・勝姫と長男・幸千代が生まれました。
幸千代の急逝★
しかし幸せは長くは続きませんでした。幸千代はわずか3歳で急逝してしまい、悲しみにくれた千姫は流産を繰り返すようになってしまいます。
化粧櫓から望む男山に「千姫天満宮」を建立し、千姫が魔除けとして持っていた羽子板が奉納されています。
天守閣からの眺望♪千姫もこんな空を見ていたのでしょうか(#^^#)
31歳の若さで忠刻が病死★
参勤交代から戻った忠刻は結核により、31歳という若さで病死してしまいます。亡くなった日は、奇しくも大阪城が落城した日と同じ5月7日でした。。。
長女を連れ、江戸へ戻る☆
忠刻には男子がなかったので、家督は弟が継ぎ、千姫は弟の家光の勧めもあって江戸へ戻ります。 その後は天樹院として2人の夫を弔い、勝姫とともに暮らしました。
悲劇のヒロインにならず、強く生き抜いた千姫☆
家光の3男徳川綱重を養育したことから、大奥でも大きな権力を得るようになります。長女・勝姫が嫁いだ岡山で洪水が発生して大飢饉もあり、餓死者は3000人を超えました。
千姫は江戸幕府に働きかけて4万両を送ったとされ、現在の価値で40億円あまり。
20万人もの命を救いました。
千姫は当時とするととても長生きで、70歳でこの世を去りました。
運命に翻弄されながらも、つねに人の事を想い、民の為に生きた人生は、
現代の女性も憧れる姫君なのかもしれません。