これまでの人生を振り返って、メンタルがとても調子がいい時と、どうも消極的になってしまう時が繰り返してやってくるのを感じていた。調子がいい時は、自分で企画し、友達を誘ってご飯を食べに行ったりするのに、調子の悪い時は心のシャッターを閉じたようになってしまう。どうしてかなぁと思い、いつか行った琵琶湖正心館の研修で講師の先生に聞いたことがあった。それは“自分というものが無いからですよ“と教えてくださった。確かに、私は小さい頃から、自分の意見を言う事が苦手で、どちらかと言うと引っ込み思案なところがあった。学齢期が上がるにつれて、極度の引っ込み思案はましになり、何だったら学級委員をしたりするような普通に真面目な生徒になっていった。

 

前にも書いたように、18才の挫折まではそこそこ順調だった。大好きな軟式テニスに出会い、勉強も忙しく、私の中高生時代はクラブ活動と学業で充実していた。その頃は、昔引っ込み思案な性格だったことなど”過去の話”という感じで、自分はもう積極的な性格に変わったと思っていた。しかし、その大きな挫折の後、“適応障害”“強迫神経症”(すべて自分で診断したものだが)、そんな症状が出て生きにくい状態が長く続いた。

 

"自分というものが無い"、私はその事をあまり意識してこなかった。自分の嫌な部分からは目をそむけ、見ないようにする傾向があった。小学生の低学年の頃、担任の先生に行動評価で"主体性C"とつけられたことはよく覚えているが、どうしたらそこを克服てきるかも考えた事がなかった。どちらかと言えば、私は精神的に弱いタイプで、ダメな部分を直視して頑張れと言われるよりも、いいところを見てもらい、そこを伸ばしていく方が性に合っていたのだと思う。

 

随分前に、母との関係性のことをblogに書いた。私は天上界から生まれて来る時に、自分で母のお腹から生まれたいと望み、それが叶えられて誕生した。では、いったい何故その事を希望したのか。昔行った“両親反省研修”から振り返ると、私の今世の課題の一つは“主体的な人間になること”だったのではないかと思った。おそらく、過去世で、依存的だったり、消極的な性格だったりして、その事で何かうまくいかなかったり、失敗したり、成長できなかったりした事があったのだと思った。人間は霊的な成長を成し遂げるためにこの世に生まれて来る。人に依存したり、マイナス思考だったり、引っ込み思案では、進化、進歩することが妨げられる。

 

長所と短所は、裏表の関係で、消極的だから絶対悪いのかと言えば、そんな事はない。積極的過ぎて人と衝突する人もいるから、自分のそのような傾向性をよく理解して修正し、その都度直していくように努めればいいのだと思う。母は、私が主体性をもって生きられるように促すとか、自分で選択できるように心を砕くとか、教育するとか考えるタイプではなかった。ただ、そういうことをうるさく言わず、放っておいてくれた気がする。悪く言えば放任だが、私にとっては楽な環境だった。楽だから、意識して直していこうともしなかった。そんな母を選んで生まれてきて、それでも”主体性のある人間に成長する"という事を課題としてきたならば、それは自分自身に高いハードルを課して、今世生まれて来たのだなと、そんな風に分析した。その課題が難し過ぎて、つまづく事も逃げ出したくなる事も多かったが、困難が大きければ大きいほど、自分が成長できるチャンスは大きいというものだ。“主体性をもって生きられる人間になること“、このことが私が両親反省研修を通して学んだ一番大きな成果だったと思う。