病院を変えて十か月が経ちました。病状はどうでしょう、もしかしたら良くなっているのかもしれません。
常日頃から自分の思考が人より劣っているのは病気のせいだ、という考えに縛られていたトラトウマです。
それが実は病気など関係なく、生まれた時から不必要な個性として備わっていたものなのだと気づきはじめたトラトウマです。
そうなると私の社会的な身分を証明する障害者手帳や医療費負担の書類などはナンセンスなものだと、そして思春期に確立させたはずのアイデンティティ(病気が大いに関与している)も全くの見当違いだったと痛感させられたトラトウマです。
だからといって今更「自分とは何なのか」など考えるのは非常に怠く、また現時点では考えるだけ無駄だと変に大人ぶる自分に諭されて人並みのやる気もなくしているところのトラトウマです。
トラトウマはトラウマの多い人間だと思っておりました。しかしその実私はマイナスな記憶に依存しているだけの馬鹿で、実際には辛い記憶も幸せな記憶も人並みから大きく外れてはいないのでした。
トラトウマは何者でもありません。何者にもなれなかったのです。それは他人もほとんど同じです。自分とは何か、いくら断言してもそれは仮のものに過ぎないのです。
そう思うと自然と心も安らぎを覚えます。私の心を荒立てた大変大きな波も今は静かに、不気味に、私の行動を見守っているかに思えます。
そう、安らぎ。穏やかさ。安寧。それが大事。波を立てない、優しく、何も無い平和な日常。
ボケが。ンなモン求める訳ねえだろ。
私を人間以下に扱ったクズ共。てめえら全員丸裸にして火炙りにしてやらァ。