無意識に口ずさんでいる歌があります。
空を眺めて
自転車🚲を漕ぎながら
洗濯物を干しながら…
コロナ禍で会えなかった亡き母を想って😢
♪悲しくてやりきれない
胸に沁みる 空のかがやき
今日も遠く眺め 涙を流す
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない もやもやを
誰かに告げようか
白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ 侘しくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りある 虚しさの
救いはないだろうか
深い森のみどりに抱かれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この燃えたぎる 苦しさは
明日も続くのか
2019年の9月入院した母(パーキンソン病)
10月に台風19号🌀で実家が床上浸水の水害に遭いました。
片付けに行った際の病院での母は、薬の量の微妙な加減が調整出来なかったらしく、せん妄状態になっていました。
夜のナースステーションの隅っこ
車椅子から動かない様にベルトで固定されてうなだれていた母。
歩けないのにベッドから降りてしまうらしいのです。
話しかけても夢の中の人状態で会話も出来ませんでした。
ショックでショックで病院を出てからずっと宿のホテルに着いても涙が止まりませんでした。
翌日、片付けの後に次姉夫婦と一緒に面会をした時には昨夜と違ってよく喋るけれど話の辻褄が合わなくて…
それでも私たち子供や孫たちの名前は忘れていないのです。
母は真面目で頑張り屋さん
とにかく働き者
人に気を使い我慢ばかりする
でも頑固で融通がきかない所もある
(一説にこういう人がパーキンソン病になりやすい性格だとか)
あと結構隠れ負けず嫌いだったりする…
次に会えたのは11月末に夫と息子と娘と4人で面会に行った時でした。
もう寝たきりになってしまいましたが
以前の母のように普通に会話が出来て
孫たちに優しいおばあちゃんに戻って安心していたけれど…
弟(母には息子)が昨夜事故にあってこの病院に運ばれて来た、
足が痛い!痛い!と言う弟の声が一晩中聞こえて心配で眠れなかった。
どの部屋にいるのか様子を見てきておくれ…
と真顔で話すのです。
帰り際、エレベーターで偶然本物の弟にばったり!(私も弟も他県在住で、お互いこの日病院に来ることも知らない)会って
一緒に病室に戻ったら…
母は目を丸くして驚いて、安心して涙目になりました。
別れ際、また来るからねとした🤝握手が母に触れられた最後でした。
年が明け2020年コロナ禍に突入してしまい病院も面会禁止。
水害で帰る家がなくなった独り暮らしの母は病院から高齢者施設を短期間に3箇所も転々としました。
1箇所目は1ヶ月半、2箇所目は7ヶ月、最後の3箇所目は1ヶ月。
2箇所目では大分安定して地元に居る長姉が面会時には電話で話すこともありました。
一度だけ施設の職員さんにわざわざ頼んで電話をくれた事があります。
その時は息子が潰瘍性大腸炎の薬の副作用で急性膵炎になり大学病院の救急で検査している最中でした。
そのまま2ヶ月位入院になりましたが…
やはり虫の知らせ?ってあるのかと思いました。
3箇所目の施設に入所して直ぐの12月初めに酷い掌🖐️サイズの床擦れ(襦瘡)が2つも見つかり大きな総合病院に救急で搬送されたそうです。
その3箇所目は実家のすぐ近くで良かったと喜んだのも束の間、
床擦れ騒動から半月も経たずに危篤の知らせがありました。
でも他県からの面会は出来ず。
途方に暮れて諦めていたら、息子にいま会わないと一生後悔すると怒られながら後押しされて…
1階に入居しているので外窓越しに様子を見るのは大丈夫と聞いて家族4人高速🛣️で駆けつけました。
1年1ヶ月振りに会うことが出来ました。
職員さんの計らいで窓を少し開けてくれて声が届いたのか片手を挙げてくれました。
2020年の12月22日でした。
そして3日後…
25日のクリスマスが命日となりました。
亡くなった後施設の中で震える手でカレンダーに書いたメモ書きの日記が見つかりました。
忘れないように何度も何度も家族皆んなの名前と生年月日と電話番号
その時々の気持ち…
『ワタシは何もできない…』
胸が締めつけられました。
2年と5ヶ月経ちましたが
まだまだ
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない気持ちでいます。