無意識に口ずさんでいる歌があります。

空を眺めて

自転車🚲を漕ぎながら

洗濯物を干しながら…

コロナ禍で会えなかった亡き母を想って😢



♪悲しくてやりきれない



胸に沁みる 空のかがやき

今日も遠く眺め 涙を流す

悲しくて 悲しくて

とてもやりきれない

このやるせない もやもやを

誰かに告げようか



白い雲は 流れ流れて

今日も夢はもつれ 侘しくゆれる

悲しくて 悲しくて

とてもやりきれない

この限りある 虚しさの

救いはないだろうか




深い森のみどりに抱かれ

今日も風の唄に しみじみ嘆く

悲しくて 悲しくて

とてもやりきれない

この燃えたぎる 苦しさは

明日も続くのか





2019年の9月入院した母(パーキンソン病)

10月に台風19号🌀で実家が床上浸水の水害に遭いました。


片付けに行った際の病院での母は、薬の量の微妙な加減が調整出来なかったらしく、せん妄状態になっていました。


夜のナースステーションの隅っこ

車椅子から動かない様にベルトで固定されてうなだれていた母。


歩けないのにベッドから降りてしまうらしいのです。


話しかけても夢の中の人状態で会話も出来ませんでした。


ショックでショックで病院を出てからずっと宿のホテルに着いても涙が止まりませんでした。



翌日、片付けの後に次姉夫婦と一緒に面会をした時には昨夜と違ってよく喋るけれど話の辻褄が合わなくて…


それでも私たち子供や孫たちの名前は忘れていないのです。


母は真面目で頑張り屋さん

とにかく働き者

人に気を使い我慢ばかりする

でも頑固で融通がきかない所もある

(一説にこういう人がパーキンソン病になりやすい性格だとか)

あと結構隠れ負けず嫌いだったりする…



次に会えたのは11月末に夫と息子と娘と4人で面会に行った時でした。

もう寝たきりになってしまいましたが

以前の母のように普通に会話が出来て

孫たちに優しいおばあちゃんに戻って安心していたけれど…


弟(母には息子)が昨夜事故にあってこの病院に運ばれて来た、

足が痛い!痛い!と言う弟の声が一晩中聞こえて心配で眠れなかった。

どの部屋にいるのか様子を見てきておくれ…

と真顔で話すのです。



帰り際、エレベーターで偶然本物の弟にばったり!(私も弟も他県在住で、お互いこの日病院に来ることも知らない)会って


一緒に病室に戻ったら…

母は目を丸くして驚いて、安心して涙目になりました。


別れ際、また来るからねとした🤝握手が母に触れられた最後でした。



年が明け2020年コロナ禍に突入してしまい病院も面会禁止。


水害で帰る家がなくなった独り暮らしの母は病院から高齢者施設を短期間に3箇所も転々としました。


1箇所目は1ヶ月半、2箇所目は7ヶ月、最後の3箇所目は1ヶ月。


2箇所目では大分安定して地元に居る長姉が面会時には電話で話すこともありました。


一度だけ施設の職員さんにわざわざ頼んで電話をくれた事があります。


その時は息子が潰瘍性大腸炎の薬の副作用で急性膵炎になり大学病院の救急で検査している最中でした。

そのまま2ヶ月位入院になりましたが…

やはり虫の知らせ?ってあるのかと思いました。


3箇所目の施設に入所して直ぐの12月初めに酷い掌🖐️サイズの床擦れ(襦瘡)が2つも見つかり大きな総合病院に救急で搬送されたそうです。

その3箇所目は実家のすぐ近くで良かったと喜んだのも束の間、

床擦れ騒動から半月も経たずに危篤の知らせがありました。


でも他県からの面会は出来ず。

途方に暮れて諦めていたら、息子にいま会わないと一生後悔すると怒られながら後押しされて…


1階に入居しているので外窓越しに様子を見るのは大丈夫と聞いて家族4人高速🛣️で駆けつけました。


1年1ヶ月振りに会うことが出来ました。


職員さんの計らいで窓を少し開けてくれて声が届いたのか片手を挙げてくれました。

2020年の12月22日でした。


そして3日後…


25日のクリスマスが命日となりました。



亡くなった後施設の中で震える手でカレンダーに書いたメモ書きの日記が見つかりました。

忘れないように何度も何度も家族皆んなの名前と生年月日と電話番号


その時々の気持ち…


『ワタシは何もできない…』


胸が締めつけられました。


2年と5ヶ月経ちましたが

まだまだ

悲しくて 悲しくて 

とてもやりきれない気持ちでいます。

4月17日に予約していたウィッグの調整の時には頭皮の赤い湿疹もキレイに消えました。

ロートの「メディクイックH」と宇津の「桃の葉ローション」のおかげさまだと思っています。



さて翌日18日は3回目の抗がん剤治療日でした。

血液検査はいつも通り前日に済ませているので予約の9時前に受付をし、その時初めて◯川先生の後任の主治医さんは女性と判明しました。


50分を過ぎて中待合への呼び出しベルが鳴り椅子に座って待っていると背後でお二方がザワザワ…

どうやら今日は待ち時間が長いようだ。


やっと次に娘の番号が表示され診察室への呼び出しベルを瞬時に消そうと身構えていたのに…

ベルが鳴ったのは次の次の方で、突如順番が変わって拍子抜けした。

まだこの病院のシステムに慣れてないのだと思うよと娘がポツリ。


ようやく診察室に入り、

初めましてのご挨拶と血液検査で腫瘍マーカーが下がった事、少し貧血があるけれど予定通り抗がん剤をする事、

この日の処方箋の事をテキパキと早口で話されるたぶん30代後半位の◯澤先生。


1週間後のCTとMRIを診て手術出来るか否か婦人科の先生方全員で評価した結果を更に1週間後、

この時はゆっくりお話ができればと思うので午後からの予約にしましょう。

と話が終わりかけたその時…


私のこの日の任務その②の話を切り出した。

(その①は新しい主治医さんにお会いする事)


娘は深部静脈血栓症の薬イグザレルトを服用しているのですが、

こちらで処方してもらう事は可能ですか?


(できる事ならこの病院の循環器内科で診て貰えたら安心と言いたい。

でも初診は受付ていない為、主治医さんから紹介受診のみ)


まだ薬の在庫はあるので急ぎませんが…

昨年6月エコーで診断後検査を殆どせず薬のみ。

若くしての血栓症の原因を知りたいから大学病院等に紹介状をお願いしたが必要ないと断られた事を話した。


先生:がんと血栓症って凄く関係あるんです。

向こうの治療経過をこちらに持ってきていただいたら併せてこの病院の血管の先生に診てもらえるし、

こちらも手術となった場合、直前で中止となることも関係してくるので。


私:どのように話せばいいのでしょう?


先生:卵巣がんの診断で化学療法をして今度手術をしますのでと。


私:何を貰ってくればいいんでしたっけ?


先生:診療情報提供書というどういう経緯で診断されて、今どういった治療をしているとかの内容のお手紙です。問い合わせてみてくださいね。


私:うむむ‥‥‥🫤(あのクリニックにか…)


先生:こちらからの問い合わせ状が必要でしたらご連絡いただければお書きしますよ。


私:もしかしたら…最初からあったほうが


先生:そうですね、では抗がん剤が終わるまでにはお渡ししますのでね。


お忙しいところ申し訳ないです。

これだもの待ち時間が…🙇‍♀️


でも時計を見ると12、3分しか経っていなかった。

いつもの半分以下の時間だった。



これまでは娘と化学療法室の前で別れ、

私は処方箋を持って薬局に行って一旦家に帰るのだけれど、

この日は赴任したばかりで麻薬処方の登録がまだできてないらしく…(他にいなかったのかなぁ麻薬処方)


結局病院に8時間以上いた娘だけど、新しい主治医さんに診療情報提供書のお手紙を書いてもらえたから😮‍💨気持ちが大分楽になった。


やっぱりあのS◯野M田血管外科クリニックには未だに複雑な想いがある。

あれから不安のあまり娘のドクターショッピングが始まったのだから。


2回目の抗がん剤治療の日

娘の遺伝子検査の結果が前日に届いたそうで

先に主治医さんから軽く結果だけ

後から遺伝カウンセラーの先生からお話を聞きました。


HRD・BRCA1・BRCA2いずれも陰性でした。


ん?、という事は、喜んでいいのか?どっちだ?


血縁者に遺伝性乳がん卵巣がん症候群(男性では前立腺癌等)に限っては可能性が低いという事は喜んでいいかもしれない、けれど。


癌家系だろうと思われる私の血縁(胃がん:祖母・父・叔母・叔父・いとこ/子宮体がん:私・次姉・叔母/前立腺癌:父)はこの遺伝子検査以外の遺伝性症候群では陽性なのかもしれないという不安は消えない。


胃がん・子宮体がんに加えて大腸がんの血縁者がいるとなれば別のタイプの遺伝も考えられるそう。

かつて主治医の加◯先生に言われたリンチ症候群だ。

子宮体がん程ではないが卵巣がんの方も中にはいるのだとか。

息子と長姉は潰瘍性大腸炎という難病だけど、大腸がんは血縁にいないと思う(母方の情報がわからない)。


それに例えば現在のTC療法の後に手術が出来たとした場合、陽性の方に奏効するとされる薬が使えないという事は治療の選択肢が狭まるのかもしれない。




今回の診察が主治医の◯川先生の最終日だったのでどうしても聞いておきたいことがあった。


2月に入院してCTガイド下腫瘍生検で採った腺癌とだけしか分からなかった組織型の詳細はその後判明したのか訊ねた。


結果、特定が難しいようで病理の先生が免疫染色して診て下さったのだけれど、

組織型が決められるところまでいかないタイプの癌もあって今の段階では大雑把に腺癌とだけで何腺癌かまでは不明だそう。

今後手術が出来たとして検体のボリュームが増えれば詳細な診断名もつく可能性もあるけれど、それでも特定が難しい組織型診断が決まらないタイプの癌もあるのだそう。


そういうこともあるんですね〜、

もしかしてそれって私と同じ未分化癌って事?なのですかと聞けばよかったけれど、娘が不安だろうからやめておいた。


次の主治医さんも◯川先生のような穏やかで優しい先生だったらいいなぁ。



3月7日に初回の抗がん剤をして23日から脱毛が始まり、28日に2回目の抗がん剤をした1週間後には髪の毛が全体の3分の1位になりました。


残った髪を短く切って梳き櫛で軽く梳かしただけでほぼスキンヘッドに。


ただ一日中ずっと抜け毛用の不織布の使い捨てキャップを被っていたからか、怖くて洗髪が不十分だったからか頭皮(特に後頭部)に沢山の赤い湿疹とニキビの様なものがポツポツできていてツルツルのスキンヘッドじゃなく凸凹でもない凸凸ヘッドでした。


私の時は後頭部の下の辺りに凸凸湿疹が少しあったかもだけど、ここまでではなかった…

ただの湿疹?それとも毛嚢炎?

これは大変!と思いドラッグストアに行ったはいいけど、それらしき薬はリンデロンVS?

でもステロイド外用薬って抗がん剤治療中に大丈夫?薬剤師に相談しようと思ったけど…

たぶん「お医者さんに相談されたほうが…」と言われるだけだろ。


店内の片隅でネット検索…検索…検索…!あった!

娘の湿疹と似た画像と共にヒットした。

ありがたい

メディクイックシャンプーと宇津救命丸の会社の桃の葉ローション。

メディクイックで頭皮の常在菌と炎症を抑えて、桃の葉ローションの抗炎症・殺菌作用で頭皮を整える。

これでダメならリンデロンを使おう(そのお方も心配されて病院に連絡したら感染でなければ使用OKと言われたそう)


早速シャンプーとローションを試して翌日にはニキビらしきものは消え、徐々に湿疹の赤みも薄くなって…

ついでに頭皮の皮脂臭もどちらのおかげか定かじゃないけれど匂わなくなりました。


3回目の抗がん剤の前日の血液検査の日にウィッグの調整を予約してあるのでそれまでには凸凸ベッドも改善されキレイなスキンヘッドになることでしょう。

娘本人は抜け毛の掃除にうんざり😮‍💨していたから今は気持ちもサッパリ!した様子です。


今日は予約してやっと納車されたのが検査続きの2月だった為に買ってから一度も乗れずにいたお気に入りのクロスバイク🚴に乗るつもりでいるようだ。




7日に初回の抗がん剤(TC療法)をした娘、

16日目の一昨日は血液検査をしました。

心配してたカルシウム血症も貧血等も若干+−はあるものの問題なしでした。

炎症反応のCRPが7日は11.74だったのが3.25まで下がりました(基準値上限は0.3)

抗がん剤が効いてると思いたいな。


食事も玄米と魚、鶏肉、野菜に拘らなくなり何でも食べるようになりました。

最近は食欲旺盛で5kg減った体重は2kg戻りました。


そしていよいよ一昨日辺りから始まってしまいました、脱毛。


今は脱毛時用の使い捨てヘアキャップなんて便利な物があるんですね(13年前もあったのかな?)

私の時も脱毛の副作用が一番怖かったです。

あれが無かったらどんなに精神的負担が違ったか…早く脱毛しない薬が開発されて欲しい。


ウィッグは抗がん剤治療が始まる前に院内の美容室で注文しました。


私の時は院内に美容室など無かったし、脱毛が始まってからアタフタしながらネットで購入。

4、5万円のミックス毛、人工頭皮…しっくりこなくて残念。

普通の美容院で事情を話して調整カットしてもらったけれど…結局はあまり使用せず。

そんな私の反省もあって、実際に被って似合うかどうか確かめて、サイズの調整やお手入れのアフターフォローも出来るウィッグを選ぶようにアドバイスしました。

私のウィッグの8倍程の値段ですがこれで安心。


でも普段は帽子の下に帽子ウィッグか帽子だけ、家の中では手拭い帽子か綿のケアキャップで過ごすことが多かったなぁ。


診断書を受け取れたので昨日は会社に休職届、保険会社に申請書類を送りに散歩がてら郵便局🏣

それからランチに行って来ました。

病院以外の外出は久しぶりで気持ちがいいと喜んでいて…私も嬉しい気持ちになりました。


先週18日(土)は義父の命日でした(享年89歳)。

雨のお墓参りでした。


一年が経ち、忘れてしまう前に…


2021年の晩秋、肺がんの告知をされた義父でしたが高齢だし苦しい検査や治療は嫌だと断固拒否。


翌年2月頃から徐々に食事量が減り、

トイレもお風呂も一人では難しくなり、

横になると苦しいからベッドに寝られないと言うので予約外で受診したら…

治療しないなら余命1ヶ月だと宣告され、そのまま緊急入院したのがバレンタインデーでした。


1月にした介護認定の審査判定の結果が届いたのは入院した後で、しかもナント一番低い「要支援1」。

最期は自宅で迎えたい…訪問診療も視野に入れて状態区分の変更を申請し、義父の部屋を掃除して介護しやすいようにレイアウト変更したり準備していたのだけれど…自宅ではなく緩和ケア病棟に移る事になってしまったのが雛祭りの日でした。


コロナ禍でも緩和ケア病棟は予約制で週2回2名迄面会が出来ました。

初めは個室の空きが無く4人部屋だったので談話室で面会でした。

肺がんなので痰が酷く同室の方から嫌味を言われ…気弱でおとなしい義父は痰が出ないよう動かないで布団で口を覆ってミノムシの様に直立不動でいたと看護師さんから聞いて可哀想で泣けてきました。


数日後空いた個室は上から2番目の料金の部屋でしたが、この期に及んで我慢を強いて不自由な想いをさせるぐらいなら…です。

個室に移ってから何度か電話をよこしては「ワタシのほうからかけた事は看護師さんには内緒🤫にしてね」と笑ってた義父…


3月16日11時、危篤との連絡


前日息子と私で面会した時はちゃんと会話も出来て部屋の中のトイレに車椅子で移動してもらって用をたしていたし、バイバイ!またねって、ちゃんと手を振って…まだまた大丈夫!だと思って帰ったのに。


夫も息子娘も早退して駆けつけました。

その日の早朝に小田急線の人身事故で夫は4時間、娘は3時間かけて会社に着いて直ぐにとんぼ返り。


私は家から自転車で5、6分の距離の病院なので連絡があって15分後には病室に着いて…

看護師さんから血中酸素濃度が大分低いので徐々に

弱って行くでしょうと聞き、酸素マスクをつけて静かに眠っている姿を見て涙が溢れた。


医療用モルヒネが自動で投与される機械がついているからか傾眠状態が続いて時折覚醒した時に話しかけると頷いたり首を横に振って応えてくれた。

家からCD💿持って来て好きだった曲を流して…


家族4人揃っても部屋には規則で2人ずつしか入れず交代で見守って…夜は夫が泊まった。

翌朝17日は息子→娘→私の順番で交代、そしてまた夫が泊まり。

翌朝18日は朝から呼吸が乱れてて夫はそのまま家に帰らずまた2人ずつ交代にした。

談話室は他の面会の予約があると使えないので別棟の外来会計の待合で待機した。


私と娘が見守っている時に呼吸が一瞬止まった。


慌ててナースコールを押し

「おじいちゃん!まだダメ!お父さんが来るまで待ってて!」

と叫んだら息をふき返した。


看護師さんが先生を、私が夫と息子を呼びに行っているほんの数分の間に呼吸が止まった。


娘がひとりっきりの時に止まってしまった。


ひとり息子の夫ではなく、

たいそう可愛がっていた孫娘だけど…


あれから娘は体調が悪くなって病院巡りばかりしてたのに何処でも異常無しや経過観察で今に至るなんて。


「おじいちゃん!ダメだよ!!!〇〇(娘)を連れて行かないで!!!!」


何度でもお願いする。

娘を叱ってしまった翌朝、玄米ご飯に変えた。

娘のしたいように…それで安心できるのなら付き合うと決めた。


弟が週末田舎に帰って育てたお米を玄米のままくれるので常に我が家には玄米がある。

遠い昔…33年間同居していた義父に玄米ご飯を出すと箸もつけずそのまま返されて以来玄米ご飯や五穀米等は炊かなかったけれど、

義父亡き後遠慮はもう要らない。

炊きたてを一食120gずつ小分けにして冷凍しておくと楽。


以前テレビで見た辰巳芳子さんの「いのちのスープ」を思い出しネット検索して玄米スープや鶏のブイヨンを作ってみた。

煮出して残った玄米と梅と昆布のおじや、

ブイヨンの残り野菜と手羽先のスープカレー、

どれも美味しかった。


初めての抗がん剤の翌日、庭でキャンプ用のリクライニングベッドにムートンをひいて日向ぼっこする娘を尻目にスコップで汗ダク庭仕事をしていると来客…

娘の彼氏だった。


家から2時間ぐらいかけて趣味のrunningしながら鎌倉へ癌封じの御守りを貰いに行って来たそう。

首から下げる御守り袋には既に満員御礼状態。

兵庫県の友人から、幼馴染の友人から、私の烏森神社のが3個分厚みがあり、彼の4個目を無理矢理入れて…重たくなったのかそれからは首から下げていない。


その後私の友人からもゆうパックで御守りが2つ届いた。



3月11日(土)は義父の一周忌の法要をした。

初めての抗がん剤治療後間もない娘はお留守番。

お坊さんと四人だけで粛々と…


考えてみると

父は2015年6月19日だったが

母は2020年12月25日

義父は2022年3月18日と悲しい別れが続いたばかりだった。


お坊さんのお経を聞きながら

「お願いだから〇〇(娘)を連れていかないで!!おじいちゃん〇〇をそっちに呼ばないで!!」

と心の中でずっと叫び続けた。







3月7日(火)抗がん剤TC療法初回当日。

消化器(胃・大腸内視鏡)の結果は無問題。

なので卵巣原発の癌で間違いない。


血液検査の気になる箇所、カルシウムの値が徐々に上がっている。

癌によるもので吐き気や食欲不振等、悪化すると意識障害や心臓が停止する命に関わるので抗がん剤の前後でゾメダという薬を点滴することになった。


娘はロキソニン系が体に合わず、カロナールとオキシコドンとオキノームの組合せだったが、

カロナールの飲み過ぎ?肝臓の数値が悪くなってハイペンに変更されてから吐き気がする様になったとばかり思っていたらしいが、カルシウム血症のせいだったのか。


それと、これからする抗がん剤の後に手術ができたとしたらその後に自分に合った使える薬を探すという意味で遺伝子検査の提案があったので即答でする事にした。


消化器内科の診察では、胃も大腸も健康そのもの。

胃においては、綺麗な胃にしか存在しないというポツポツがあった。


10時半頃いよいよ化学療法室の奥の部屋に消えて行ってしまった。

初回はなるべく付き添った方が良いとの説明で院内待機…

5時間の予定が6時間…

それから遺伝カウンセラーさんとの面談。

いつも激混みの会計が15分位で終わった。

朝9時前に到着して帰りは17時過ぎ。


2月からずっと付き添いで待機してる事が多いせいか、あまり眠れてないせいか、リンパ浮腫が久々に悪化してしまった。


食欲も無く痩せてしまって、痛みを静かに堪えている娘の様子が見ていて辛い。


なのに、癌を経験したとある医師が書いた本を取り寄せた娘がまるで信仰宗教に入信したかのように白米はやめる、肉は鶏肉しか食べない、糖分は摂らない、乳製品はダメ、油もダメ、加工品はダメ、野菜と果物と魚と玄米だけにする!と抗がん剤治療直前になって言い出した。


💢怒ってしまった。


その医者と同じ私だって13年!

そっちはステージI、こっちはステージⅢ!

どっちを信じんのよ!

作るのはこっちなんだからね!

そうしたいなら抗がん剤治療が終わって落ち着いてから自分でそうすればいいでしょ!

その医者に◯されちゃうよ!

訴えてやりたいよ!

そういう癌を謳い文句してる奴は仕舞いに自分の利益に繋げる話をしだすんだからね!


怒りにまかせ捲し立てた…


ポツリと娘が

「ステージⅣの末期癌っていきなり言われたらお母さんだってそうしてたかもよ…」


言葉に詰まって、席を立ってしまった。


この期に及んで娘のステージⅣbを受け入れられない、信じたくない、ドラマの世界の様で現実味がないままのバカ母。


トイレで涙をぬぐい、何事も無かったかの様にソファーに座り寝るまで一緒にいた。


2月16日11時入院

入院病棟の談話室前までしか家族は付き添えないので「また明日ね👋」とお別れをして

病院内のパン屋さんで早めの昼食をとり…


いざ新橋へ!

癌封じの御守りをもらいに「烏森神社」に行きました。

ゆうパックが届くので16時迄に自宅に帰らないとならないので忙しかった。


丁度娘も16時にCTガイド下腫瘍生検なるCT画像で確認しながらお腹に針を刺して組織を採る検査が始まる時間でした。


主治医さんが〇川先生になり、話しやすいしすごく優しい!とLINEが来て安心した。

検査結果が判るまで2週間以上?だけど少し早めで中間報告になるかも知れないけれど次回診察は28日で、消化器内科の予約も入っていました。


いよいよ2月28日

消化器内科では胃カメラと大腸カメラの予約。

3月2日胃カメラ、3月3日大腸カメラ。

検査受付で予約と説明を受け終わると直ぐに婦人科の呼び出しが鳴りました。


45分以上丁寧に説明して下さいました。

生検で採った組織に腺がん細胞がありました。

鎖骨上・腸骨付近・左閉鎖?にリンパ節転移。

消化管を含め原発を疑う箇所が否定されたとすれば卵巣癌Ⅳb期相当。

水腎症の腎瘻造設は感染症の危険、何よりQOLが下がる。

今後は抗がん剤のTC療法。

今現在処方されているオキシコドン・レスキュー等を調整しながら痛みを取る。

卵巣癌は抗がん剤が効きやすい。

薬が合わないとなれば遺伝子検査で薬剤選択も出来ると。

最後に〇川先生が3月迄でこの病院から居なくなると告げられた。


3月7日抗がん剤初回投与の予約をする。

ただ消化管が原発だとしたら〇川先生から電話が来る。

3月6日は投与前の血液検査をし、

院内の美容室でウィッグの相談予約をした。


ここからやっと時系列となります。

今夜も眠れない。

2月10日(金)18時過ぎ…

先生から約束の電話がまだ来ない

専門病院は土日は休診。

もしかして、忙しいから忘れられているの?


娘と2人不安になり病院の代表番号に電話してみた…


私「今日の夕方に婦人科の〇の〇先生からお電話頂ける事になっていたのですが…」

病院の電話に出た男性「大丈夫です。〇の〇は電話すると言ったら必ず電話する人ですから、待っていてくださいね」


私が13年前入院してる時も病棟回診で朝晩お見かけしてた〇の〇先生、口数は少ないけど誠実そうだと記憶していた。


30分程して娘の携帯が鳴った。


PET CTを見た結果、卵巣周辺に取込み?があって周りのリンパ節も腫れている所があり、やはり癌かも知れない。

卵巣腫瘍というのは比較的薬が効きやすいので、

なるべく早い段階で薬を始めたいが、

それには細胞学的な組織の診断がないと難しいので

詳しい話を月曜日に聞くことになった。


泌尿器科の先生は初めからキッパリ癌だとおっしゃったが、

婦人科の〇の〇先生はまだ希望が持てる言い方をされる。

せめて次の診察まで有余をくれてるのかなぁ。



こんな状況の中、一人暮らしをしている息子が食べ物の味がしなくなったらしく耳鼻咽喉科へ…

PCR検査をするも陰性

それから2、3日後に喉の奥に違和感を感じて再度耳鼻咽喉科へ行ったら、あ〜、こりゃ帯状疱疹だね!とあっさり診断されたそう。


年子の仲の良い兄妹だけあって妹が癌だなんて相当ショックだったのだろうなぁ。

ほぼ毎日ビデオ通話していた。



2月13日(月)PET CTの画像は3箇所にリンパ節転移(お腹2箇所、鎖骨上1箇所)がみられた。


甲状腺は数年前から通院していて良性の濾胞腫の存在は知っていたが鎖骨辺りのリンパ節ということは…

手術ではなく2月16日(木)入院して放射線科でCTガイド下腫瘍生検で組織を採る事になった。





元々不眠症な私は夜中に何度も目が覚める。

いわゆる中途覚醒?というらしいが、睡眠薬も漢方薬も効かない。

通勤に2時間以上かかる上に電車には座って行きたい夫は毎朝4時に起き5時10分に家を出る。

早寝早起きの夫

遅寝早起きの私は4時間位の睡眠😴で中途覚醒😳

その度に娘が病気だと思い出す…

どうしようもない気持ちになって

ゔぐあぁぁぁ〜!っと頭をかいて目を閉じて眠る…

また😳目が覚めて……