ながーいひとりごと。

「ない」ということについて考える。
バスタオルじゃなくて、タオルで身体を拭いてね。水が勿体無いから。
と、言われたのは5年以上前。
スキーインストラクター時代の友人が携わっている山村留学のお手伝いに行った時のこと。
生まれて初めて、3日間ぐらいをバスタオルではなく、タオルでやりすごした。
始めは、
いやいや無理やろー
て、思ったけれど、
慣れると全然平気になった。
そこから忘れてた
「ない」ことについて。

ネパールに来てから
シャワーのお湯が出ないとか、
鍵が壊れて自分でなんとか直したり、
トイレの排水溝のヒビをテープでなんとかしたり、
電気がなかったり、
信号がなかったり。
「ない」と感じることが多くて、再び「ない」ことについて無意識に考え続けてたら、
こっちで仲良くなった玉ちゃんに、いい言葉を教えてもらった。
川上未映子さんの世界クッキーだっけな?p145 「有無にじりじり」
何も「ない」ことが自由なのか
それとも譲れない何かが「ある」ことは、豊かさに繋がることなのか.

何も「ない」ことが自由なのか.
そして
今朝の満員バスに揺られながら見てた9/25琉球新報のコラムに載ってた、沖縄の御嶽を訪れて発した岡本太郎の言葉。
「何もないということの素晴らしさに私は驚嘆した」
「ない」ってのはさ
一体どういうことなんだろう
豊かさとどのように関係するのだろう。
多様性について
デンマークで考えてた時
どうして英語ペラペラやのにデンマーク語を残すんやろうとずっと考えてた。
そして辿り着いたのは
きっとデンマーク語で幸せを感じる人がいるからだろう、という結論。
英語じゃなくてデンマーク語じゃないと駄目な理由は
芸術や文学など伝統文化を残すだけじゃなくて、デンマーク人のアイデンティティを築いている譲れない「何か」があるからだろうし、
そしてデンマーク語に基づいた誰かの幸せ、つまり誰かの笑顔を維持するためなんだろうな。

多様性が大切なのは
誰かの譲れない「何か」が
その人の幸せに繋がっているからだろう。
その幸せのツボみたいなのが
多ければ多い程
良いに違いない、と思ってた。
しかしながら、
「ない」ことも
豊かさに繋がることに気が付いた気がする。
選択肢がないことは
逆に自ら作り出すことができることでもあるし、
それは選択肢が無限に広がってることかもしれないし、
それは選択肢がひとつしかなくて選ぶ自由がないことかもしれないし、
選択肢が限られていることは、自由が限られていることでもあるし、
例えば
ついさっき建築家のロヒトに教えてもらった話のように、彼が1985-1991の6年間ソビエトで建築を学んでいた時、
ソビエト連邦下の学生は政府から就職先の選択肢を与えられていて、
深く考える必要もなく、その限られた選択肢から選ぶだけ。
「ない」っていうことは
一体どういうことなんだろう。

選択肢は多ければ多い方がいいと信じてたけれど
どうやらそんなことばかりでもなさそう。
日本からしたら、「ない」ことだらけのネパールに住む人々は
果たして豊かではないのかしら?
私の豊かの定義は
幸せとほぼ同意語で
心からの笑顔が存在してること。
ネパールに2ヶ月いて、
道や店やバスの中や
仕事場や学校や橋の上や
結構みんな笑顔やねん
ご近所付き合い、路上の挨拶、
その過程が他人の私からでもめちゃ見える。
その中での人々の顔と笑顔

カーストとか残ってるし
もちろん皆が皆
幸せなんてありえないだろうけど
でもすごく豊かさや、
人間としての素敵な笑顔によく出会う。
私の夢は、
自分を認識しながら
他者と自然と豊かに
人間らしく生きる場所を
デザインすることです。
「ない」という意味は
人間らしく生きることに
すごく繋がってる!

人間らしく生きるってことの意味は、いったい何だろう。
人間らしくってなんだ!!
わっからなーい

「ない」ということについて考える。
バスタオルじゃなくて、タオルで身体を拭いてね。水が勿体無いから。
と、言われたのは5年以上前。
スキーインストラクター時代の友人が携わっている山村留学のお手伝いに行った時のこと。
生まれて初めて、3日間ぐらいをバスタオルではなく、タオルでやりすごした。
始めは、
いやいや無理やろー
て、思ったけれど、
慣れると全然平気になった。
そこから忘れてた
「ない」ことについて。

ネパールに来てから
シャワーのお湯が出ないとか、
鍵が壊れて自分でなんとか直したり、
トイレの排水溝のヒビをテープでなんとかしたり、
電気がなかったり、
信号がなかったり。
「ない」と感じることが多くて、再び「ない」ことについて無意識に考え続けてたら、
こっちで仲良くなった玉ちゃんに、いい言葉を教えてもらった。
川上未映子さんの世界クッキーだっけな?p145 「有無にじりじり」
何も「ない」ことが自由なのか
それとも譲れない何かが「ある」ことは、豊かさに繋がることなのか.

何も「ない」ことが自由なのか.
そして
今朝の満員バスに揺られながら見てた9/25琉球新報のコラムに載ってた、沖縄の御嶽を訪れて発した岡本太郎の言葉。
「何もないということの素晴らしさに私は驚嘆した」
「ない」ってのはさ
一体どういうことなんだろう
豊かさとどのように関係するのだろう。
多様性について
デンマークで考えてた時
どうして英語ペラペラやのにデンマーク語を残すんやろうとずっと考えてた。
そして辿り着いたのは
きっとデンマーク語で幸せを感じる人がいるからだろう、という結論。
英語じゃなくてデンマーク語じゃないと駄目な理由は
芸術や文学など伝統文化を残すだけじゃなくて、デンマーク人のアイデンティティを築いている譲れない「何か」があるからだろうし、
そしてデンマーク語に基づいた誰かの幸せ、つまり誰かの笑顔を維持するためなんだろうな。

多様性が大切なのは
誰かの譲れない「何か」が
その人の幸せに繋がっているからだろう。
その幸せのツボみたいなのが
多ければ多い程
良いに違いない、と思ってた。
しかしながら、
「ない」ことも
豊かさに繋がることに気が付いた気がする。
選択肢がないことは
逆に自ら作り出すことができることでもあるし、
それは選択肢が無限に広がってることかもしれないし、
それは選択肢がひとつしかなくて選ぶ自由がないことかもしれないし、
選択肢が限られていることは、自由が限られていることでもあるし、
例えば
ついさっき建築家のロヒトに教えてもらった話のように、彼が1985-1991の6年間ソビエトで建築を学んでいた時、
ソビエト連邦下の学生は政府から就職先の選択肢を与えられていて、
深く考える必要もなく、その限られた選択肢から選ぶだけ。
「ない」っていうことは
一体どういうことなんだろう。

選択肢は多ければ多い方がいいと信じてたけれど
どうやらそんなことばかりでもなさそう。
日本からしたら、「ない」ことだらけのネパールに住む人々は
果たして豊かではないのかしら?
私の豊かの定義は
幸せとほぼ同意語で
心からの笑顔が存在してること。
ネパールに2ヶ月いて、
道や店やバスの中や
仕事場や学校や橋の上や
結構みんな笑顔やねん
ご近所付き合い、路上の挨拶、
その過程が他人の私からでもめちゃ見える。
その中での人々の顔と笑顔

カーストとか残ってるし
もちろん皆が皆
幸せなんてありえないだろうけど
でもすごく豊かさや、
人間としての素敵な笑顔によく出会う。
私の夢は、
自分を認識しながら
他者と自然と豊かに
人間らしく生きる場所を
デザインすることです。
「ない」という意味は
人間らしく生きることに
すごく繋がってる!

人間らしく生きるってことの意味は、いったい何だろう。
人間らしくってなんだ!!
わっからなーい


