今回入院となり、適切な処置を受けたことによって、発熱もなくなり、不思議なことにマイコのせいだと思っていたひどい咳も消え、久々に体が楽な状態で一人の時間がもてているので、ブログを書きたいと思えた。

昨日の時点で母も私も子宮摘出を覚悟した。あんな病院にかからなきゃよかった、もっと早く市民病院に行っておけばよかった、そんな思いも巡る中、救急車の中で母と私の思っていたことは別なことだった。

母は私をじっと見つめ、救急車で運ばれる最中も絶え間なく流れ、じわじわ染み出る出血を見ながら泣きそうな顔だった。

命だけは助かってほしいという一心だったらしい

反対に私は、止まらない出血や腹痛、冷や汗やふるえを感じながら、子宮がなくなっちゃうんだなと冷静だった。家で大量出血が始まったときも、ホントに死ぬかもなと感じながら 
あ~こりゃ確実に~子宮なくなるな。

と冷静で、自分のバイタルを確認しながら、マメ子が心配だった。

急に穏やかだったマメ子が、火がついたように泣き出して、おばあちゃんに何度もマメ子のことを頼みながら、救急車に乗った。

車中でも、マメ子だけでも無事にいてくれてよかったなとか、SPO2が酸素下で83%に下がったときも、マメ子が無事なことに感謝し続けた。これが私でよかったと、マメ子にこれと同じくらいきついことはあってはならないと思った。

それと同時に、二人目否定派だったけど、子宮をとって完全に選択権なしと言われると、何だかつらいなあと言う気持ちがわいてきて、それと同時に、ホルモン剤一生飲むんだろうなという、今後始まるであろう闘病生活を考えた。

今回感じたことは、完全に個人的な意見だからムカついた人はスルーをしてほしいが、子宮があるということは、何か方法を尽くせば子供ができる可能性があると言うことで、それを人間が、できる可能性のあること、つまりセックスをしておきながら、産む産まないという選択をするなんておこがましいことだ。

自分も子宮をもちながら、二人目がほしいか分からない状態で、できたら産むけど、ほしくて仕方ない訳じゃないとバカなこと言っていたが、本当にほしいと思えるまでは避妊をしっかりしようと思った。ほしくて仕方ないと思える日まで。

二人目を迷えるありがたみを痛感しながら、支離滅裂な事をつらつら語ってしまった。

スッキリ
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