韓国に来て今年で10年目になります。

最初1,2年は韓国という社会に慣れるのに精いっぱい。

その後は出産、幼児期子育て、、、などなど

色んな事を言い訳に、

本業の研究者としてのお仕事はセーブして

辞めずに続けているだけでも良くやってると自己評価してきました。

ところが、、、

去年から、私個人の研究費を貰っていて、

研究の進み具合や結果に対しての責任が伴うようになり、

それがまた将来への評価にも響くということになり、

「家庭が優先で片手間に研究してます」ってのが通用しなくなりました。

そのうえ、

共同研究や会社からの依頼研究やらが立て続けに舞い込んできて

4月から休憩時間もとれない毎日を送っています。

自分の研究全部ストップで、8月末まで急ぎの共同研究3個を

終わらせなければなりません。さらにもう一件、依頼研究の打診もあり

正直、頭がパニックです。

 

若いころ、自分で面白いと感じて選んだ「脳神経分野」の研究を

ずっと続けていて、私にとって研究はお仕事というよりは

趣味に近いものです。若い頃、能力が足りな過ぎたのかもしれませんが

歳をとればとるほど、視野も広がり、経験も増え、面白いと感じる対象が

さらに増えていってる気がします。

ですから、研究が忙しいのは、幸せな忙しさなのですが

土日返上、徹夜で研究室にこもっていた大学院生の時と違って

家事一般、小学一年生の息子の子育ても手を抜けません。

歳はとってるというのに、大学院生の時よりハードな生活です。

 

有難いお仕事の忙しさで、家庭や子供へしわ寄せが行くようでは

今後もやりたい仕事を引き受けられないので、

栄養剤で自分をごまかして、いつもの私2人分のエネルギーを出して

毎日過ごしています。

 

こんな時、どう頑張っても、子供に負担をかける事もあります。

例えば、予定通り実験がうまくいかず、今日の仕事が終わってないのに

学校→塾のスケジュールを終えた子供を迎えに行く時間が来てしまう

事があります。仕方なく研究室に連れて来て、夜8時近くまで帰宅できない

って事がありました。申し訳ないと思いつつ・・・。

でも、子供って、親が一杯一杯だったら、わがままとか言わないものです。

一生懸命、トイレに行く時間もなく仕事してるって伝わったようです。

家に帰ってから、一日の疲れを感じる余裕もなく

大急ぎで夕飯の支度して、洗濯機回して、後片付けもして

ようやく座った私を抱きしめて

「オンマ、よくやったよ。

がんばったよ。(日本語で)」

ですって。

びっくりしちゃいました笑い泣き

 

親が完璧でなく、弱い部分や、パニックになってる部分や、

足りない部分があると、逆に子供が成長して、

支えてくれるものなんだなーと気付かされました。

 

女性が結婚、出産、子育てしながら仕事をするってのは、本当に難しい。

この現実をあまり直視せずに、私達の世代は、男女平等になる時代に

大人になるからって、男女の差なく勉強し、大学も出て、社会進出しました。

 

従来の女性の家庭での役割が減る訳でもないのに

(女性しか産めないし、ママの役割は他の人では代われない、

パパやおばあさんの助けとは別物です)、

さらに社会的役割まで追求してしまう私達の世代は、

新しい女性の生き方を模索しなくてはならず、皆疲弊している気がします。

恵まれた環境の女性が、本当に少数なのに、社会的にも成功し

家庭と両立してるのをお手本のように目立たせるから、

それが出来ない普通の人は苦しんで、もっと頑張らないといけない。

 

今の時代、女性に対して、あまりに選択肢が多すぎるんでしょうね。

どう選択しても、幸せに生きるのが難しい。

 

この苦しい忙しすぎるママを見て育つ次の世代は

仕事も、家庭も求める価値観にはならないかもしれませんね。

現実を間近で見ちゃったら、また別の生き方を模索するでしょう。

 

私の場合は、もう今更遅いですしね、

性格上、ゆとりのある人生にあまり幸せを感じない貧乏性なので、

忙しくてぶっ倒れるーって言いながら、欲張りに仕事も子育てもして、

大病をせずに長生きできたら、

死ぬ時に幸せだったと言うのかもしれませんほっこり

 

仕方ない、

死ぬ時に幸せだった、満足じゃ~と叫ぶために

今日も栄養ドリンク飲んでワーキングママ、がんばります!