みなさん、
おはようございます。
【朝の道標】を見に来ていただき、
ありがとうございます。
今日も夏休み特別企画、
「学校教育の闇」をお届けします。
今回は、
【私立学校の熾烈な生存競争】の3回目、
「本当に生き残る私学とは」です。
ということで、
私学に求められる要素の概念と、
具体的なモデルプランの提案をしていきます。
もっと砕けた言い方をすると、
「「なんや、こんな学校があるんやったら、
公立行かんと私立行ったるわ!」と言わせたろう計画」です。
なので、
ちょっと本気で、
だいぶ理想的なお話になるので、
軽い気持ちで楽しんでいただければと思います。
さて、
大きな概念から言うと、
「教育は国家の柱」だとぼくは思っています。
なんでかというと、
国家を支えるのは人であって、
その人を育てるのが教育だからです。
教育が軽んじられてしまうと、
立派な柱となる人が育ちません。
だからこの「柱」を上手に育てる学校は、
国家から必要とされるので、
生き残る学校になるのは当然です。
つまり、
役に立つ柱を育てられることが、
生き残りの条件なのです。
でも私立にとって肝心なのは、
公立と同じような「柱」を作っていたんじゃ、
赤字でも生き残れる公立に対して、
勝ち目はないという事です。
ではどんな「柱」を作ればいいのか?
そもそも「柱」といっても、
単純にまっすぐな棒ばかりじゃなく、
色んな役割や種類があるんです。
簡単に分けて言うと、
縦、横、斜めの3つです。
(資料のリンクを添付します。)
https://otani-38.com/_file/ja/article/117/pdf/2/
とはいえ、
ぼくは建築の専門家ではないので、
これは例えとして使っているだけなので、
あんまり突っ込まないでくださいね。
この3つにの柱に分けた場合、
一番多く使われるのは縦の柱です。
次に縦の柱をつなぐ横の柱です。
最後に斜めの柱となっています。
じゃあ、斜めの柱はなくても大丈夫かというと、
そんなことはありません。
「すじかい」のように横揺れを防ぐ特殊な柱がなければ、
地震などの特別な場合に強度を保てず、
建物を長い間安全に保つことができません。
こんな「斜めの柱」を育てるのが、
私学の使命なんじゃないかなと思うわけです。
逆に公立学校の使命は、
大量に使われる縦の柱を育てる事なので、
どこの学校でも大体同じような教え方で、
普通の大人を育てようとしてるんです。
いわば公立学校は、
縦柱の大量生産を担っているわけです。
もっと飛躍した言い方をすれば、
公立学校は大型チェーン店だともいえます。
だからあの有名なファストフードと同じで、
どこの店でも同じハンバーガーを出せるように、
公立学校でもマニュアル化された教育方法を、
頑なに守らなければならないんですね。
でも大型チェーン店では、
独特の味にこだわりを持つ個人経営に対抗して、
その味を真似をすることはできません。
では私学の独特の味「斜めの柱」とは何か?
それは活躍する場面は少なくて、
目立たない存在かもしれないけれど、
いざという時に役に立つような存在。
それはブレない信念を持ち、
災害があっても不景気に落ち込んでも、
前向きに進み周りを支えられる存在。
そんな縁の下の力持ちのような人材こそが、
「斜めの柱」なのです。
そういう温かく役に立つ人材を育てつづられる学校ならば、
周りの学校と生存競争をすることなく、
むしろ上手に協力関係を築き、
この少子化、人材不足の困難を乗り越えていけるでしょう。
だから私学には、
今、質が落ちている公立に変わって、
力を合わせこの窮地を支えるような、
温かみのある人材を育てる教育をしてほしいのです。
でも残念ながら、
現在日本全国の私学を見渡した時、
そんな謙虚で温かみのある学校は、
あまりないのが現状のようです。
国家とは国の家と書きます。
家族の中には父親のように表で活躍する立場もあれば、
母親のように陰で支える立場も必要です。
父親が病気がちで頼りにならないときは、
母親が気丈にふるまい盛り立てる、
まずしいころの日本にはそんな美徳がありました。
今の日本の教育には、
そんな気丈な母親のような私学が求められており、
その使命を果たそうとする学校こそが、
この苦難の時代を生き残っていくのだと思います。
ぼくが思う私学生き残りの要点は、
「母親のように謙虚で温かみのある学校」です。
とはいっても具体例がないと分かりにくいと思うので、
次回、具体例を用いたモデルプランを、
提案してみたいと思います。
そして今、
この熾烈な生存競争という闇の中で、
光り輝く知り私立学校が増えてゆくことを願うばかりです。
さあ、今日も新しい一日のスタートです。
元気に、行ってらっしゃい!