こんにちは、

「やまかん」こと、

山﨑観紀夫です。

 

みなさん仕事が始まる前って、

身構えてしまいませんか?

 

僕もいつも大きな仕事の前は、

緊張して硬くなってしまいます。

 

そして、

来週から本格的に学校の授業が始まることになり、

改めて学級開きを目前にして、

戦々恐々としているのです。

 

 

●『緊張感高まる学級開き』

 

学校の先生なら誰だって、

4月の学級開きの前は、

力が入る時期だと思います。

 

それは「黄金の3日間」があるからです。

 

「黄金の3日間」とは皆さんご存知の通り、

4月の新学期が始まる最初の3日間のことです。

 

この3日間で子供の心を掴めれば、

1年間の学級経営がうまくできると言われていて、

多くの学校の先生は、

この期間に何をしようかといろいろと考えています。

 

 

●『情熱で温めるヤミ鍋式』

 

ちなみに僕はいつも「ヤミ鍋式学級開き」をしています。

 

それはどんな子供の担当になったとしても、

大きな器で受け入れて、

冷めた感情の子供や、心を硬く閉ざした子供でも、

熱い情熱で心を温め気持ちを1つにしていく方法です。

 

そこで大事なのは「笑顔」です。

 

どんなに難しいことが起こったとしても、

笑い飛ばして受け入れる豪快さ。

 

つまり、鍋の具材が少し変わっていたとしても、

「おいしい!」と言える「笑顔」なのです。

 

これを1ヶ月続け、

家庭訪問、参観日を乗り越えていくと、

自然と信頼関係を作り上げていくことができ、

子供たちが自分の味に染まっていくのです。

 

 

●『熱が届きにくいオンライン』

 

ところが今年はそれができなかったのです。

 

今年は新型コロナが流行し、学校が休校となり、

4月の1ヶ月間、ほぼ子供たちに会うことができませんでした。

 

さらに5月の1ヶ月間は休校の延長となり、

僕たちは初のオンライン授業に臨むことになりました。

 

このオンライン授業では参加を義務付けていなかったこともあり、

全員の様子を把握することができず、

ある格差が生まれてしまいました。

 

それは、積極的に参加して画面によく映る子供たちと、

発言のない画面に映らない子供たちとの、

心理的距離の差でした。

 

 

●『サラダボールという新技(荒技)』

 

オンライン授業で使っていたアプリ「ZOOM」では、

発言すると本人の画像が全面に表示され、

その後も並びが最前列になります。

 

つまり、発言の多い子ばかりが画面に映り、

発言をしない子は映りにくくなるのです。

 

教室では、パッと目を配って表情を見れば、

発言していなくても考えているかどうか分かります。

 

でもZOOMではそれができず、

全員が理解して先に進むという、

従来の授業の進め方が難しくなりました。

 

何より遅れた子供が「おいてけぼり」になっていることに、

気づかない自分が許せませんでした。

 

そんな時、

学年で話し合った「テーマ」が思い出されました。

それは「サラダボール」という考え方です。

 

どんな野菜も、そのままの味や形のまま、

1つの器に入れて食べる。

 

つまり、どんな子供の特性もくずさず、

大きな心で受け入れ、

味付けはシンプルにということ。

 

よく喋る子もいれば大人しい子もいる。

こちらが無理にバランスを取ろうとしたら、

その子らしさが失われるんじゃないか。

 

鍋の具が荷崩れを起こすように。

 

「サラダボール」を思いついたときは、

それほど深く考えていませんでしたが、

今になってそう思えてきたのです。

 

 

●『息子の音読』

 

そんな迷いが逡巡している時、

息子が宿題で音読をしているのを耳にしました。

 

宿題なので誰かに聞いてもらうことを意識してはいないようでしたが、

とても上手だったのです。

 

声の大きさ、声の高さ、読む速さを自在に変え、

読み方の工夫があちこちにみられました。

 

僕は教師として自分のクラスに情熱を持って、

これらの音読の工夫を教えてきましたが、

これほど上手な読み方は稀なので、

「なにっ、公立の学校に負けたのか!?」

と悔しさが先走りました。

 

僕は息子が読み終えるのを待って、

聞きました。

 

「先生がその読み方を教えてくれたの?」と。

 

しかし息子は、

「いいや、先生は何も言ってなかったよ。」と答えました。

 

その時、ハッと思い出しました。

 

息子は男の子のなのに外遊びをあまりせず、

人形やロボットを使っていつもママごとみたいな遊びをしており、

操るキャラに合わせて変な声を出すのです。

 

僕はそれを見る時いつも、

「変な声は出さない方がいい、外で遊びなさい。」

と促していました。

 

でもこれって実は登場人物になりきって、

場面をイメージしセリフを言う練習になっていたんです。

そして上手な音読を生み出していたんです。

 

大人の目では、変なことや無意味なことに見えても、

子供は子供のやり方で成長しているんだとうことを、

思い知らされました。

 

 

●『見守る勇気』

 

それから僕は発言の多い子や発言の少ない子のどちらも、

あまり気にしないようにすることにしました。

 

少し勇気のいることでしたが、

「発言する = 良い子」という公式は、

大人の決めたルールであり、

「発言しない = 難しい子」とは、

言い切れないと思ったからです。

 

もしかしたら、

「発言しない = じっくり聴く子」

という価値があるとも言えます。

 

よくよく考えてみれば、

今までは自分の思い通りに子供をコントロールし、

子供らしく成長するのを邪魔していたのかもしれません。

 

でもあまり気にしないとはいえ、

子供に目を向け続けることはやめないつもりです。

 

子供の中に素晴らしい光を見つけるのは、

この仕事の醍醐味ですからね。

 

 

●『「らしさ」をみつけよう』

 

子供が輝けるように小さな光を見出すこと、

それが教育の原点なんだと思います。

 

少なくとも僕はその光を見つける時、

涙が出るほど喜びはしゃぎ回ります。

もちろん子供と一緒に。

 

今まで僕はヒトクセある子供には、

対話と言いながら「言い聞かせる」形をとり、

自分の思う方向へ引っ張ろうとしていました。

 

でも今後は心を大きく開いて受け入れてみます。

そしてじっと見つめてキラリと光る、

その子の持っている「らしさ」を見つけようと思います。

 

どこまでできるかわかりませんが、

ちょこちょこ経過を報告していきますので、

気長にみていていただけると嬉しいです。

 

それでは、

ここまでお読みいただき、

ありがとうございました。

 

山﨑観紀夫

 

追伸:

関連動画のURLです。

https://youtu.be/ZNqopz7LH7k