元気がないけど、ネタを一つ。
そんで、元気がないから笑いもなにも無い文章です。
そして、lala的にアンニュイな部分でもあるので
元気がほしい人は飛ばしてください。
ほんとに。
ブログネタ:母の日、何した? 何を贈った?
参加中
既に母が他界して、8年ぐらいたってるのかな。
もう忘れてきちゃったこの頃ですが、
定番でしたがいつもはお花をあげていました。
カーネーション
。

lalaの父も母も愛情深いタイプだったので、lalaは
誕生日も母の日も父の日も、結婚記念日も、初任給も
必ず何かをおくっていました。
それは高校でバイトをはじめてからずっと。
お花であり、ケーキであり。
旅行に行けば必ず母にお土産を買って帰り、
母が他界してからは、命日にお彼岸に、数年間欠かさず
お参りをしていました。
そんなlalaは母っ子でしたから。
それがここ数年で変わったことの1つといえるでしょうね。
2年前に結婚して、lalaにも家族ができました。
健康なおとうさん・おかあさん。そして夫。あ、おとうとも。
結婚が進むにつれて、母のお墓参りも年に1、2回行けたらいい
ぐらいになってしまった。
お母さんごめんなさい。
新しい家族は、本当に健康で、前向きで行動的な人達です。
イヤ、母が前向きではなかった訳では消してないんですが、
母は病気だったからか、家にこもりがちではあったし、
遠出も外食も嫌いな人でした。(今思えば病気のせいだったのかな・・?)
父ももともと人付き合いが不器用な所はありましたが、
そんな母と連れそうにあたり、母に合わせるかのように
やはり出かけることが面倒な所がありました。
それでも、私が車で連れて行く時は、
どちらも嬉しそうだったけどね。母はあんまり連れて行って
あげることは出来なかったけど。
そんなで、案外親孝行はしつくして来たなんて
思ってる訳ではあったんだけど。
案外親が健在な人に限って(イロイロ事情がある場合は別だけど)
何にもしないんだなぁ~。って思う。
夫なんかもしかり。
別に死がいつも近くにあったわけじゃなかったけど、
健康でない母にも、おこづかい範囲のパチンコ以外趣味のない父にも
子供が全てではあったんだろうなぁ。
気にする私がバカみたいだなぁ~。って。
結婚してから、母の日は夫の母にお花を贈っていました。
父の日ってのは案外忘れちゃうんだけど、義母にはしっかりね。
義母は「あなたたちが元気であれば、何にもいらないのよ!」
って言ってくださる。
会えないから、ネットで注文できるお花を何度か贈ってはいたものの。
毎回お花も芸がないなぁ~。って思って、義母は中国っぽいものが
ほしい。とも言っていた。
でも、配達事情から、ちょっと面倒ではあった。
しかも、プレゼントして喜んでる顔を見るのが私の何よりの楽しみだったし。
今回は、そんなで悩んでいるあいだに母の日になっちゃった。
(来週末こちらに来るから、その時にわたす用意はあるんだけど。)
夫の家では、誕生日のお祝いをすることはあっても
母の日、父の日に感謝を言葉にしたことはあまり無い様子。
もちろん、日本の行事にこだわらない。って
夫の家族の家訓みたいなものもあるんだろうけど・・・・。
でもこてこて日本の家族の私は
電話ぐらいしたら?って。
夫が母の日に電話をしただけで、喜びのメールをしてくる義母。
そりゃそうだよねぇ~。
でも結局夫は返信メールもしない訳さ。
私も初めのころは、変わりに返信してたけど、
最近なんだかやる気が起きず、そのままにしてたりする・・・・。
だってさ、いくら頑張ってみたって
所詮他人な訳だし。
夫が電話したら満足な訳だし。
電話を変わって、私と話がしたい訳じゃない。(笑)
好き、嫌い。の前に絶対的な愛情がかけているのさ。
離れているからこそ、自分の家族に対しての気持ちや
思いが強くなるのは当然のこと。
な訳で、必然的にいつも顔を合わせるわけじゃない嫁にまで
気がいかないのもわかってます。
そして、いつも息子をくれぐれもよろしく。と言われるのも。
イヤ、可愛がっては貰ってるよ。
でも、なんだかちょっと重い。
母親の愛情が重い。
子供を可愛がれば可愛がるほどに、私は部外者って気がする。
とってつけたような、家族ごっこ。
義母が好き・嫌いとは別の感情が生まれるのをどこかに感じる。
現在私の父は子供に戻りつつあって、
私が実家をでてからは、姉が通いで面倒を見ることになった。
私が遠くにいることをあるていど理解した父は、
なんでも姉に用事の電話をかける。
ストーカーのように一日に何度も何度も、同じことや違うことを
くりかえし。
そして姉がでないと、おこぼれのように私に電話が来る。
「あれ、オネエちゃんに電話したんだけどなぁ~。」って。
いろんな意味で情緒不安定な父。夜中の電話もしょっちゅう。
「帰ってきてくれないか?」って言われたのも1度や2度じゃない。
泣きながら「もう、死にたい。」とか「あの世に行きたい。」
「どうしたら、死ねるんだ?」、「これからどうやって生活していけばいいんだ?」
そんなこともくり返される。
子供に何も求めない親と、子供に求めすぎる親。
なんだかまったく対照的。
恐らく健全な状態で生まれる平和的なことが
私の中で、ねたましさをもっているのではないかと
いう事に気がついたのはいつだったか・・・・・。
母の病気が悪くなってから、うまく甘えることが出来なくなった自分。
恋愛や仕事、なんらかに弱音をはいたり、傷ついたりしている人。
気持ちはわかるし、理解できる。
でも、他人の前で泣いてばかりとか、それだけでいっぱいでずっと
ひきずる人って甘えてるとしか思えない。
自我をそんなに出して、人にぶつけることが出来るのはずるいと思う。
もしくは、そんな環境に甘えている。と見える。
そんな訳で、「甘えんぼは嫌い。」 といつからか、
人に対して厳しくなった私。特に女の子。
可愛いらしさアピールからくる甘えがホントに嫌いだ。
年齢にもよるけど。
ただ単に、甘えられない環境になったことで、
人を甘えさせられる余裕がないだけともいえるけど。
かわいらしさはその辺で捨ててしまった。
そんな訳で、先日の友人もそうではあると思うけど、
甘えんぼの女の子はイマイチよりつかないんだよねぇ・・・・。
いいんだか、悪いんだか。さみしい所でもあるんだけど。
でも、実際親について言えることは、誰にでもいつか起こりうること。
私は少し早かっただけ。
そう思うことで、誰かをねたむという気持ちもやわらぐ。
そんな訳で、年配の人と気があうのも仕方ないけど。
執拗にオシャレとか、物にこだわることもその頃からなくなった。
そんな訳で、優しく平和な生活が当然の夫には理解できようもない
そんな私の葛藤がどこかに蓄積されているのかもしれない。
先日の友人とのことで、再確認した私のどうしようもない
駄目な部分だったりするのかな。
夫婦や友人といえども、別の環境で生きてきたわけで、
わからない人に激しくぶつけることなどとうてい出来ないけど、
ここであれば、そんな本音も吐き出してもいいかなと思ったりした。
人に受け入れられるのも、人を受け入れるのも難しいけど、
でも人が好きなことは確かなんだけどね。
あ、でもそんなlalaも、夫はわかってか、わかってないでか、
病人として甘えてます。(頼るではなく、わがまま的な所だけど)
優しい人です。