みなさま、こんばんわ🌜
通信制大学の前期の課題やテストが全部終わりました❗😄
イヤッホーウ🎵👍✨
面白そうなオンラインイベントや、友達との約束や、やりたかったことも全部棚上げにして勉強に打ち込みました❗
頑張ったー😄
後は、成績発表を待つばかりです😉
さー❗ 遊ぶぞ~~~😄👍✨
❶ 私の人事異動
1. 新しい部署に異動した
ところで、私のお仕事についてのお話です。
8月1日付で、私は新しい部署に異動となりました。
コロナ禍ということもあり、私は基本在宅ワークです。
時々出勤させていただきますが、異動に伴ってその出勤先も変わりました。
2. 旧部署と新部署での仕事内容の違い
旧部署では、主に事務ワークを担当させていただいておりました😄
ドキュメントの作成、データ収集などのリサーチがメインでした。
新部署では、なんと❗ デザイン的なお仕事もさせていただけそうなのです😲✨
デザイン的なお仕事・・・私の長年の夢でした✨
新部署のみなさまへ送信させていただいたごあいさつ状👇👇👇
❷ 忘れていた子どもの頃の夢
1. 子どもの頃の私の夢:芸術の道
私は中学生ぐらいの時から、ボンヤリと「将来は芸術系の大学に行きたい」と思っていました😄
私は、物心つくかつかないかぐらいの時から、絵を描くことが大好きで、いつも絵ばっかり描いているような子どもでした。
高校時代も美術部に在籍し、油絵を描いていました。
2. 子ども時代の私の才能
これは4歳ぐらいの時からずっとそうなんですが、不思議なことに、私が絵を描くと、賞状が必ず1枚ついてきました。
時には盾や副賞もいただきました✨
私が絵を描くと、必然的に展覧会に出品することになり、最低でも「佳作」をいただいておりました。
才能がないわけではなかったと思います。
高校生までの話ですが(笑)
私は本当は、芸術コースの人間だったのではないかと思います。
3. 私が芸術コースを目指せなかった理由
しかし、私が高校を卒業した時代は、平成大不況の真っただ中❗
普通の大学を卒業しても仕事がない時代。
芸術系の大学なんてとんでもありません❗
私は、芸術系の大学に行けるのは、卒業してもお金を稼ぐ必要のない、裕福な家の子弟だけだと思っていました。
私の一方的な思い込みなんですけどね(笑)
しかし、そんな大不況の時代でも、ちゃんと芸術の道に進み、才能を遺憾なく発揮され、しっかりと身を立てられている方もたくさんおられます。
まぁ、結局のところ、自分は芸術の道に縁がなかったのだと思っています。
❸ 大人になった私が選んだ職業:看護
1. 時代に合わせて合理的に選んだ職業
そこで、私は、
- まず仕事がある
- 自分が興味関心のある仕事である
- 仕事内容が自分でも自分に適していると思う
- その仕事に就くことが、自分の実力で実現可能である(無理そうではない)
と言う理由から、合理的に 准看護師 を選びました😉
不況の時代だったので、看護学校に入学してきた学生たちの中には、お金のために看護師を目指している人もたくさんいました。
そんな時代だったんです。
2. 縁もゆかりもなかった医療の道
今でこそ、私は大卒の看護師資格のある人ですが、元々は看護師になろうと思ったことなど一切ない子どもだったのです(笑)
高校生の頃の私に、「あなたは将来、看護師になるんだよ」と言ったら、何のことかわからなかったでしょうね(笑)
家族・親族の中にも、誰1人医療従事者はおらず、医療には縁もゆかりもありませんでした。
家族・親族の中では、私が初の医療従事者でした。
しかし不思議なもので、実際やってみると、私はすっかり看護に魅了され、看護に夢中になっていきました。
看護こそがこの世で最も価値ある仕事であると確信し、看護師であることに誇りを持っていました。
3. 過酷で尊い看護の道
看護師であることはいいことばかりではありません。
看護師として働くと、仕事が終わるとクタクタで、私は仕事以外は何もできませんでした。
担う責任が非常に重く、要求される知識や精神性や技能は果てしなく高く、思わず目をそむけたくなるような辛い辛い現実に直面しなければなりません。
看護を実践してみて思いましたよねー。
「地獄はあの世にあるのではない。この世こそが地獄の1丁目だ。」と。
それぐらい酷いことが、当たり前のように目の前で起きていました。
決して人為的に引き起こされたのではなく、「老い」や「病」や「事故」や「ケガ」や「死」によって。
病院は人が苦しみ死んでいくところ。
いいことの方が圧倒的に少ないのは考えるまでもありません。
それでも、統合失調症にさえならなければ、私は生涯を看護師として生きることに疑問は持たなかったでしょう。
4. 今ふりかえる看護への思い
看護師として働けたことは、
「自分は尊い仕事に従事させていただいていたのだ。
志しても、誰もがなれる職業ではないのに、自分は看護師として選ばれた人間だったのだ。
最後まで使命を果たすことはできなかったが、一時でも看護の世界に身をおくことを許されていたのだ。」
と今は感謝の気持ちでいっぱいです。
看護師になるまでも、看護師になってからも、私はいつもベストを尽くし続けてきました。
常に最大限に頑張っていたので、あれ以上のことはできなかったと思います。
そういう意味で、私は看護に対しては何の悔いもありません。
看護師の業務を離れて、4年の歳月が経ちました。
今でも、心のどこかで、自分は看護師であると思っています。
まぁ、そんなに簡単に人間の心は変わりませんよね😄
❹ 1周まわって“ふりだし”に戻る
1. 原点への回帰
子どもの頃、志していたのは芸術の道。
しかし、いつの間にか、芸術への思いはすっかり忘れていました。
昔、自分が本当は「芸術家になりたい」と思っていたことすらも。
不思議なことに、もはや2度と、芸術に携わる機会はないものと思っていた・・・というか、芸術に対する気持ちすらすっかり忘れてしまっていたところに、巡り巡って、デザインのお仕事に携わるチャンスが舞い込んできました✨
すごく不思議ですが、統合失調症になって、1周回って、スタート地点に戻ってきたような感じ です(笑)
高校生だった頃の私に教えてあげれば、きっと喜んだでしょう🎵
2. 何かを得れば、何かを失う
私は統合失調症によって「看護」を失いました。
「看護」は私のアイデンティティの中核でした。
看護師であることが私でした。
しかし不思議なもので、何か1つを失った結果、別のものが何か1つ戻ってきたような、そんな気がしています😄✨
普通は「何かを得れば、何かを失う」と言いますが、自分は逆なんですけどネ(笑)
3. お仕事は夢を描いて順風満帆🌈
今回の人事異動は、私にとってとても大きなチャンスとなりました👍✨
チャンスをものにするべく、張り切って頑張らせていただきます🎵
旧部署でお世話になった憧れのイケメン社員さんからのメール😍 👇👇👇
毎日がたのすぃ~~~😄🎵✨
Happy Days 🍀✨