授かりし命をつなぐ道

授かりし命をつなぐ道

紫微斗数について、宇宙自然の法則について綴るブログです。

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前回のブログ「桃花とは何か①」の続きです。

 

私達人類は元々、群婚という制度を採っていたのが稲作が始まるのと同時に「一夫一妻制」を採ることになります。そこにはメリット・デメリットもあるということは前のブログに書きましたので、またご覧ください。

一夫一妻制になった時に、異性関係・夫婦関係の縺れが出てきたことで「イセの道」という教えが確立されました。現在の伊勢神宮や伊勢市の「イセ」は実はここからきています。
「イセの道」について詳しく書くとまた多くの分量になりますから、また別の機会に書くとしここでは「夫婦がお互い心を合わせて、協力しあうことを説いた道」と簡単に書いておきます。

古来日本人は、男女の役割は「天地(アメツチ)の関係」に準えられていました。つまりは、天である男、地である女がそれぞれの役割を発揮して家族を作っていく。そしてそうすることで、生業(仕事やそれによって得られる食糧)も安定するということです。紫微斗数で言うと、夫官線がそれにあたります。

夫妻宮と官禄宮を比べると「夫妻宮」の方が主軸になると、講座でお話した所以がお分かりいただけましたでしょうか。現代人は、キャリア、自己実現、つまりは官禄宮を重視される方が多いと思いますが、本来は夫妻宮が主軸だということです。
ですから、夫婦関係や家庭に主軸を置くことを忘れないようにとの教えが「イセの道」なのです。

さて、では現代人に以上のようなことがすんなりと理解できると思われますでしょうか。現代においては、離婚される方も多く(これも多くは命盤に出ています)、また一生独身を貫かれる方も多いです。つまりは、夫婦の形や生活スタイルも多様化しているため、一様に道を貫き通すことは難しいというのが本音だと思います。ではどうすればよいか。

まずは、自身の命盤を良く知ることだと考えています。欽天四化紫微斗数の命盤は、配偶者との関係や結婚生活の傾向などがはっきりと分かります。それは、自身の前生の行い、特に夫婦生活において積んできた行い、つまりは業(カルマ・ごう)によってある程度決まっていますから、全く人それぞれなわけです。理想の夫婦を想像し、そこに邁進して、理想と現実のギャップに苦しんでおられる方が多くおりますが、人によっての夫婦関係の課題が全く違うため、鑑定で各々どうなっているか、他人と比較することなく、きちんと知るべきなのです。自身はどういうことを果たさないといけないのかが分からないため、迷い、苦しむわけですから、まずは自身のことをよく知ることからスタートするのが良いと考えています。

そして、「桃花」について話を戻しますが、どうしても今生夫婦関係が築きにくい人がいます。それを大きく分けて名付けると「桃花の因縁」といいます。紫微斗数を学んで頂くと良く分かるのですが、夫婦関係が安定しやすい命盤になっている人は、非常に稀です。なぜそんなに少ないのかというのは、前のブログでも書きましたように、これまでの歴史を辿って頂くと良くわかるかと思います。前生の夫婦関係において、中途半端にしてしまったり、課題を残している人の方が多いのでしょう。それらを今生で果たすために生まれているわけですから、それが悪いわけではありません。

桃花の因縁が強いかたは、異性縁はあついですが夫婦関係においては不安定になります。しかし、仕事や人脈という点においては男女問わず縁が多いため、その点では有利な場合もありますから、良し悪しがあるということなのです。逆に、桃花の因縁が少ない方は、夫婦関係は安定しやすいですが、そこで安定するため人脈は広がりにくいということもあるかもしれません。これも良し悪しがあります。
つまりは、自身の傾向や課題を知っていれば、どこに治めていくのが良いのかということに戻れるわけです。これを導くのが命術の本来の使い方だと私は考えております。

欽天四化紫微斗数の勉強をしていただくと「桃花」という言葉が出てきます。桃花とは異性縁と思われる方が多いですが、男女問わず幅広い人間関係を指すこともあります。

十二宮のうちの最たる桃花宮は「奴僕宮」ですが、しかしほとんどの宮で桃花を見ることができますし、生年Cや→Cも「桃花」の意味になります。ですから、大なり小なり誰でも桃花の因縁を持っているということを自覚することが必要だと思います。

この桃花というのは、実際どのような象意として出てくるのか。

一例を書きますと、「結婚、恋愛、浮気、友人関係、離婚、病、事故怪我意外」になります。結婚や恋愛と聞くと、良い意味に感じますが、なぜそれが病、事故怪我という意味にもなるのかは不思議な感じがいたします。このあたりは、紫微斗数育成講座にて詳しく取り扱っておりますので、そちらに譲るとして今回は「結婚」の観点に絞って書いていきたいと思います。

元々、私達人類の歴史を辿ると元々、結婚制度というものがありませんでした。群婚「=複数の夫や妻がいる、その時々の縁で夫婦になるという形」をとった期間のほうが長いです。日本国内で言いますと、稲作するようになった頃(イサナキ・イサナミの二神の五代前、ウビチニ・スビチニの二神の頃)から、定住生活が一般的となりました。田んぼを耕すためには、特定の場所に家を構え、また特定の家族で取り組んだ方が効率が良いからです。

群婚の時代は家族の概念も今とは随分違います。例えばお子様を育てるという時も、集落にいる子どもは血がつながっていようがいよまいが関係なく、その集落の大人みんなで子育てをするのが当たり前でしたから、非常におおらかで、自由な環境だったということが言えます。木の実を採取したり、貝を採って食べていた時代はそれで良かったのですが、人口が増えて以上のような食糧を確保することが難しくなってきました。それで始まるの稲作なわけです。

一夫一妻制になったことで、安定した食糧を確保できるというメリットもありましが、当然デメリットもありました。


自分の夫婦に子どもができなければ、妾を置くことが許されていたのですが、当然そこには、正妻と妾との間で感情の縺れが出てきます。また、妾との間に子どもができた後、正妻との間にも子どもができる場合もございます。そうなると、どちらが家の後継者になるかということで争うことになります。これは、歴史を学んで頂くとよく分かりますが、これら諸々の人間関係が「因」となって、現在私たちが目の当たりにする「結果」となるわけです。

ですから、どなた様の命盤を見ても、大なり小なり桃花の因縁があるということは、不思議ではありませんし、それを道徳的に「良い」「悪い」という基準だけに持っていくことは、根本的な解決にはならないのです。
もう少し、桃花について続きます。

紫微斗数には天地人の法則と呼ばれるものがあり、自然界に属するものは全てこの法則に基づいて存在することになります。

簡単にいうと「天」は宇宙・空、「地」は地球・地上のことです。天地と人では、造られた順番で言うと人が最後ですから、人間は天地に逆らうことはできません。
本来、人間の力では雨や雪を降らせたり、地震を止めることはできないということです。もし科学の力でそれを可能にしてしまうと、必ず人間がどこかで報いを受けることになります。これが自然の道理です。

紫微斗数の星で言うと、BとDのある宮が天地になります。この2つの宮に関することは
絶対通っていかないといけないということですので、命盤の生年Bと生年Dの場所は非常に大切になります。

大切というのは、良い意味でも悪い意味双方ありますので生年Bを例に出して以下に説明したいと思います。

まずマイナス面で言うと、非常に力が強いですから扱いが注意な点です。例えば、父母宮にBがあるとまず親や先生がかなり力のある人であったり、何か技術を持ってる人です。またその人の性格は強く我も強いです。出会いたくなくても、必ずそういう人と出会っていきますし、見た目は穏やかな人であっても、しばらく付き合っていくと、その人の言うことに沿っていかないといけなくなるというのがこの命盤の持ち主の定めです。反抗したり、摩擦を起こして頑張っても相手の方が強いため、負けるでしょう。

どうしたらよいかというと、できるだけその人と良好な関係を築いていくように自身を収めていくことと、あとは必要以上に振り回されないことだと思います。なぜこんな強い人とばかり出会っていくのだとしんどい気持ちになるかもしれませんが、それは前生自分がそのような人間だったということですから相手を責めることはできません。

次にプラス面で言うと、力のある人は、良い意味で人を振り回す力を持っています。管理、統率することが得意なので、任せておけば、その人がある程度道筋を引いてくれるため楽な面もあります。(それが強くなりすぎると周りはしんどいというのが正直な感想だと思いますが。)必ずそのような人と出会っていかなければならないのであれば、それが自身の「縁」なわけですから、生かすべきだと思います。この人に着いていけば厳しいけれども必ず、得るものが大きいという人に出会えるように自分自身を磨くことも必要だということです。

以上、生年Bの特徴を挙げさせて頂きました。

このように、必ず出会ってしまう、必ず通っていかないといけない出来事に遭遇するというのがBとDの星の意味なのです。

よく、人間関係に疲れている人はBとDのどちらか、またはその双方が他人の宮(六外宮)にあるケースが多いです。ようは自分自身でコントロールできないため、振り回されてしまい、結果疲れてしまうのだと思いますが、自分を守るためにも自分の命盤がどうなっているか知っておくことで、心構えが違うと思います。

自然の法則と、人間関係の法則がなぜ一緒になるのかと思われるかもしれませんので、補足しておきますが、元々人間も自然の法則に従うように造られました。
例えば、親子であれば親が天で、子どもが地。夫が天で、妻が地というように人間関係にこれらを当てはめていくと丸く収まるように造られています。これは決して男尊女卑ではなく、仕組みの話なのです。
太陽と月の関係と同じです。両者が逆転すると宇宙自然の全ての法則がひっくり返ってしまい、人間も生きていくことはできません。人間関係も同じで、例えば親子や夫婦の関係がひっくり返ると、秩序やバランスが崩れてしまうというわけなのです。

元々以上のように、人間も造られたのですが、人間がある時点でその法則から背いてしまうことになります。そのような道理や法則を守るのは面倒だ、もっと好き勝手したらよいではないかという私利私欲の感情の方が勝ってしまったのでしょう。人それぞれ、どこの部分で道理から逸れてしまったのかが違いますので、自身はどのように出ているのか知りたければ、紫微斗数の命盤を見ればよいというわけなのです。これがいわゆる「定め」というものです。父母宮にBだと、その人のことでしんどいかもしれませんが自然の道理には適っていますから、逆に良しとするべきなのかもしれません。


皆様の生年Bと生年Dはどこにありますか・・・?
 

今年は桜の開花が早かったため、急ぎ足で春の季節に突入した感じがありますが、入学式や入社式、学年の切り替わりなどで皆様も日々忙しくされていることだと思います。

紫微斗数で説明すると、環境の変化というのはまずは遷移宮を見ます。また特に学校や会社の異動に関しては父母宮を見ても構いません。遷移宮や父母宮が良い方(生年ABCがついていたり、逆に自化が何もない人)は比較的環境の変化にあたってはそこまでストレスが大きくないかもしれません。逆に何か問題があれば(生年Dや自化D・破格がある)どこへ行くにも億劫であったり、環境の変化に馴染むのが非常に困難だと訴える方が多いように思います。

自身は遷移宮に生年Cがあるので、基本的に気の赴くままに外へ行ったり、何か学びに行くことは嫌いではありませんでした。しかし父母宮が複雑であるため、特に学校や会社の異動や環境の変化となると、気が重たくなったり、何故かそれに伴って親と揉めてみたりと慌ただしい春の季節を過ごしていたというのはなるほど命盤通りだと思います。誰が悪いわけではなく、自身が通らなければならないことだったと分かれば、納得がいきます。

さて、同じ職場や学校に通っていても、それぞれの命盤の持ち主が寄り集まっているため、感じ方も出会っていく人間関係も全く違います。自分にとってはストレスであることも人からしたら、楽しいことであったり、また逆に自分にとっては楽しいことでも、他の誰かからしたら苦しいことであるということもたくさんあります。

鑑定を通してこのような仕組みをお伝えさせて頂いておりますが、真に腑に落ちて頂くと、「自分は自分」「人は人」と整理できるようになり、結果生きやすくなったと仰って頂くこともあります。

それぞれ背負ってきた荷物を降ろすために、私たちはこうして再び肉体を授かりました。そして様々な人や出来事と出会いながら果たしていく(因果を解消していく)わけですが、これがそもそもの命の仕組みでもあります。今の世の中はたくさんの情報に在りつくことができますから、状態の変化を求めて、解決策を練ることも悪くないのですが、一度自身の人生において「どういうものを背負って生まれてきたのか」ということを知ってからでも遅くないのではと思います。

知りたい場合は是非鑑定を受けて頂ければと思います。

私ももちろん鑑定しますが、他にもすばらしい鑑定士の皆様がみえるので、ブログを紹介しておきます。環境が変わり、少し立ち止まって自身を振り返る機会を持ちたい方はぜひ、お問い合わせください。もし、生年月日時間が分からない場合は、人間関係や人生の仕組みだけでも知っておかれると良いと思いますので、その場合は拙書『授かりし命をつなぐ道』をお読み頂ければと思います。

〜楽園列車〜

AOZORA ROOM

笑顔の鏡

LOVE MYSELF

 

 

前回のブログでは、紫微斗数の勉強に向いている方について書かせて頂きました。次に、鑑定に向いているかどうかにつていてを書かせて頂きます。これも、人それぞれの価値観もあると思いますので、あくまでも私見です。

自分の感情をコントロールできる人
 

幾つかあるのですがまとめると全て以上に集約されると思います。
何回も書いてますように、人の人生は何もかもが紫微斗数のロジック通りには決してなりません。例えば同じ命盤の持ち主がいたとします。起こりやすい出来事や、人生における傾向は似ていても、その人がどの両親を選んで生まれてきているのか、兄弟姉妹がいるかいないか、もしくは選んでいく環境や配偶者、仕事によっても結果はまた変わってきます。人生が命盤通りに行くならこんな簡単なことはないのですが、生身の人間はそうはいかないところに、難しさがあり、人生の面白味や妙もあると思います。
 

さて鑑定においてはまず、その方の状況を始め、実際にどのようなことを考えてみえるのかを聴いていくことになるのですが、その「聴く」という作業でほぼ鑑定の方向性は決まると私は考えています。【現状把握】という作業です。


これはカウンセリングもそうですし、学校の授業も同じだと思います。教壇に立つ先生が目の前の生徒を現状把握できている場合と、できていない場合では授業の質が全然違います。学級崩壊の問題が出てきて久しいですが、現状把握が上手な先生の場合は、学級は崩壊しにくいです。逆に現状把握ができていないと、いくら教材の中身や生徒の学習能力が高くても授業が崩壊していくことは多分にあると経験上思います。

「聴く」と簡単に言いますが、これが中々難しいところでして、こちらの感情が逆立っているときは人の話は聞けません。そして、自身の感情が整理されていないと、いちいち相手の言うことに引っかかってしまいます。

例えば、自分が失恋した後に、非常に幸せそうなカップルが来たことを想像してみてください。いくら自分が傷ついていても、仕事となれば感情を波立たせずに相手の話を聴かなければなりません。また朝、家で家族と喧嘩してむしゃくしゃしていても、その感情を持ったままでは話は聞きにくいです。


自分の感情をコントロールするというのは、感情を出すなと言っているわけではなく、
出てきた感情をとりあえず一度隣に置いて相手の話を聴けるかということです。

また共感することは非常に大切なのですが、それもある程度の線は引いて、自分と相手をきちんと分けることが大切だと思います。

また自分の中に、すごく強い道徳規範が入っているとします。例えば、学校には絶対にいかなければならないという観念が入っている場合、不登校の方が鑑定に見えたら
とにかく学校に行くことがその鑑定師にとって「善」であるため、知らず知らずのうちにその基準で相手のことを見てしまい、その方向へ促してしまうこともあるかもしれません。

また、自分は立派な子育てをしてきたと自負していたとしましょう。やはりそれが自分にとっての善であり、当たり前のことなのでその経験を通して相手を見てしまうと、子育てで悩んでいる人の視点に立つことは難しいかもしれません。

日常的にも良くある話ですが、人間同士の喧嘩は自分と相手の価値観の相違で起こることが多いです。またコントロールしてしまうと、必ず摩擦や反発が起こるのは自然の道理です。紫微斗数で言うとBの要素が強くなると書くと良く分かって頂けると思います。

鑑定師はできるだけ中立に、そして自身の価値観や感情を入れずに話を聴くことが大切で、また自分にとって良いことが相手にとっても良いことであるかどうかはまた別だという認識が必要だと私は考えています。

上手な鑑定師さんやカウンセラー、先生業をされている方は、意識的にそのあたりを訓練されていますし、元々そのようなセンスをお持ちの方もみえます。普段から、そういった人の話を聴くことが上手なかたを見つけて学ばせて頂くのも上達の一つだと感じます。