7月1日より体調が悪化して
近くの病院に入院。
下肢のむくみが悪化しており
歩けない状態となり
精査したところ、静脈血栓ということで
抗凝固剤が開始となる。
土日挟み、面会ができず
月曜日からリハビリが開始になる予定だった。
痛みも強いものに変更になり
金曜日には、メールで痛みもだいぶ良いと言ってました。
土日痛みが強くなってきてだけど
我慢してた様子。
月曜日、午後の3時に父親から電話があり
大量にが下血して血圧が60代
今は、輸血してて
状態が良くないと。
すぐに、早退して
病院に駆けつける。
かなり痛がっており
激痛に耐えてる様子。
Dr.へ痛みを緩和してあげてほしいと伝える。
DRからは、今朝凝固剤を内服してるから
その効果がきれるのに24時間かかるから
そこまで待って欲しい。
今、この血圧で強い痛み止めを使うと
命が危ないと説明あり。
今は、輸血いってて痛みもあることで血圧がなんとか60代保てている状態と。
Dr.の見解としては抗凝固剤の使用により
出血してるから、その効果がきれるのをまてば
なんとかのりきれるのを期待してると。
母は、痛みもがきながら
頑張ると言いました。
あと何時まで?って。
そのとかが19時ごろでした。
最初は、朝までと言ってましたが
2本目の輸血が終わる22時頃また考えましょうと。
可哀想でみてられませんでした。
私は、どうみても血圧が上がるようには思えず
命を縮めてもいいから楽にしてあげてほしいと強く思いました。
父親が一旦帰ると言ったので
私と妹は21時まで様子見ることにしました。
このまま、朝までもちこたえれたらなという期待も込めて。
意識もしっかりしており
血圧も少しずつ70〜80代まで回復してきてました。
21時前に母が でた! と言いました。
嫌な予感がしました。
2度目の大量の下血です。
この時、私の脳裏には
限界がきてるなと。
看護師さんに綺麗にしてもらい
再度部屋に戻りました。
さらに、出た!と3回目
なんとなく、目元が虚になってきて
やばいかなと思い父親にすぐに電話しました。
看護師さんが
再度綺麗にしてくれてる途中
呼ばれたので、部屋に言ったら
横向きで大量の吐血
呼吸が停止してました。
たくさん、泣きました。
たくさん声かけました。
まだ、モニターは、50代
でも、完全に呼吸停止しており
意識もありません。
もっといっぱい話しておけば良かった。
もっと寄り添って
あげれたら良かった。
死因は、DICに伴う
出血性ショックです。
今でも、最後の吐血してる姿が
脳裏にやきついてます。
最後まで、痛みに耐えて
最後まで諦めずに頑張った
強い母でした。
享年66歳
まだまだ若いです。
まさか、自分の母が
がんになるなんて、
膵臓癌になるなんて
こんなに早くに亡くなるなんて
そんなことは、全然思ってもなかったです。
まだまだ実感も湧きません。
昨日、告別式も終えました。
沢山のお花の祭壇で
多くの方に参列していただきました。
闘病生活2年8ヶ月。
よくがんばりました。
お母さん
ありがとう。

