ぽん氏の三日坊主BLOG -4ページ目

ぽん氏の三日坊主BLOG

ブログの説明を入力します。










ブログサボってた訳じゃないよ





書く暇がなかったの(°_°)





高尾山に行ったりしてたんだよ!!




それは後日ブログにしますʕ•̫͡•ʔ







突然の暗い話になっちゃうんだけど
(読みたくない方は飛ばしてね😌)




1/27はパパの命日でした




もう7年目です




あたしが中学3年生の15歳の時でした




亡くなる前の1ヶ月前
12月にパパは体調が悪くなりました



「救急車を呼んでくれ」って言ってたけど
あたしは学校に行かなきゃならなかったし



(どうせまたいつもの…)



って思ってたの
入退院繰り返してたし
事故起こそうがなんだろうが
今まで何だかんだ元気で

思春期というか
反抗期というか

パパのことは大好きなくせに
喧嘩ばっかりしてたから

その日も「自分で呼んでよ」とか言って
冷たい態度とってたの





あたしは救急車が来た時くらいに
家を出て救急車が来てることが
恥ずかしくて仕方なかった

正直自業自得だと思ってたし
タバコもお酒もやめないから
自分で体を悪くしてるんじゃん
ってよく言ってたし

それなのに体調悪いとか
何言ってんだよって

人に対して言ってはいけない言葉さえも
平気で言ってた

最悪の事態なんて
考えもしなかったから





その日マミと病院で話を聞いたときは
びっくりと訳がわからないでいっぱいだった




【余命は2週間】



そんな訳ない
ここ最近だっていつも通りだったし
相変わらずムカつくし喧嘩もしてたし
何言ってんだ?って思ってた






今まで事故を起こしても
亡くならなかったのに

あたしは信じられなかった





お兄ちゃんや親戚もきて
みんなでパパを囲んだ時

なんだかそれが本当のようで
見ぬ振りはできないんだ…って
思い知らされた




もちろんみんな泣くのを我慢してた
パパに見せたらパパが気付くから

病室を出て泣いてた



あたしは絶対に泣きたくない理由があったから
みんなが辛そうにしてる時も
平気なフリして我慢してた




それからは出来るだけ
パパのお見舞いに行った

日がたてばたつ程に
パパは更に痩せ細っていった

昔はパパのビール腹でボヨンボヨンして
遊んでたくらいだったのに

病院では
食べたいごはんも食べれず
水も飲めないの

水は片栗粉みたいなもので
トロトロにしたものじゃないといけなくて
それを作って出すんだけど

「こんなのいらねえから水よこせ」
「おい、アンパン買ってこい」

元気なのか
相変わらずの性格
ホッとしつつ、頼みを聞いてあげられない
辛さもあって。





そんな中、余命の2週間は超えて
年も明けました

前のようなパパではなく
更に痩せ細った身体に
ずっと寝てる状態

年を明けれたことは
もちろん嬉しかったけど

あたしは入院してから
パパの元気が無くなったようにしか
思えなくなっていたの

病院は関係無いんだけどね
辛かったのかな




1月26には受験の前期が迫っていました

パパの体調が良くなったりする日があって
先生はもう少し良くなれば
家にお泊まりしてもいいって言ってくれたの

やったー!!って喜びました
もちろんね

でもなかなかokはもらえず

1/26 受験前期の当日
受験が終わったあとにお見舞いに行ったら
パパがすごく元気になってたんだ

これなら家にお泊まりできるかも

っていう風にも言われて
今までで一番可能性あるんじゃないかな?
って期待もしていました

パパも笑顔だったし
バイバイ〜なんて言って
その日は帰宅しました

明日も学校があるから寝ようと
布団に入ってうとうとし始めた時

マミの携帯に病院から電話がきました
マミは「怖くて出れないから出て!」
って言って代わりにあたしが出ると

看護師さんだったかな






「脈が浅くなったので今すぐに来てください
親戚の方や身内に連絡して来てください」





よく分からなかったんだと思う
マミになんて言ってたか聞かれて

「大丈夫、脈が浅くなったから病院に来てくれって言われただけだよ。」

今考えれば病院に呼ばれたってことは
そういうことなんだけど
全然気付かなくて



お兄ちゃんに

「脈が浅くなったからもう危ないんだよ、母ちゃんには言わないで」

って言われて
そうなんだ…って思いながら
急いで病院に向かいました



病室まで走って駆け込むと
それまで頑張って待ってたかのように
脈が止まりました

ドラマにあるような
本当にあんな感じです

みんな泣いていました

マミは体が硬直してしまって
看護師と別室へ
他のみんな、お兄ちゃんは
先生とお話をしに行きました

パパと二人きりになって
顔を近くで見てみても
なんか本当に亡くなったのか
分からないんです

あたしは我慢して我慢して
絶対に泣かないって決めて

家で一人で泣きました





棺に何か入れてもいいという話を聞いて
家で書いた手紙の中に
パパと2人で撮った写真を入れたものを
用意しました





それからはもちろん辛い日々でした

一番辛かったのは花を添えるとき

辛くてパパに近寄れなくて
みんなが花を添えてるときも
離れてずっと後ろにいました

その時お兄ちゃんが
「本当に最後だから」
って言って呼んできたので

花を持って近づいた途端に
我慢してたものが溢れ出てきて
泣いてしまいました

こんなに泣いたことあるのかな
ってくらいだったかな





本当に最後のお別れの時には
パパが昔からよく言ってたことを
ちゃんと守りました





「俺が死んだら、泣かないで笑えよ」




不謹慎だと思う人もいるでしょう

でもパパはあたしに泣いてほしくない
って言うんです




パパとの最後の約束かな



って思ったから
泣くのを我慢して
きっと引きつった笑顔だと思うけど
ちゃんとパパを送り出してあげました




あれから7年が経って
あたしは22歳になりました

もしかしたら未来の旦那さんになる人と
いつか結婚するかもしれない

結婚式だってあげるかもしれない
子どもも産むかもしれない

本当に悔しい

式を見せてあげられなかったこと
一緒にヴァージンロードを歩けなかったこと
孫に触れさせてあげられなかったこと

他にもお酒が大好きなパパと
居酒屋に行ったり
ギャンブルが大好きなパパと
競艇やパチンコに行ったり

親孝行なんて
何にもしてないよ

毎日毎日喧嘩してただけ

それでもすぐ仲直りして
一緒に昼寝したりもしてた

パパとの思い出はたくさんあるけど
15歳で終わりました

今はたまに夢に出てきてくれる
パパに会えたら嬉しいなってくらい




もう喧嘩すらできないってことが
本当に辛い




もちろん最後に
ありがとう、大好きだよ
って伝えれました

それだけが良かったことかな

あたしたちには時間があったから




何様って感じだけど
みんなは
たくさん思い出作ってください

喧嘩だって思い出です

お出かけして
一緒にごはん食べて
たまには実家に帰ってあげてください







こんなこと書いても
何の意味もないし
誰が読むわけでもないけど

自己満なのと
これも思い出だから
忘れないようにってことで
残そうと思いました





ぽん