キツかったけどOL時代

社会人になって期待と不安だった

あの頃

なぜその会社を選んだのかの言うと通勤に近いから

でもその甘い考えは

すぐに否定された

高卒と大卒とでは後輩になり

年下からすべての仕事を教わるが合う合わないも有るし

女性の多い職場だったので人間関係もドロノロ

入ってから間もないのに

続くかなと

どちらかと言うと一緒のチームのパートさんたちの方が

私には合っていた

上司にも恵まれず

パートさんのミス🟰私のミス

になってしまう

それはそれで良いのだけれど

忘年会の席で

半ば酔っていた

タコ親父が

『何でミスが多いんだ‼️』

心のなかで

こういう席で何を言っているの?

おまえは上司で部下をかばうどこか

部下の責任か🤨

タコ親父も仕事は出来なかった

会社の創立記念

『木樹と景観』

という写真集を出した

写真集のなかの写真を撮ってみた

私は9階だったけれど夕日の富士山もすごくよかった

独身寮
菜の花

ツツジと桜の時期にお弁当を食べながらお花見を、、

黄金ナラカシワ

初夏の竹林

タコ親父は課長

部長も最悪

お客さんにご発送したら

壁に10枚以上標語を皆から募集しミスを失くす標語を

それを朝礼で読ませる

私はそれで自律神経をやられた

その部長がゴルフ場で倒れ入院

職員はお見舞いへ行ったが

その部長を嫌いとする職員と私は行かなかった

人間的に部長の器でない

私は異動願いを出した

ちょうど退職する人がいたらしい

異動先は財形
チームは以前の課よりよく課長は以前やっていた仕事に関わりが有り
初対面でなかった
初めて人間らしい上司に出会った

会社の敷地
秋の紅葉
秋のたたずまい

大正4年、孔子の墓にある聖木の種を持ってきて育てた苗の直系樹
他の職員は嫌っていたけれど
他の上司を知らないからだ
退職する女性の引き継ぎだが
意気投合しお茶したりかき氷を食べに行ったりして楽しかった
皆で山中湖の保養所へ泊まりに行きお酒の強いメンバーばかり
バブル世代なのでグッチ、ルイヴィトン、PRADA、CHANEL等々
新しいのが発売されるとその話で盛り上がった
私はそのあたりは疎くてついていけなかった
残業も多く
夕日のの富士山を見られるだけ
他には味わえない絵はがきのようだった



仕事は居れば居るだけ責任は課せられるし試験も受けないといけない
私は潮どきだなと、、
皆もお給料はそこそこ貰えブランドは買えるし適齢期を過ぎても高望みし合コンしても肩書き優先
私が辞める時は結婚が決まっていた友達も辞めることは課長に言っていたが仕事が回らなくなるので少し延長するように言われた
仕事はかなりキツく精神的にもパワハラ、モラハラ当たり前だった

異動で財形に行ったのに前の課の嫌いな部長が定年退職するので送り出すから来てくれと

何で行かなければならないのか
さんざん嫌な仕打ちを受けて、、
皆も行かなくてもいいよと

でも異動したことによって出来た仲間が救いだった

もう交流のある友達は1人だけだがよくも悪くもよい思い出だ

時間が戻るならこの時に戻りたい

 

 

 

 

 

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