1960年代の半ば頃からかな、アマチュアバンドがたくさん出てきた。
私の高校でもエレキバンドを作り始めた仲間がいた。
学園祭でデイブ・クラーク・ファイブの『ビコーズ』を歌った連中もいた。
(RockolaSesenteraさんのYouTube投稿から)
そんなバンドの殆どが外国のポップスを歌ってた。
と言うより、その頃は自分たちの曲を持ってる日本のバンドは、殆どなかったんじゃないかな。
だから真似るとすれば洋モノ。
もう1つのタイプがエレキバンド。
これは圧倒的にベンチャーズの真似っこ。
他にも『太陽の彼方』のアストロノーツとか、『霧のカレリア』のスプートニクスなんかがいた。
世界的にもプロのエレキバンドがいくつも現れた。
だが本家はベンチャーズであるのは明らか。
だからみんな彼らを真似したわけだ。
そんなアマチュアバンドを対象にしたバンドコンテストがいくつも開かれた。
だけど、やってたのはエレキバンドが殆どだったと思う。
歌には自信がなかったわけ。
しかも英語だし。
高校生でやってた人たちで、大学でも続けた人がいるようだ。
そんな人たちの中で、いま親父バンドで復活してるグループもいるみたい。
私の大学の同級生もそうだ。
毎年2回、ライブをやったりしている。
日本のプロのポップスバンドは、そんなアマチュアバンドがあって生まれた。
だがプロと言っても、率直に言って外国に比べると決してレベルは高くない。
それはともかく、いまの日本の音楽シーンは、そんなプロセスがあってできたわけだ。
振り返ってみると、60年代は洋楽の影響を強く受けた時代だったと言えそうだ。