前回、自分を見つめ直す的な話をしておきながら

いきなり話をひっくり返すようですが

 

「自分を見張らない」って、けっこう大切ですよね。

 

自分に起こる事や、湧き上がる感情に執着しない。
ほっとく。

 

わかっているつもりでも、意外とできない。
無意識のうちに何かにとらわれてしまったり
あー、執着しちゃってるーって気がついたとしてもそこから離脱できないってこと
けっこうあります。(私は)

 

でも、「わー、これは問題だー、うぉー」って見張っている間はずっと膠着していたことが
そこから意識が解放されてみたら、なんかしらんけどいつの間にかラクになってたという事が時々あります。

 

ちょっと不思議なんですが、私の場合例えばアトピー。


「痒い痒い痒い〜」ってなってる時は、実際赤くなるし、
水ぶくれみたいになるし、気のせいじゃないはずなんだけど


急に他の所を怪我したりして「痛い痛い痛い〜」と他に焦点が移ると、痒かった所がいつの間にか綺麗な肌に戻っていたりします。
薬は変えてなくて、ただフォーカスしなくなっただけ。


小学生の時、転校先で少しいじめを受けていた時もそうでした。
あ、殴ったりとかお金取られたりとか重大な事は起きていませんのでご心配なく。
ケンカした覚えもないのに、理由不明のまま急に一斉に無視されるとかくらいです。
ただ10歳の私には大事件でした。
首謀者達が、何かに怒っているのか、謝ればいいのか、何を直せばいいのか、なんなのか、正解がわからず、苦しい日々でした。


でも、そのうち塾に通い始め、私立中学を受験することになりました。
塾という新たなコミュニティと出会ったことで、
「学校が世界の全てではない」と10歳の私が認識できたこと
そして、中学は小学校の人たちとは一緒じゃなくなるんだと感じられたことで
学校での出来事がだんだん気にならなくなりました。


もし仲悪いまま終わってもいいし
あっちがシカトゲームに飽きて普通にしてきたら受け入れてもいいし
ま、どっちでもいいか、という思考になり


“無視されてる"という現実は変わらないものの
それが私の中で「困った問題」でなくなったところ
気持ちがラクになっただけではなく
徐々に私の方に味方してくれる友人も出てきました。


これも、いじめっこと対決とか話し合いとかはしてなくて
私の中でフォーカスしなくなっただけ。


自分を見張らない。


でも自分を無視するということではない。
悲しいよー、悔しいよーという感情もちゃんと大事にする。


そのあたり、バランスよく運営できる魂を目指したいです。


チョコばっかり食べてる時より
チョコ→じゃがりこ→チョコ→じゃがりこ→チョコの時の方がなんか楽しいし。


なんならチョコがけポテチ最高だし。


自分の不幸は蜜の味とも言われますが、
悲しいよー、苦しいよー、を自分の中でちゃんと味わってあげて
甘ったるくなってきたら
いざじゃがりこへ。


甘い時間はいったん忘れて、別の事を楽しむ時間を始めよう。
じゃがりこ食べながらね。