「日本と西洋のアルカディア?

『牧神の午後への前奏曲』『シリンクス』と『豊芦原瑞穂の国』 」

フルートの名曲の中で、私のような一般的な音楽ファンにも有名な人気曲といえば、ドビュッシーの『牧神の午後への変奏曲』と『シランクス』ではないでしょうか。

けだるい午後、まどろみに引き込まれるような半音階のメロディーがふわりと漂い、夢と現実を行きつ戻りつするうちに鮮やかなハープとオーケストラが加わるとそこはもう桃源郷。ギリシャ神話よりもさらに時代を遡るアルカディアでニンフたちが舞い、笑いさざめき、牧神(パン)が恋に落ちます。でも、ニンフたちは牧神を相手にしません。

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孤独な牧神はまたまどろみに落ちていく。
https://m.youtube.com/watch?v=bYyK922PsUw

牧神パンはオリュンポス12神より古くから存在したと言われる神様で、パンという名は汎(あらゆるもの)=パンという言葉と結び付けられることもあります。ギリシャ時代より古い時代はアルカディアと呼ばれる国が有り、そこは緑豊かで人々は牧草地で牛や羊を世話してのどかに暮らしていた理想郷とされギリシャ時代から芸術の題材にされていました。

パン神はアルカディアの神や王様として君臨し、かつては大きな力を持って綺麗なニンフにももてもてだったわけです。

この曲の冒頭のフルートソロはとても長いフレーズで、とぎれないように初演のころは三人のフルーティストが交代で吹くように楽譜に指示があっをたそうです。

現在では循環呼吸法(息を吐きながら同時に吸う技法)

を駆使して一人のプレーヤーが途切れ無く演奏することが多いようです。

この曲と対を成すように書かれたのがこれもまた名曲の「シランクス」です。この曲はフルートの独奏曲。

パン神が恋したのはニンフの中で特に美しいシランクス。シランクスは月の女神ディアナにそっくりな美女。パーンの求愛には答えず、水辺に逃れ葦に変身してしまいます。

シランクスを抱きしめたと思ったら、腕の中には葦の束がむなしく残り、パンはこの葦を細工して笛を作って奏でるのでした。

奏でられた笛は得も言われぬ美しい音。
https://m.youtube.com/watch?v=qzxsuRoqDiw
(エミリー・バイノン 第三回神戸国際フルートコンクール第3位)
ほんわかうきうきな『牧神の午後への変奏曲』とは反対に、この曲はシランクスの嘆きなのでしょうか。哀愁が漂い、幻想的ですが少しダークなフルートの低音域が印象的です。

ドビュッシーの時代にはいつもパン神は失恋していて、古の栄光は失われているようです。でもヤギの下半身を持ち頭に角を持つパーンは、ピーターパンになったり『ナルニア国物語』では氷の女王に石像にされても主人公に味方するする人気者。現代でも広く愛されています。

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自然と人間が調和しながら暮らしていたころへの懐かしさを感じますが、ドビュッシーが『牧神の午後への前奏曲』を書いた時代は、産業革命のおかげで現在使われいるべーム式の金属のフルートが開発されたころで、その恩恵を受けて半音階の指使いが簡単になったり、音質や音量に安定性ができ、フルートの複雑なメロディーを演奏させるのが可能になったのでしょうね。

『シランクス』は葦で作られたパンフルートをイメージしているせいか、メロディーも素朴な印象です。手つかずの大自然の中で喜びに満ちて純朴に生きるはずの牧神のメロディーが産業革命の恩恵で生まれたとしたら、

自然の恵みを象徴するような「シランクス」を手に入れることができないというのは仕方がないことかもしれません。

なんだか可愛そうなパンです。

ピーターパンでもナルニアでもパンは可愛い女の子と仲良くなってもなかなか恋が成就しない役割を受け持っています。恋多きパンがだんだん草食系になってますね。

葦という植物が水辺で生い茂っているというのがアルカディアの一つのイメージなのですが、このイメージは日本の神話の中にも登場します。

古事記の中で、日本は「豊芦原瑞穂の国」という美称で呼ばれています。葦は水を浄化するとも言われ、豊かな湿原に芦原が広がる日本は、水稲の栽培に適した豊かで美しい国であるという意味があるそうです。

パン神と同じように、イザナギ・イザナミより古い神様に、可美葦牙彦舅命(ウマチアシカビヒコヂ)という神様がおられます。葦の芽のようにも萌えいづる神で、万物の生命力を象徴するというのはパン神に通じるものがあります。

葦は世界各地の神話に見られます。ユダヤ人狩りから逃れるために葦舟に乗せられて流されたモーゼ。同じように葦船で流されたのは、イザナギ・イザナミの最初の子供ヒルコで西宮に流れ着いて戎神としてまつられました。

大阪湾は葦原が広がり美しいことで知られていて、数多く和歌に歌われました。

萌いづる新芽は春の、立ち枯れたようなわびしい葦は冬の季節感を表し沢山の歌人に愛されたようです。

現在では面影を探すのが難しいですが、芦屋川では中州で葦が生息するのが見られます。芦屋の語源は芦原という伝承がありますね。

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音楽の世界では葦を削ったリードで音を出すのがクラリネットやオーボエです。葦笛は日本の伝統的な音楽でも使われますし、オーボエのようなしちりきという楽器もあります。

楽器、理想郷、神性、神秘。

葦は東と西の世界をつなぐ不思議な植物のようです。

フルートの名曲から人類のアルカディアを夢見てみました。音楽の世界を探検していくと、国籍や人種の違いなど関係なく、人間はみな同じだという事を再確認することができます。

古代の世界では同じような価値観を共有していた人間たち。しかし進化し、文明を手に入れていくと相違点も出てきます。日本が芦原から出発し獲得したのは農耕文明。一方、ヨーロッパでは葦と牧神が結び付けられたのは、牧畜がその文化の基礎になったからでしょう。

同じでいて違いがある。

またこれも音楽を聞くことで知ることができる大きな真理
華麗なドビュッシーのフルート。聞けば聞くほど味わいが深まります