4月25日、所ジョージがアニメ映画『トイ・ストーリー3』の声優発表会に出席した。
先月中ごろ体調不良でテレビ番組収録を欠席していたのだが、公の場に復帰して元気な姿を見せた。
「1、2以上に面白いので、見ないとダメ。あと6月公開の(北野武監督の)『アウトレイジ』もよろしく」
とちゃっかり友人の映画の宣伝もするなど、自由奔放な語り口は普段通りだった。
芸能界広しと言えども、所ジョージほどの安定感を誇るタレントはほかにいないのではないだろうか。
デビュー以来、その型破りで奔放なキャラクターが支持されて、バラエティーを中心に活躍。
いまだにゴールデンタイムに数多くのレギュラー番組を持っている。
他の大物タレントの多くは、ある程度の浮き沈みを経験しているものだが、所にはそれもほとんどないと言っていい。
脱力した態度で自然体に振る舞うというスタンスを貫きながら、常に第一線に立っている。
『安全第二』(エイベックス・エンタテイメント)
本業はミュージシャンと言っているが、彼の作る楽曲はかなり独創的で形容しがたい魅力に満ちている。
コミックソングとして万人ウケするほどの爆発力もなく、名曲として語り継がれるほどの圧倒的な音楽性の高さがあるわけでもない。
ただ彼は、
「笑っても笑わなくても別にいい」
ぐらいの態度で、たまにテレビで自作の曲を披露するだけなのである。
また、彼には、マニアックな趣味人というイメージもある。
車、アウトドア、ゴルフ、ラジコンなど、多数の趣味を持ち、「世田谷ベース」と称される仕事場を拠点にして、趣味を生かした番組の収録もそこで行っている。
どこを取ってもつかみどころのない不思議な存在。
彼がお笑いタレントと呼べるのかどうかすらよく分からないが、タレントとしてビートたけしや明石家さんまとも対等に絡める話術は天下一品である。
彼の立ち回りのどこがそんなに評価されているのだろうか。
所のテレビタレントとしての最大の特徴は、乗りたいときだけ乗る、はしゃぎたいときだけはしゃぐ、という徹底した割り切りだ。
これは簡単そうに見えてなかなかできることではない。
バラエティーの世界では、我先にと言葉を発しなければ置いて行かれてしまう。
だが、所はそこで焦らないし、たとえ置いていかれたとしても、そんな自分の立ち位置自体にこだわらない。
自分のアンテナに引っかかったものだけを楽しそうに受け入れ、気の利いたコメントで処理するという技術だけを洗練させているのである。
これは、何にでも乗っかり、誰とでも絡み、全てをネタにしようとする明石家さんまのような芸風とは真逆のスタイルである。
だが、だからこそ、所とさんまは互いの力を認め合い、一目置いているのである。
所は、たけしやさんまがジョークを飛ばしたときに、素直にホメて面白がる、という対処をすることが多い。
面白さを単純に認めてほめてしまうというのは、お笑いとは別の視点で物事を見ている彼にしかできない芸当だ。
所は、一人称として「私」というのをよく使う。
これも、バラエティータレントとしてはかなり珍しい。
男性の用いる「私」には、状況には関わらずに淡々とマイペースを貫くような品の良さのようなものが感じられる。
所の悠然とした構えが、「私」という呼び方そのものに現れているのだ。
彼がタレントとして飽きられないのも、お笑いや芸能界の戦場そのものには首を突っ込まずに、一定の距離を保っているからだろう。
所ジョージは、単なるお笑いタレントでもなければ、ミュージシャンでもない。
職業「所ジョージ」として、誰にも縛られずにテレビの世界を気ままに漂う風来坊だ。
(引用 日刊サイゾー)