前回のブログでも、

なんとなく、

母親のこと、極悪な母親に書いた感じになったけど、

そう考えてた方が、私がラクになれたというか、

あんな母親に、、、

なぜか急に不機嫌になる母親に、、、

私は育てられてしまったから、今の私の生きづらさがある。って、、、

私のこの生きづらさは、母親の子育てのせいだ。と、、、

そう、一旦、とことん、諦めた方が、、、


私は、ラクになれた。


私の子供時代の、一瞬一瞬、瞬間の思い出で、

母親が笑顔で遊んでくれた思い出もたくさんある。

母親だっていい人だった。と思っておきたい。

そんな気持ちがもちろんある。極悪なところばかりじゃないよ。と、思いたい。

だけど、、

それ以上に、とんでもない子育て環境であったことは、間違いない。

いつも家の中は、ピリピリしてた。

父親も母親の言いなり。母親は幼かった。母親が怒ると手がつけられなかったから、絶対的存在だった。

なぜか母親から、長女の私だけは子供扱いされなかった。可愛がってはもらえなかった。母親のグチの聞き役、お手伝い、妹の世話、母親が私に習わせたい習い事をさせ、母親の理想の人生をいつも私に語り、洗脳されてた。

母の口から語られた夢は、

私が銀行に就職して、近くに住む土地持ちの次男と見合い結婚して、実家の近くに建ててもらった家に暮らし、母親は孫を目当てにいつでも遊びに行ける老後。という夢を、いつもいつも私に語っていた。笑。

母親の夢。それを叶えてやりたいと思う私と、逃げたい私が、常に頭の中に居た。

母親の洗脳のせいで、その夢のレールは外れてても、母の夢と、さほど遠くない道を無意識に選んでしまってた。

私は高卒で自宅から通える安定企業の工場事務に就職、旦那と結婚して実家の近くに家を建てて、我が子を生贄に、母親の機嫌を取ってた。

ほんと、私も、相当、やらかしている。

人生詰んでる。


そう言えば、反抗期が、なかった。

私にも、息子にも、娘にも、、。

反抗することを諦めていたのだと思う。

ただ、私にとって、せめてもの反抗が、母子家庭の旦那と結婚することだったのかもしれないな。今、気づいた。笑。

唯一の反抗だけど。

ま、それはそれで、大失敗だったんだけどね。



話がそれましたね、、笑



人生詰んでる私が、育てたんだもの、

息子と娘の人生にも相当悪影響が出てる。申し訳ないが、普通を知らない私が育てた悲しさ。

普通の子育てがわからない。知らない。

自分の母親からされたことしか知らない。

子育て本を熟読しても、体感としてわかっていなかった。

怒ると、叱るの違いすら知らない。


常に、私の中にある、人に迷惑をかけてはいけないという無謀な価値観。

それで子育てなんて、恐ろしい世界が見えたでしょ?笑

かわいそうなことをたくさん子供達にしました。反省しかない。



人生が生きづらくなった理由、、、、

母親に甘えるってどうすればいいのかわからない。母親に気を使わない瞬間などなかった。

怒られない選択肢を選ぶ。それしか考えられなかった。

無言の威圧感が怖かった。

人を頼れない。だから孤独が押し寄せる。




あーーーあ、

普通の母親だったらな、、と、今でも思う。

だけど、どうしようもない現実。

戻ることの出来ない、取り返すことの出来ない、過去。

ほんとにハズレ。大ハズレだよね。

ずっと、ずっと、考えてたところで、

決して、取り戻すことの出来ない日々。

頭では、わかってきた。

どうしようもなかったんだ。

過ぎた時間は取り戻せない。損をした。仕方ないんだ。



やるせなくて、

悲しくて、

楽しそうな子供時代、青春時代、結婚生活過ごしてる人が、うらやましくて、たまらん。


なんで!?

なんで、私はいつまで経っても、

こんな日々なん!?


今でも、これを書いてるだけで涙があふれてくる。

悔しくてたまらん。

まだ、悲しみが発散しきれてないんやろな。



そりゃ、そうだよね、笑


母親から逃げるために、結婚したのに、

母親と根本的に、たいして変わらん旦那と結婚してしまって、

愛されるってどんなものかも知らず、、

いつも、なぜか孤独で、

人間関係がうまく行かなくて、、


友達ってどこまでの人の事を言うのかすら、よくわからなくて、

ママ友とかどうやって付き合ったらいいか、よくわからなくて、

不安で、たまらなくて、、、

何とか、見よう見まねで生きてきた。


世の中には、まともな良い人が居る。

なんとなくわかる。

けど、近くに居なかった。笑

避けられてたんだろうね、めんどくさい人だったんだと思うよ過去の私。


そりゃ、そんな不安な気持ちで、過ごしてて、

母親にも気を使い、

旦那にも頼れないまま、子育てをして、

息子にも娘にも、ほんと、かわいそうなことをした。

母親の機嫌を取る存在として、息子を利用してた。義母の機嫌まで取ってた。

あの時の私は、それが当たり前で、

自分のことしか考えてなかった。


思考回路が、あの母親を怒らせないためには、どうしたらいいか、、

あの旦那が不機嫌にならないためには、どうしたらいいか、、、

それが、最優先事項だった。


子供のことを考えているようで、全く考えてなかった。お恥ずかしいが、今思えば、そうだったと言える。

私の不安解消のために、息子の存在を利用した。


本当にひどい話だ。

私は、過去、母親に利用されたけど、

息子も、私に利用された。

私は、母親と同じことをしてしまっていた。

本当に、無意識に、、負の連鎖。


結婚も、子育ても、あの頃の私には、出来るわけなかったんだよね。

母親から逃げるために、結婚して、

気を使う対象が旦那にすり替わっただけでした。

そして、

私は、母親と何ら変わらないことを、私も我が子に対して、やらかして、

生きづらそうな二人の子供を育ててしまった。


私も、我が子にとって、極悪だった時は確実にあった。

あの時はほんとひどかった。

自覚がある。

ひどかった私。

我慢しすぎで、疲弊していた。イライラしてた。どうしていいかわからなかった。誰も頼れなかった。

まだ息子も娘も生きづらそうなんだ。

それが、またツラい。ほんと申し訳ない。



私のイライラの原因は、すべてに気を使ってたから、

そして、一度も私の人生を生きてなかったから、

もう限界だったんだ。



私は、

母親の不機嫌が怖くて、旦那の無表情が怖くて、

私が、勝手に、ずっと何も言わずに我慢してただけ。怖くて、何も言えなかっただけ。


今もそう。


まだ、旦那が怖い。あの無表情が何より怖い。だから、逃げてる。

顔も見たくないのに、同じ屋根の下に暮らしてる。怖くて話せない。逃げてる。


家庭内別居の今は快適。とかって、言っちゃってるけど、そう思い込んでるだけかもな。


最悪にひどかった時期よりは、少しだけ前に進んでる気で居る。

我慢してイライラしてた頃よりはマシ。

そう、、、あの時よりマシ。の世界。

最低よりもマシ。笑

所詮、まだ、そこ。そのレベルなのよね。



承認欲求。

お伺い行動。

これが、無くならないと、自分の人生なんて、生きられない。


まだ、まだ、だ。



無人島でも、その行動をするか?

誰にも褒められなくてもやるか?


今、ナリ心理学で、学んでる。笑



私の仕事をする理由が、、、

気づいたんだけど、

たぶん、、感謝されるから、、だと思う。

承認欲求なんだと思う。

無理してシフトに入ったのに感謝されないと、モヤモヤするのは、そのせい。

無理して長時間シフトに入ってるのに、それが当たり前にされるとモヤモヤするのは、そのせい。

って、

やっと、気づいた。

あ、私、感謝されたいんだな。って。

仕事だと、綺麗に丁寧に結構こだわるのに、私生活は、雑。汚れててもさほど気にならない。ラクを選ぶ。何もしたくない日が多い。

あ、わたし、誰かに認めてもらえないことはしないんだ。って、気づいた。

家なんて綺麗にしても褒めてももらえないし、お金ももらえない。だから、やりたくない。

最低限を維持してる感じ。仕方なく、やる。



まだ、まだ、承認欲求の世界から、抜けきれない。




やりたくてやる世界。

楽しいからやる世界。で、過ごしたい。


そう、気づいただけ、進歩だよね。ウインク

少しずつしか進めない。


生きづらさを作り出してる価値観を捨てて、

ありのままの私で、そのままそこに存在していい。と、無意識で思えている状態になりたい。

まず、それでやっとスタートラインだもんね。

現に、今の職場には、仕事ハードなのに、同じ仕事してて、仕事楽しい!と思えてる人が居るんだもんな。笑顔で働いてるんだもんな。




まず、

やりたくないことをやらない。


それが一番いいらしい。


それには、、我慢しない。

断る。

改善をお願いする。

嫌だと伝える。のが大切な気がします。


これには、勇気が必要です。笑

何と思われても、自分を大切に扱うために言う勇気が要ります。

家庭内別居から先に進めるためには、そのあたりに鍵がありそうだな。とは薄々気づいてます。

勇気を出して、、凹むことも想定して、思い切って言う。怖いけど言う。

これです不安想像して震えます。笑



毒親育ちはとにかく生きづらい。

生きづらくて当たり前。

このまま、生きづらいなんて悲しすぎる。

だから、少しずつ、自分の成り立ちの原因である母親との関係を理解する。変な価値観を捨てる。



楽しく生きたい!!!笑ってたい!!