幼すぎた亡き母親。


きっと発達障害だったと思う。

アスペルガー気質が強かった。

ものの好き嫌い。人の好き嫌いの激しさ。

ゼロ100思考。極端。

自分視点しかない。

人のせい。

怒りの沸点の低さ、すぐ怒って拗ねてふてくされる。

母親が会話の中心だと満面の笑み。会話の中心が自分でなきゃ無表情、一切入って来ない。共感や相槌なんて無い。


一瞬で、機嫌を損ねる。そして不機嫌の時の冷たさが半端ない。鉄のような人。

熱しやすく冷めやすかった。


でもね、笑顔も覚えている。

家族以外と話してる母親はご機嫌だった。ニコニコしてた。

母親の機嫌の良さに、子供心にほっとした。

その笑顔が、私に向けられることは本当に少なかったけど、機嫌のいい時は、あった。


我が子のことも考えていたと思う。

それが、自分がラクになるため、未来の老後のためだったのかもしれないけど、、、

幼い母親は、

そう考えることしか出来ない人。だったんだよね。

子供にも、他人にも、一人一人に、それぞれの人生があると想像出来ない人。だったんだよね。

自分にとって、

どういう人か。どんな存在か。どんな利用価値があるか。という思考回路の人。(利用価値は言い過ぎかな)



これは、私の旦那にも少し当てはまる。

少しタイプが違うが、そういう思考回路が似ている。

母親は、末っ子で育ち、愛嬌があったが、

旦那は、自分の意思でしか全く動かない。土砂のイメージ。自分からの視点での損得。ルーティン重視。他人への興味のなさ。感情が見えない重たい暗さ。ダークグレー。



2人とも、いいところはあったよ。それはわかってる。

長所と短所は捉え方次第だから。ね。



ちゃんと、自分発信の優しさはあった。



ただ、私と合わなかった。だけ。


私が幼き頃から習得した母親に合わせるスキルが、旦那にピッタリ合致してしまっただけ。だろうな。世話焼きがハマっただけ。



話を本題に戻すと、、


母親が、私のために、、

してくれた事も、ちゃんと、あったということをあらためて、思い出した。

私が母親からされた嫌な事、私に与えられなかった悲しかった事、が多すぎて、忘れていたが、

母親なりに、してくれたことは、あった。

やり方が間違えていたとしても、あったんだなぁ。と、、ふと、、思えた。



昨日、初めて訪れた友達の家で、お鍋の箸休めに出してくれた新玉ねぎのサラダを見て、、、

そして、

帰りに、家庭菜園で育てた玉ねぎを取って、友達が、帰りに持たせてくれた時に、、


あ、、、母親が、こうやってしてくれたことが、あったなぁ。って、、、

血がサラサラになるから、新玉ねぎは食べやすいからサラダにして生で食べよ。って持たせてくれたな、、、って、、


急に、思い出して、、、


母親に愛がなかったわけやなかったんやな、

それが、自分の老後をみてもらうために、娘に長生きしといて欲しかったとしても、

そういうふうにしか、人を愛せない人やったんや。と、、、

全部、諦められたというか、、

どうしようもなかったことやったんや。と、いうか、、、

すべて、許せたんやと思う。



普通の親に育ててもらえなくて、損をした。

変な価値観しか与えてもらえなかったけど、

母親なりの精一杯やったんや、、

わからんなりに、そうするしかなかったんや、、

仕方なかったんや、、

あーー、、

薄い薄い薄い愛情やったけど、、、

しゃーない。

仕方なかったんや。。。と、全部諦められた気がした。



めちゃくちゃ損した子供時代で、

子供らしく居させてもらえなくて、

そのまま、、損したまま生きてきて、、

母親を恨んで、大嫌いになって、許せなくて、悔しくて、、母親が亡くなった時は涙も出なくて、

母親のお葬式で全く泣かない私を娘はとても不思議がってたけど、、

母親を亡くした悲しみなんて全くなくて、やっと解放されると思っている自分が居た、、


そう思う自分を、

私は、、自分を責めなかった。

ああされたら、こういう気持ちになるよね。と、妙に納得してたな。笑


それから、、

母親が亡くなったあとも、溜まりに溜まった悔しさとか悲しみとか憎しみとかが、ぐっと我慢してきた分だけ、私の心の奥底に溜まってて、、

どうしても許せなかった。

私の人生を返せ!って、心で泣いて怒ってたな。


母親が亡くなって、何年だ? 9年かな?

命日が、いつだったか、あやしい。笑



母親のことを、理解するなかで、

(ナリ心理学のやり方で)


あーーーー仕方なかったんや。

仕方なかったんやなぁ。と、思い始めてたけど、新玉ねぎのサラダを友達が出してくれた時に、母親なりの愛はあったんやなぁと、腑に落ちた。



私も、不完全な人。

母親だってそう。

旦那だってそうや。


仕方なかっただけ。

だから、我慢せず、自分の生きたい場所で、生きたら良かったんやなぁ。


私は、出来ない子だと、母親に烙印押されたけど、それは、母親がバカだっただけで、、

母親はただの中年のおばさん。不慣れな子育てを間違えてやってしまい、子供の心を育てる技量が全くなかっただけ。


私は、めちゃくちゃ損をしただけ。笑


生きづらさは、母親のせい。

その母親もその母親のせいでそうなった。

悲しい負の連鎖。


私も子供に、やらかした。変な価値観を押し付けてしまった。


ここからは、それを何とかするしかない。


そして、変な価値観で、私は男選びも間違えてしまっただけ。


さあ、これからだ。笑






人生は、楽しむもの。


子供にとって、母親は、ただ、ご機嫌で居ればいい。

子供にとって、母親の不機嫌は地獄。ほんとにそう。よくわかる。

なのに、ずっと不機嫌だった私。


だから、今は、好きに生きてるんだ。

まず、楽しむんだ。

まだ楽しみ慣れてないからね。初心者だ。笑

それから、、、

チャレンジ。勇気を出すこと。積み重ねること。

世界は優しい。と知ること。


(受け売り、、、です。笑)



ものは考えよう、気は持ちよう。


自分を大切にすることから始めてる。

私は大切な存在。唯一無二。

だから相手も大切な唯一無二なんだよね。



無理して相手に合わせなくて良かったんだよね。

その相手が、

大切にしたい人なのか、それだけだ。笑




毎回、話がズレまくりますが、


自分を甘やかしてみてください。

ほんとは、何してもいいなんて、知らなかった。笑

人生はいつでも、どこでも、何しててもいいんですよ。知らなかったーーー!笑




少しずつ少しずつ

私も変わり始めてる気がします。

家庭内別居、5年経って、誰に何と言われても私は今が一番良いと思えてる。

今が一番良い瞬間を、更新していければ、最高になるんじゃないか!?と楽観視してる。

そんな甘々な夢を見てます。

そのために、勇気を出す。が、次の、私の課題なんだよねーーーまだ怖いのよね。笑



元気になるまで、まずは、休む。

少し元気が出たら、好きなものを飲む、食べる。

好きなものを見る。

また休む。それでええんやなぁ。たぶん。笑


小さな、自分の好きを大切におねがい

唯一無二の自分を大切に照れ