久しぶりに、娘のこと。


大好きな推しのライブに、3年ぶりに、チケット当たって、行けるはずだったのに、

ライブ、3日前に熱が出て、コロナ感染が判明。


なんだか、、

私の方が、とんでもなく、悲しくなった。笑


娘は、高熱と、咳がひどく、

体がしんど過ぎて、それどころではなかったのか、冷静に見えた。


後で、

聞いたが、連番の子が、娘の推しのライブに付き添い参戦だったのに、ひとりで参戦したらしい。

なんだか、

それも悲しくて、申し訳なくて、居た堪れない気持ちになった。


娘は、声も出しにくいので、あまり話せてないので、ほんとの気持ちなんて、わからないけど、

私の方が、

さぞかし残念だっただろうなと、落ち込んでしまう。笑


娘は、いつも、話すとまた悲しくなるからと、嫌な気持ちは、話したがらないんだよな。



そう言えば、、いつも、、

娘が不登校だった時は、、娘の気持ちを聞き出そうと、

私が、必死だった。



…何が嫌なの?

(原因は何なのか知りたい)


…なんで? なんで、行けないの?

(どういうつもりなのだろう)


…どうして?

(理解できないから聞きたかった。ねえ、何のトラブルを取り除けば、学校へ行くの?)




私の心の中は、、、、


あーーー。

どうすれば、普通に、みんなのように、

また学校へ、行くのだろう。


それしか、考えていなかった。



過ぎてみて、わかる。



すでに、娘は、集団が苦手で、ギリギリ、頑張ってて、

プツンと、糸が切れたように、頑張れなくなった。それだけだったのかも。

すでに、無理してたから、バッテリーが切れた。心の充電がなくなって、動けなくなった。

それだけだったんだと思う。



その頃の私自身も、、

今よりはるかに、疲弊していた。


母親にも気を使い、

アスペ旦那にも気を使い、

常に、イライラしてたし、しんどくて、しんどくて、無意識に、我慢しすぎてて、ずっと我慢しているのが当たり前すぎて、

それが、普通だと思ってて、

私自身が、普通の状態じゃない事に、気づいていなくて、、


そんな母親である私の、不満と、不機嫌が漂ってる、、

乾ききった家庭で育ってたから、

不登校にだって、なるよね。


今なら、わかる。

いびつな家庭だった。

今でもいびつだけど、不機嫌は漂ってないはずだ。笑


まだ、今でも、

娘が、私に、自分の気持ちを、あまり言わない時は、ふと、まだ、信用されてないのかもな。と、思う時はある。


でも、なんでもかんでも、親に言う歳でもない。笑。


もう、色々と、娘の人生に介入するのは、やめた方がいいよな。と、思えるようになった。



娘にトラブルが起こると、

私が、自分の事のように、あたふたしてしまう。

今回の、コロナで、娘が、ライブ行けなくなった事も、

私の方が、自分の事のように落ち込んでしまいそうになって、

娘自身は、すでに諦めがついているのに、、

私が、悲しくなってた。笑


私の中に、

トラブルがない平穏が幸せだと、思い込みすぎているところがある。

幼少期から辛い事が多すぎて、そんな思考回路になってしまった。

子育てしながら、自分の育ち方を振り返る事が多くなった。



私自身が、

そろそろ、自分の人生を生きなさい。という事だったのかもしれないな。と、思っている。

たまたま、そのきっかけが、娘の不登校だった。

アスペ旦那の意地悪な本性も垣間見えたし、

アスペ旦那の幼い思考回路もあらわになった。

娘が不登校になってなかったら、

よくも悪くも、ここまでの気持ちにたどり着けたかどうか、わからない。



色んなブログを読むと、、、

不登校は、

お母さん自身に、自由に生きていいんだと、

子供が体を張って、教えてくれているんだ。と、書かれているものも多い。


今ならわかる。


ほんと、、結局、そうだったと思う。



こうでなくちゃいけない。と、型にはめられて、育った私。

私は、私の母親の子育てしか知らない。


それが、脈々と、受け継がれていく。


自分の母親に言われたように、我が子に言う。それが、当たり前だから。


私自身も、母親は、どこか、おかしいよな。と、思いながら、

気づくと、嫌だった母親のように、子供達に、言っていた自分が居た。

自分が育った家庭しか知らないもの。当たり前だ。



何が良い。何が悪い。ではない。が、

自分が、こんなにも、しんどい生き方になるのは、育てられ方に原因があった。

それは間違いない。

普通じゃなかった。

でも、それしか知らない。

母親の当たり前を、教え込まれた。

普通じゃない教え。笑


こうやって、負の連鎖。が続いてしまうのかな。




色んなブログに、

お母さん自身が、まず、日々を楽しんで。と、書いてあるのを見て、、

不登校の原因が、私にあると、まだ気づいてなかった頃は、

何を言っているのかさえ、わからなかった。

不登校は、娘の問題でしょ?どうして?私なの?と、最初思っていた。


だって、私は正しいことをしている。

そう。思っていたから。


これ、これが、問題だったんだよな。笑


私は正しい。笑


正しいなんて、立場で違う。


しかも、育てられた自分の母親は変わった人。ちょっと冷たい人。

その人の正しいなんだもの。間違えてるよね?笑

間違えてることも、きっとあるよね。




そこで、出会った言葉、、


正しいより、楽しい方を選ぶ。


楽しんでいいんだ。初めて知った。

日々、我慢あるのみ。だったもんね。笑



まず、日々、楽しく生きる。

好きを選んでいいんだよ。


これが、出来るようになると、元気になれる。

子供達にも、正しいを求めなくなる。

色々、気にならなくなる。


ここまで、行けたら、やっと、見えてきた。



不登校の問題が、全部、私にあるとは、限らないけど、

自分の当たり前を、疑ってみた。


当たり前な事なんて、何ひとつ無いんだよな。


どちらでもいいのかもしれない。



違う価値観を認める。

時代でも変わる価値観。

国でも、文化でも、違ってくるんだものね。




みんな違って、みんないい。って、深い言葉だよな。

そう思いながら、

私は、今、まだまだ、凝り固まった不要な価値観を手放しているところです。



そして、まだ、

私の間違った子育てをされた娘は、もがいている。

娘は、悩んでいる。

たぶん息子も東京で、ひとり生活しながら悩んでいるのだろうな。


申し訳なかったな。

でも、何を言っても、まだ、私が、あやふやに、不安に生きているのだから、

そんな私が、子ども達に、偉そうにアドバイスなんて言えない。


私が、手を出してはいけない。と、思うようになった。


けど、やっぱり、助けてやりたい。と思ってしまう。


でも、娘や息子が、間違えてしまうことも、見守らないといけないのだろうな。

ドキドキするけど。




それより、先に、

まずは、、私自身を立て直したい。


娘のことを心配してる場合ではないくらい、立て直しが必要。


きっと、ね。


不登校は、子供からの、気づきのプレゼントなんだろな。

過ぎるまでわからないシークレットアイテム。


間違った価値観の押し付けに気づき、

勝手に描いてた理想を諦める。


娘が、自分で決める自由を応援する。



娘に、自由にしていいよ。と、言っても、まだ、

自己肯定感低いもんなーー


集団が苦手で、集団に馴染めないことが、悪いことだと感じていたり、

うまく出来ない自分を卑下してしまう。

そうなっている。


学校に行くのが当たり前だと思い込んでいた私が、あの頃、言ってしまった言葉がまだ、心に残っているのかもしれない。


私にとって、学校は我慢して行くところだった。嫌でも行く所だった。

私の中で、娘の学校を諦めるのが、一番、大変だった。

私自身の中に、

我慢して、学校に行っていた記憶があるので、なおさら、我慢してでも、学校へ行くのが、当たり前だったのだ。


私の中にある思い、、、、

私だって、我慢して行っていたのに、あなたも頑張りなさい。

これが、隠れてた。笑

だから、すんなり、不登校を受け入れられなかった。

その時に、いっぱい、娘を傷つける言葉を浴びせてしまった。



今、娘は、大学を退学して、、

アルバイトしてる。


不安になろうと思えば、いくらでも、娘の将来を心配出来る。

世間的には、、いや、

私の考え方的には、順調とはいえない。


でも、仕方ないのよ。


どうにかして、心配のない将来を歩ませてやりたいと思ってた。

違うな、私が、、心配しなくていい将来だな。笑


親のエゴ。笑



もうね。私が思う普通は、娘には向かない。

だから、


何があっても、応援するよ。


それで、ええんかもしれん。



ついでに、ここのところ、自分自身のことも、考え直してる。





好きに生きてええんやで。


と、明るく言ってやりたい。笑



私自身にも、そう言ってやりたい。と、思っている。笑




好きに生きてええんやで。おねがい