毎月第4土曜日は

第3の居場所 お茶の間てんてんをしています


食で繋がるみんなの居場所



ご飯をみんなでたべて

ただ喋って

それだけ



こども食堂でもなく

高齢者のみでもなく

誰でもきて良い場所



そんな居場所づくりを

私の生まれ故郷

兵庫県尼崎市常吉という

尼崎の中でも北に位置する

少し田舎な地域でやっています



最初は

なんとなく

どうせするなら

産まれた育った場所でしたい!

そんな思いからでした



来てくださるのは

その常吉にお住まいのおばちゃんや

隣の村にお住まいの方や

遠くは明石やら京都やらいろんなところからも来てくださいます。



私の実家は

祖父が徳島から出てきて

尼崎市の常吉という地に来た新参者。

元々、農家の多い地域なので

どちらかというとよそ者だったのではないかなぁと思うのです。


が、祖父、そして父が

その地で、自営業を営み

住み続けてきました


私もそこで生まれ

こども時代を過ごしてきました



こどもの頃は

父がアルコール依存症で

いつも我が家は喧嘩ばかりしていたし

その声は隣近所には筒抜け


だから

私はいつもとても恥ずかしかった



『あの、柴田さんとこの子』って

思われたくなかった。

だから、挨拶とかもあまりしなかったと思うんです。

恥ずかしかったんです。


そして

『きっと、うちは村の人から嫌われているに違いない。』って思ってたんです。



だから

私はいつも下を向いて歩いている。

そんな気持ちでした。



でもね

お父さんがアル中でも

お付き合いしてくれる方がいました


いつも気にかけてくれる

お父さんを知るおじさんたち


なぜかいつも助けてもらえてるお父さん。



2年前

お父さんが亡くなった時

どれだけお父さんが

多くの方を大切にしてきたのかを知ったんです



嫌われるどころか

感謝されていたんですよね




お茶の間てんてんをするようになって

1年が過ぎ

私がここで

こんな風に活動させてもらえるのは

おじいちゃんの代

お父さん、お母さんたちが

この土地で一生懸命生きてくださったからなんだと

感謝でいっぱいになるのです



そして

毎月楽しみに来てくださる

おばあちゃんたちも

きっと

私が子供の頃

子ども会のお世話をしてくれたり

お祭りのお世話をしてくれたり

見守りをしてくださってたのだと思うんです



みんなができることをしてきた

それが

巡り巡って

誰かの支えになっていた




そしていま

私の生まれ育った地で

私の仲間が一緒に同じ思いで活動してくれていることのありがたさ。

仲間たちにとっては何の縁もゆかりも無いのに

わざわざ電車に乗って来てくれたり

朝の忙しい中できることだけって言いながら来てくれたり

感謝してもし尽くせない。



今、まさに

感謝の循環を

実感させてもらっています




もう一度

少し前の世の中でもいい


できたら

江戸時代の長屋のように


子どもちょっとみててーとか

しょうゆかしてーとか

洗濯物いれといたでーとか

これ、たくさん作ったから食べてーとか

あんたんとこの子、泣いてたでーとか

大根ようさん獲れたからあげるわぁとか

ちょっとしんどそうやな、寝ときーとか

雨漏り直しといたでーとか

ただ話聞いてもらうとか

ただ話したいこと話すとか

誰も会いたくないから今日はあけんといてーとか

勉強教えたるわーとか

あそこのおばちゃんの様子見てこよかーとか

あんたんとこ、昨日えらい夫婦喧嘩してたなぁとか



他人だけと家族のような

ちょっとおせっかいな

たまにめんどくさいけど

安心なような



そんな世の中に

もう少しでもいいから

戻ったら良いなぁと願っています



プライバシーはないけれど

心の栄養はある


1人で頑張らなくても大丈夫な世の中

人と比べなくても大丈夫な世の中

自分、人をを責めなくても良い世の中

自分のできることが誰かの助けになる

そんな感じ











そして

ひとりひとりの心が

なーんか満たされてる

なーんか幸せ

なーんか楽しい

なーんか生きるって良いなぁって



そんなふうに

生きられる人が

1人でも増えますように…



感謝