高校生の頃・・つまり今から50年くらい前のことだ
 
あの頃はインフルエンザも風邪もごっちゃまぜで検査なんかなかった
風邪が酷くなったらインフルエンザ、みたいな感覚(笑!)
「風邪くらいで休むな!」が普通だった
 
そのときは39.5°の熱があったけど根性で出席してた
三日、熱は続いたけど頑張った(笑!)
 
その夜・・
二時か三時か、そんな時間だったと思う
 
突然、肋骨が全部折れて肺に突き刺さった(ような)痛みで目が覚めた
あまりの激痛に呼吸できない
空気を吸うことができない
肋骨が肺に深く突き刺さる(ような痛みだ)からだ
指すら動かせない
動かしても大丈夫なのは目だけ
体中から汗が噴き出る
とにかく息を吸うことが出来ない
僅かに僅かに・・肺が膨らむことがないくらいの呼吸で・・
「虫の息」ってヤツかな?
当然、声も出せない
声を出すには空気を吸い込まなくてはならないからだ
 
なにか・・この状態でもできることは??
なにかないか?
 
思いついたのは「手当」
急には動かせないから僅かに僅かに手を胸へと・・
相当な時間をかけて「手当」できる位置に
ほんの少し気持ちが良い
15分はかかったと思う
 
そうだ・・仮死状態でいれば酸素をあまり必要としないだろう
僅かに入る酸素の分だけで十分かもしれない
 
布団が水浸し(汗浸し)になる
身体が火だるま
平清盛が高熱で亡くなったとか聞いたっけ?
こんな感じかな?
 
肋骨が刺さったままだけど・・
虫の息でも慣れてくる(助けも呼べないけど)
朝になったら起きてこない娘をたたき起こしに母が来るだろう
なんとかなるかな?
 
時計が視線の先にある
我ながら上手に位置を決めてたなあ、と、妙なことに感心する
今や目しか動かせないから、とても大切な事なのだ
 
2時間くらいたったとき・・
突然、楽になり始めた
肋骨が肺から抜けていく
 
少しずつ、少しずつ・・「吸える」ようになる・・・
 
起床時間には普通に戻った
急いで両親に大変だったことを伝えるが
何を言ってんだか理解できないみたい
「早よ、支度せえ!」と怒られ、学校に(笑!)
 
死にかけたと思うんだけどなあ
 
 
2度目は結婚してから
まだ普通に仕事をしている頃。
家事と仕事と・・疲労困憊で帰省したときだった
 
全く同じ症状
 
やはり2時間くらいで復活した
元気になったけど一応念のためにと、子供の頃からお世話になってた医院へ行く
 
ビックリした先生、レントゲンを撮る
 
「一刻を争う!日赤に電話したから、これ(レントゲン)持ってすぐ行け!」
「え?でももう治りましたよ。治ったから来れたのに」
「これ見ろ!肺が真っ白!なんにも写ってない!」
(四分の一くらいは写ってるけどなあ)
「肺炎じゃ!死んでしまう!」
「?」
 
・・と・・大騒ぎで日赤へ
 
すでにベッドもあけて待っていてくれた
再度レントゲン
 
診察室で先生はレントゲンを見比べながら何も言わない
しびれをきらし
「あの~?」
「・・・どうしよう・・・」
「え?」
「持ってきてくれたレントゲンは肺がほとんど機能してないです。これ、死んじゃいますよ。死んでて普通ですよ。でも、今、撮ったのは・・異常が全くないんですよ」
「え?」
「どうしましょう?ベッドも用意してるし入院しますか?年末ですし。でも入院されても何もすることがないんです。その方が安心なら入院して下さい。帰って家で養生されるなら、ベッドは正月明けまで空けておきますから、少しでも息苦しくなったら直ぐに来て下さい」
 
結局、そのまま元気になったんだけど・・
肺炎、もうなりたくない