あ、の着くラッキーフード

食べました。


あ、んぱんと、

あ、るふぉーと。


アルフォート、来年なくなるなんて

話をTikTokで見たんですが

ほんとなんだろうか?



今は亡き親友が、亡くなるちょっと前の時期に、

アルフォートと小枝が美味しくて

よく食べてると話してて

葬儀の時はそれを買って持って行きました。


7/2が命日で、

もう20ねんくらい経ちそうになってますが

今だに忘れることはないですし、

7/2は思い出しています。


困った時になんでも相談していたので

彼女がいなくなってから、

私は相談をしなくなったような。

一部はするけど

全部はしてないです。


彼女が最後に電話したのは

わたしだったので

弱々しい声の電話を受けた時

(鬱だったので、その当時の電話の声は弱々しかった)

異変を感じて

京都に行けば良かったと思いました。


あの時行動してれば

親友は生きてたかもしれない。

20代は罪の意識が酷く

恋愛とかしちゃいけないと思い

恋人を作る事ができませんでした。


私が殺してしまったようなものだと

思い

ずっとがんじがらめになっていたのですが

スピリチュアルな世界にまた触れるようになり

自分の魂がズタボロになっているのに気づいて

少しづつ、魂の手当てをしてきたように

思います。


残念ながら歳は取っていたので、

さて、そろそろ恋人でも作るか

と思った時には

もう若くもなく😂

太ってしまい😂

当たって砕けまくってました😇


自分が死んだら、親友にお土産話を

沢山しようと思っているんですが

話し切れるか分からないくらいの

お土産話が既にできていて

これからもきっと、色々あるでしょう。


七夕に、会いたい人に会えるなら

親友に会いたいな。

会って話をしたい。


大事なひとと、

会って話ができると言うことは

とても大事な事なんだなと思う。


おばあちゃんになって、

縁側のある家で

縁側で茶飲み話をしようと

「私は歳を取ったら

意地悪ばあさんになりたい」って

言ってたなぁ。


私一人が、おばあさんに

なってしまうのかもしれない。

でも、お迎えの時は、

育ててきた猫たちと、親友が

来てくれるに違いないと思っています。


あー会いたいなぁ。話がしたい。

こんなどうしようもない日は

彼女に話がしたくなります。

彼女は今の私を見ても

がっかりしないでいてくれる気がする。


(たぶん)😂


亡くなった人に会いたがってばかりいないで

いま生きてる人に会うようにしないとなって

思います。

亡くなった人には、死んでからでも多分会える。


生きているだけで受け止めてくれていた

存在に会いたいなと思うのは

生きているだけでいい事を

自分が許せない時期なのかもしれない。


何かしなきゃと、焦っているのかもしれない。

今日出た易は、実は、


火雷噬嗑(からいぜいこう)

「焦らずゆっくり」


実は就活の本命の2次面接に落ちまして 

受けたところは全部落ちて

さてどうしますかなぁ

と言うところでもあります。


神様は、

「焦らずゆっくり」

を示してますので、

まぁ焦らんで行くのがいいかなと

思っています。


今生きている人たちや猫たちとの時間を大切に

ゆっくりだけど進んで行けたらいいなと思います。



あっという間にすぐに湧く🎶