私は生きているだけで素晴らしい。

そう、当たり前に思えることができたら

自己肯定感は揺るぎなく、

全ての霧も靄も

吹き飛ぶような気がしました。

デブであることより、
デブであっても、
自分を愛しむことが
できるかどうか、(それをするかどうか)

なのかな。

自己肯定感、無い人にとっては
それを何度も失敗しながらも手に取って
扱い辛くて、苦戦して、
それが簡単にできなくて、
自分の声が遠くって遠くって
ほんとうに骨が折れる自己ですよ。

自分がやりたいこと、心地よいことに
耳を傾けるのを癖にすると
自分が本当に望んでいる事の声が
ちょっと聞こえるようになるかも。
快を選択するって抑圧が酷すぎると
快適すら選べない。

私はまだまだ快選びが下手くそです。

今日は仕事と仕事の合間に
モーニングを食べたのですが、
選ぶ場面で、
安いかどうかを気にしてしまうのです。

今日は、
食べたいものかどうか、を頭に置いて選択してみました。

結果、美味しくいただけただけなんですが笑
あーわたし、いつも食べたいかどうかより
安いかどうかで選んでるかも。
と思ったのでした。
自分ではすっかり、
食べたいものを選んでる"つもり"になっていた。

こういう選択一つ一つで未来が変わってくるんだろうね。
最近リゼロ見てるので、余計に未来ー、とか、選択ー、とか敏感になりました
(アニメの影響笑い泣き笑い泣き笑い泣き

自分を変えたいのは環境より己だというのは
割とよく聞くような気がします。
転職するより今の職場で切り抜けることを考えるとか
(過労死レベルの環境とか、ひどいパワハラセクハラはきちんと届出をして、やめて良いと思う)
今の自分の家でどうするのかとか、
転職などをする前にまだできることはないか
一回考えるのは本当アリだと思う。



大事な気がしたのでリブログします。