生きる活動・・
前に住んでた一戸建て、近所に家が建ち、その住人との不和。
もう25年も住んでいるのに、新築した家の新しい住人たちからの罵声。
何も言ってないのに、それこそ、挨拶に来るのが普通だろうに、来てすぐに罵倒された。
私の台所の外に菌培養の肥料作りの発砲スチロールの肥料がニオイがする、とのこと。
知人と、私の家の周りを歩いていて、そうそう、この箱が臭うって文句言われてさ~~と私が訴えたら
「???」
その知人はその箱の横に立ち、言い放った。
「なにも臭わないけど??どこが??」
「ここにいて臭わないのに、あの家・・・いつも窓締め切ってて、どうやって臭うのだろう??」
もっと新しい家の若い嫁はいつも子供を口汚くののしり怒鳴っていて、息子が顔をしかめた。
まあ、育児でギリギリなんでしょうよ、と私は黙ってた。
するとある日、私に罵声を浴びせた。
聞こえるように、聞いているんでしょ?とあからさまな宣戦布告!!
聞きたくないですけどね、聞こえるんですよ、でもそれを私は公言してませんし、どこにも言ってませんよ?
とにかく私はひきこもっていました。
時々来る孫の他、あまり交友も持たない、子供の友人関係とかならありましたが。
とても心が傷つく出来事があって、交友を避けてる時期でした。
ひたすらPCで事実を検索したり、情報集めをしたり、考え事ばかりしていました。
そういう時期にいろんなことがあり、私は家を出ることになりました。
そして沖縄へ来ました。
もう書き連ねることが辛い、悲しい、心がズタズタになるような出来事がいっぱい。
私がしたこと、できなかったこと、それらはなんの意味があったのか、これからわかると思います。
伏線があった、でもまだ書くことができないでいます。
いずれ、年月がたち、もういいかな?と心が解けてきたら・・書くこともあるでしょうけれど。
まだ、思い出すと涙が滲んで、悔し涙と辛さに胸が締め付けられて。
大事な大好きな人との死別、どうにもできなかった事実、忘れようともがいた日々。
どうにもならないことがどんどん起きて、私は弾かれるように沖縄へ押し出されて行きました。
これが神様のなさることなのか・・・・
自分を救えるのは自分だけ。
心はウソもフタもできない、あるがままを受け入れる、そこが茨の地ならば去るしかないでしょう。
私はまだ泣いていないのかも。
号泣すればスッキリするでしょう。
大事な人との別れ、罵倒される日々、それらからの退却、新天地での生活、なにがどうなるのか、まったくわからないまま、導かれるまま、流されて。。。
とにかくいろんな状況から私は沖縄へ行くように天命を下されました。
沖縄のユタ(霊能者)からも
「あなたは沖縄の人を癒すために来ました」と言われました。
それ以外にも何度も・・・いろんな人から・・・
「あなた、呼ばれてるわよ」
ここに来たのも意味があって、そのために事件があり、逃げるように、選択してきたのが沖縄なんだと・・・ここに何があるのでしょうか??
わかりません。
自分の役目ややり方がわかりません。
今は充電期間。
私の心が癒されています、それはわかります。
そして他の地へいくのだそうです(ユタ)
またまた、去年、大事件があり、私は導かれるように引っ越しをして沖縄中部から南部へ来ました。
戦跡や拝みどころやグスクと言われる遺跡もあります。
今は大自然と海に癒されまくりの日々。
ボロボロの心がやがて復元されて・・元のアホな私に戻るのはいつのことでしょう。
何も考えず、ただ楽しくて、面白くてウキウキの日々・・・そんな日々に戻りたいですね。
子供の頃のように。
なんの悩みも無い、朝起きたら、ひたすら遊びで毎日が発見と初見。
明日がどっちなのか?知らんわーー!!
その日のお弁当だけ持って浮き輪を持って海に浮かんで青い空と青い海、極上です!!
その沖縄を人々に紹介すること、沖縄の楽しみ方を広めること。
私にはまだまだ仕事が残っているのでしょう・・・
私自身が迷い、悲しみ、悩みの1年がすぎて、今はコロナ騒動で、事態は急変。
またまた環境も生活も変わりつつあります。
ただ、長く生きて、経験と知識はサル並みにあるので、ココは危険・・とかコレは食べていいものとか、わかりますが、おおよそは全然わかってないので、フラフラ旅人の気分です。
青い海の美しさに心躍りますが、足元には不発弾が。米軍の残した戦争の傷が。
どちらも沖縄。
そして琉球。
すべての涙も流してしまう海、悩みを書いても消し去る青い空。
荒れ狂って反省を求める海、風とともにすべて消えてしまう空。
竜神と風水が根にあり、織りなす煩悩と気概とあきらめ。
真摯さと煩悩と・・・少々の決意。
癒されまくってます!!
自然は素晴らしいですよ!!