6月10日に私が書いた父の記録
私が残しておきたいものなので。スルーしてもらって大丈夫です。

ちょうど1年前 肺がんで肺の一部を切除。
呼吸のリハビリでようやく落ち着いた年末。
血液検査で腎臓の数値が高く腎臓内科→泌尿器科→膀胱がんが発覚。

年明け 内視鏡でがんを切除するも進行していて取りきれず。

全摘を父が望まなかったので、抗がん剤を2クール。
しかし がんはまだ消えていない。

放射線をするか 全摘をするか、決めないといけない。
放射線は体力的にも大変で、毎日、病院に通って当てないといけない。違う痛みを伴うらしい。
この時点で 父の頻尿は酷く眠れなくて痛みもかなり強かった。

父は全摘をきめた。
全摘をしたくないのは 小倉さんも書いてありましたが。
知らない方も多いと思いますが。
膀胱以外に前立腺、精嚢も全てなくなります。
女性の場合は子宮、膣の一部も切除しないといけません。
やっぱり オペの決断は相当いります。

そして、一生にわたり ストーマ(尿を溜める袋)をつけなればなりません。
高齢者だとなかなか自分ではできなくなることも多く訪問看護が必要になってきます。
いろんなことを考えてしまうけど。
でも痛みがあまりにも酷くなり、全摘を希望。
オペ日も決まり、その日を待っていましたが。
ゴールデンウィーク中に高熱の発熱。
先生がいてないので診察してもらえず。
やっと診てもらえたけど、抗菌剤と解熱剤で様子見。なかなか下がらない。何度か通院して点滴でようやく落ち着いた。
しかし…入院当日に発熱…

腎臓の数値が上がってしまいオペは中止。しかしこのままでは自宅に戻るのは危険なので治療のため 入院。

入院してからも数値は下がることはなく微熱が続き。
まずは左の腎臓に直接背中から管をいれて尿を抜く処置をする。
しかし炎症は止まらない。
今度は右の腎臓にも管をいれようやく炎症数値がさがった。

入院して 約2週間後にオペの予約がとれていたのでそれに向けてなんとか頑張って。ようやく…という前日。

シャワーの時に管が何かに引っかかって管が抜けてしまい大量出血で 輸血に追われて…
前日には輸血でアレルギー反応がでるトラブルも…

なんでこんなに上手くいかないんだろう。と私もメンタルがズタボロになりつつも…

なんとかオペできることを祈るしかなかった。
ダビンチという機械でのオペなので、なかなか急に機械があいてることもないし、チームを組んでオペなので、準備も大変らしく…いきなり じゃあ、明日します!とかはできないオペで…

不安に押しつぶされそうになりつつ。
朝を迎え。7時に病院から電話がかかってきてオペできると。

本当にホッとした。

私は母のそばにいるため支度をして実家へ。その実家に向かうとこにあった可愛く剪定された植木を写真におさめた。

私自身も手のオペをしたところで 本調子ではなく 身体も疲れきってたので 本当にしんどかったけど…
気持ちを奮い立たせて実家へ向かう時に出会ったこの植木には心がほぐれて優しい気持ちになれました。

父のオペは10時間ぐらいかかり、無事に一番いい方法でストーマがつけれたと連絡がありました。

これから いろいろな手続きに加えて、まだ抗がん剤も続くかもなので。
通院の付き添いや介助。
母の介助と通院付き添い。
負担はしばらく続くんだろう。って思っています。

終わりはみえなくて しんどい時もあるけど。
でも、私達の親の世代は 色々な事に直面してるのは私だけではないし、みんな大変な思いをかかえて頑張ってる。

私もくじけずに一つずつこなして行くように。あまり先々の事は考えないようにして。
一歩一歩 進んでいこうと。

まずは 父が無事に退院してくれること。

今日は朝からしっかりした声が聞けた。
本当に父はとても強い人だ。
3回目のがんを乗り越えて。
前向きに生きる選択をした。

お父さん。ありがとう!
家族みんな元気に戻ってきてくれるのを待ってるからね。


そして、ここからは今日 書いた記録。

オペも無事に終わり リハビリにうつる頃。
手足に湿疹ができはじめ 大きな水泡になり。
これはおかしいと組織検査をしたら 自己免疫が暴走することによって 水泡ができるという難病になってしまう。

足のかかとがひどく 水泡が破れて出血を繰り返し 歩けなくなる。
ステロイド治療が始まるが かなり酷くてどんどん動けなくなっていく。

父の声がほとんど出なくなってきていて 言ってることも記憶が曖昧になってきていた。

ようやく リハビリが出来る病院がみつかりそうだった矢先。

父は突然 私達の元から去っていってしまいました。

私だけ 病室で 父と対面しました。
入院してから10キロも痩せてしまい、本当にこの半年間 痛みと手術とそして予想もしていなかった皮膚の水泡。
耐え抜いてきたけど、父も限界がきてしまったんだろう。と思いました。

私は父への感謝を伝えて。
みんなでありがとうと見送って欲しい。と甥っ子達や子供達に話しました。

今のご時世、親戚もたくさん来てもらったりはできないので、時間をわけてきてもらい 父が自宅に帰りたい。ってずっと行ってたので、2日間 自宅に戻ることができました。
その間に 親戚がきてくれて お線香あげてくれて。
色々話しをさせてもらったり。
お通夜前に来てもらって 話たり。

コロナさえなければ…と何度思ったことか…

妹の旦那さんが濃厚接触者になってしまい、妹は参列できるかも 微妙な状態ではあったけど なんとか一緒に見送ることができました。

悲しくないわけではもちろんないけど…
でも こんなに頑張り続けてくれた父は 私にとって自慢の父で誇りです。

お父さん、本当にありがとうね。
お父さんの娘で良かった。

 7月23日