みなさん、それぞれに生い立ちがありますよね。
アダルトチルドレンの方は、もう思い出したくもないかもしれません。
中には、あまりにも辛い生い立ちだったため
思い出そうとしても思い出せない方もいるかと思います。
わたしも、そうでした。
子どもの頃の記憶が、ほとんどなかったのです。
残っている記憶も、辛い記憶ばかりで
たのしいことや、はしゃいでいたことも
最後には怒られたと言う記憶しか出てきませんでした。
思い出すたびに、心が痛くて悲しくて
寂しい・つらい・かなしい気持ちいっぱいで
アダルトチルドレンとして大人になったわたし。
当然のように、親を恨み
生活が苦しいほどの借金・とまらない買い物依存
モラハラ夫のこれまたとまらない暴言と無視
かわいい子どもの障害・トドメは2度の離婚!!!
自己肯定感は海の底。
(きょえーーー)
ですが!
【親ブロック】を外したら!!!
🎄否定・説教・ダメ出し・ヒステリー命の憎き母親から「みかは今のまま全部がいい」と全肯定されるように
🎄時給1000円のホームヘルパーから月収7桁に
🎄ドイツ車をキャッシュで購入
🎄不登校だった娘が再び登校するように
🎄場面緘黙症の娘が勇気をだして挨拶をするように
🎄いつまでも親に甘えてお金を貸してと言っていた息子が、自立して飲食店2店舗の店長を務めながら、凄腕社長と共に企業系YouTuberに華麗に転身
🎄買い物依存症から本当に欲しいものだけを買えるように
🎄自己否定・自分責めからの卒業
🎄自己肯定感が海の底でも自己受容ができるようになり「わたし最高!」と思えるように
そうなのです!
わたしの劇的な変化にとどまらず
大切な子どもたちの内面も現実も180度ぐるりと変わってきたのです!
自己肯定感を上げたりACを克服しなくても
幸せになる方法はあるのです
(プロフィールのお写真変えました♡)
カウンセラーの菅谷みかです
ここからは、改めましての自己紹介として
アダルトチルドレンとして育ったわたしの話を聞いてください。
辛い体験の中に、わたしの使命がしっかりと組み込まれていたことも、お伝えできればと思います。
わたしは、5歳の時に父の浮気が原因で両親が離婚をしたことをきっかけに、人生が過酷なものに変わっていきました。
飲食店を経営する母親は、朝も早くから夜も遅くまで不在で、一緒にいられる時間も感情の起伏が激しい母に怯える始末。留守番を一緒にしている兄からも日常的に暴力。
ある日、突然あらわれた新しい父
そして母と兄の3人は一緒に暮らすこととなり
わたしは1人、祖母の家に預けられました。
幼いながらに「あ、わたし、捨てられたんだな」と感じました。
その祖母宅では、叔父がアル中の酒乱で包丁をもって暴れ、さらに酔った叔父は、わたしの母を呼び出してはわたしの目の前で母を怒鳴り責める。
母が泣き、叔父が包丁を持っている姿は、今も忘れることができません。
わたしにとって子ども時代は、愛を感じ健やかに心を育てられる環境はなく、毎日が恐怖そのものだったのです。
甘えることを知らない子どもになりました。
そして思春期になったわたしは
今までの感情が大爆発して非行に走ったのですね。
何度も家出をし、命の危険もあるようなことまでしました。
そして、問題行動を繰り返すわたしは
2年間、児童自立支援施設(開放型の少年院のような施設です)に強制入所させられました。
その施設には、わたしのような
過酷な家庭環境で育っている子どもたちばかりが入所していて、親が面会にこない子もいました。
施設では毎年クリスマスになると
メリークリスマスと書かれた、大きな板チョコが1人に1枚プレゼントされてました。
そのチョコレートは、市販されている板チョコの3倍はある大きなチョコレートで、クリスマスを楽しんだ経験がないわたしにとって、とても嬉しいプレゼントでした。
大人になって不思議と、その大きなチョコのことを度々思い出すようになりました。
なぜだろう?
今のわたしは、チョコレート以上のプレゼントをもらっているし、クリスマスを盛大に楽しむことだってできている。
なのに、どうして何度も思い出すのだろうと考えました。
わたしには、その施設で知り合った同い年の女の子がいました。
施設で寝食を共にし、またテニスのペアとして毎日、一緒にコートに立って練習をした仲間です。
ケンカも数えきれないほどしました。
だけど最後には仲直りして笑ってる。
悪口を言い合ってボロカスに言うけど、でも気持ちはわかり合える。そんな仲間でした。
その子は、父親の暴力に加え、新しい母親に馴染めず
わたしと同じように問題行動を繰り返して小学生の頃から入所していた子でした。
他の子の親が、月に一度面会に訪れても、その子の親は一度も面会に来ることはありませんでした。
その子は、毎年そのクリスマスの大きなチョコレートを楽しみにしていました。
そして、毎日少しずつ大切に大切に食べていました。
クリスマスの大きなチョコレートには、
毎年それを寄付してくださった方々の
温かい思いが込められていたのです。
親と過ごすことができない
寂しい思いをしている子どもたちに、大きなチョコレートを贈り少しでも喜んでもらえたら。
そんな温かい気持ちが込められたチョコレートだったのです。
結局その女の子は、わたしが息子を出産した頃
21歳で自らこの世を去りました。
わたしは50代を迎え
人生の後半に差し掛かった今
その子や、クリスマスのチョコレートのことを思い出しては
わたしに、何ができるのだろう?と考えました。
わたしも施設にチョコレートを贈る?
それもいい。
それもいい、だけどもっと出来ることがあるんじゃないか?
と考えたとき
幸せな子どもを増やしたいのなら
幸せな女性・お母さんが1人でも増える活動をしていったらいい。
幸せな女性・お母さんが増えると
子どもたちも同じように安心して幸せに成長していける。
そう思ったのです。
アダルトチルドレンとして自己肯定感ゼロで育ったわたしだからこそ、みなさんのお悩みや問題の解決・生きづらさを解消していけるのだと思っています。
人生の後半、自分の命を何に使っていくのか?
ここにきて、辛い体験がわたしの新たな使命につながって、スイッチが押されたので、自分を信じて覚悟を持って活動していきます
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ではでは、菅谷みかでした