私の不登校 昔 母から言われた言葉 |  なんとかなるさ

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川の流れのように

こんにちは。
子間宮みかです。






私自身が小学生のときに
先生からパワハラを受け、
円形脱毛症で髪が抜けたり、
朝、下痢になっても
母親は先生に怒られるのも
私が悪いと決め付け
休むことを許してはくれなかったことが
ありました。


当時は苦しくて辛くて
消えていなくなれたら
どんなに良いだろうか、
と思っていました。



この気持ちを母が
わかってくれない苦しさや、
いつも私が悪くて居るだけで
罪悪感を感じて
生まれてきてごめんなさい
と生きているのが辛かったです。



中学生の時は自己主張もせず、
目立たないように
人から存在を触られないように
静かにしていました。



高校生になってからは、
道を外した私。
そんな私に母は
「あんなに良い子だったのに」
と言いました。


感情を押さえつけ
言いなりになる子が良い子だったんだよ!
私のこと何も分かってない!と
怒りを覚えました。



そして不登校になり、
過食症にもなりましたが、
母の学校に行きなさい!の罵倒の日々は
死にたいくらいのノイローゼになり
追い詰められました。




愛情飢餓と孤独感から
抜け出したいという気持ちは
大人になっても
癒えることはありませんでした。




まだ愛着障害や親子問題など、
身近に本で解決策を扱っていたり、
気持ちを汲む人がいる、
などなかった時代です。



後に自分がこんな風になったのは、
愛情が感じられずに育って、
自信がないからだ。
など親に訴えたならば、
「あのときはごめんね」
と言ってもらえたとしたら私は
自分の足で立ち上がれるようになるのでは?
と、


あのときはこんな気持ちだった、
あのときもこんな気持ちだった、
と母にぶつけました。


けれども


「育ててもらって恩を仇で返して💢」
「お前が自分に自信をつけることをしないで、
人のせいにばかりして💢」
と言い、


私「自分の人生は自分で選びながら
生きたいのに、お母さんがすべてレールを
敷いて決めて言うことを聞かないと
怒っていた!」
と言うと、
母「親は子供が二十歳までのレールを
敷くのは当たり前でしょ!」
とまったくわかり会えない、
一ミリも気持ちを汲んではくれませんでした




そして高校の時の不登校のことも、
過去の事を親に訴えることも、

「お前が親になった時に
同じ思いをすれば分かる」

と、その当時の母は言いました。




・・・・・



そして今、子供は不登校。 
行きたくない気持ちを理解し
子供が自分の人生を自分で歩く気持ちを
大事にすることを見守れて、
ベッタリではないけれど仲良しで
子供が自分の人生を生きることを応援出来て



超絶幸せなんですけどー❤
お母ちゃん(私)を選んで
生まれてきてくれて
ありがとー💖
と思っていますほっこり





でも母のことも
不登校の時のことも
今となっては
心の深いところ、魂の学びを
させてもらっていたんだと
思っています。



そして子供には、
私(娘たち)は私の人生を
僕は僕の人生を歩く。
ママは私(娘たち)や僕の人生は
歩けないんだよ、
だから信頼して見守って。
って教えてもらっているように
感じます。


存在することで
すでに愛をもらい、
心があったかい💖ことを
教えてもらいました。


この世に生まれてきて幸せで薔薇










今日もお読み頂き
ありがとうございました*花*






皆さんに喜び幸せが
たくさん愛とともに降り注ぎますようにハート








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