
月のお礼参りに氏神さまのところへ
ご挨拶に行ってきました。
3月の14日(土日)~心理学コースに月一で
5ヶ月通います。
今までパカーンは何度も何度も
カウンセラーさん達によって経験させて
もらいました。
けれど玉葱の皮のように
剥いても剥いても
自由な私に辿り着かない。
母のことは、理解できた。
けれどそこまでに到達するまでに見た
恐怖の景色を払拭できないのかなぁ。
恐怖=人へ心を開けない自分への落胆
今までの辛い出来事や
霊的な出来事。
小学校時代、
先生からのいじめ・円形脱毛症や、
早朝登校時の変質者に会ったことを
校長先生に事情を聞かれたが
下半身を見せられたと言うのが恥ずかしく、しどろもどろになってたら
虚偽と疑われたり。
一人の同学年の男子にいじめられたり、
女子特有のドロドロした世界になじめなかったり。
言いたい事を言えない家庭と外の世界
母の「弱音を吐かない」ボジティブな
生き方は、優位に立つことが目に見える
結果だった。
そのことで、休みたい慰めてほしい味方になってほしい辛さをわかってほしい守ってほしい愛してほしい・・・
という気持ちは、ないことにされていた。
愛されてないと悪いこともした。
17才に訳がわからなくなり、
過食症になり不登校になり大人達は
親不孝だなぜ悲しませると責め世間一般の人並みにもどらせようと必死だった。
ぼろ雑巾のようになりながら
一時学校に戻り、商業簿記、工業簿記の
資格を取った。正確に言うと怖い先生にどやされながら取った。
親戚の会社経営をしている叔父さんが
家に来たときに褒めてくれたが
頭も心も空っぽで心の虚しさだけが浮きたった。
その後やはり苦痛でしかない生活に私は
頑なに登校を拒みその後退学した。
引きこもりをその後も続け、誰もいない
家の中で母に対する怒りがこみ上げた。
この怒りを外に出さないと、いつか
母を殺してしまうとどうにもならない程の突き上げる憎しみ
母のタンスを開け、私が昔、父と買い物に行き母の日に贈ったブラウスを
ハサミで切り裂いた。何度も何度も
粉々なになるまで切り裂いた。
そのハサミでいっそのこと
自分を突き刺したいと思ったが出来なかった。
そして母という存在を私から消したい
ようにほとんどの服を気を発狂させながら
切り裂いた。
そうすることでしか
その時はその気持ちをどうすることも
できなかった。
その後も過食な日々が続き、生きることが辛く未来に希望なんかまったくなく
絶望しか見えなかった時に
膝を抱えて真っ暗な心の暗闇の中にいた。
そして神様を信仰してないころ、
はじめて、神様がいるのなら、どうして
私はこんななんだと教えてほしいと
本気で祈った。
そうしたら心の暗闇の底から
「愛がほしい」
と一言だけ浮かんできた。
その言葉にびっくりした。
「愛が・・・ほしい?」
そうか愛が
ほしいから
私はこんななんだ
とそうなんだ、うん うん
と自分をよしよしするように膝を抱き締めてわんわん泣いた。
大人達は親不孝だと責めるだけで
誰も助けてはくれなかった。
私はそんな存在だった。
今、
母との確執も理解しても変わらないのは
きっともう母に対してのことじゃないと
思う。
外の世界に対する私自身の心構えに
幻滅している。
心の
開きかた
教えてほしい
小野美由紀さんの傷口から人生。を
読んで、親や世間から与えられた
ものさしを当てていく人、
勝手に当てて比べて勝ち誇ったように
去って行く人・・・
たぶんそんなのをヒシヒシと感じて
私自身が世間のものさしを当てられる人
と思っているんだろう。
ものさしの比べあいを自分の心に鈍感になり、憤慨しながらやりあってるほうが
幸せに見えさえする。
霊的な出来事
二十歳頃、誰かに導かれていると車を走らせたら一度も行ったことのない箱根神社の駐車場にスポッと入ったり、
事故で人を殺めてしまった友人を車に乗せているときに餓鬼に噛まれ、神様に祈り
力を借りて摘まんで放り捨てたり、
恩人が亡くなったと連絡が来る前に
観音様ご一行様が空から迎えに降りていくのを見せられたり
寺院に祀られてる達磨様がニコーッと微笑んでくれたり
龍神様が雲の姿で現れてくれたり
人の世界だけでない世界も知った。
第三者に対し「こういう病気にかかる」と
ふとよぎり、何ヵ月後かにそんな話が耳に入ったり、
「ここで人が亡くなる」と一見あり得ないところに起こるとよぎり、
まさかこんなところで!と相手にしなかったら数ヵ月後に本当におきたり・・・
これらは最近まで分かる能力があると
認めるだけで良かったのかもしれない
けれど、私がそう思ったからそうなって
しまった?死神様を感じたことがあるから
?と半分自分を忌み嫌ってしまっていた。
思うことが怖かった。考えることが
罪だと思っていた。
自分自身が自分でどんな人間なのか
今もわからない。
今までの試練?中途半端な霊的な能力、
こっちに行きたい、こういう風に生きたいと望んでも選択を霊的なだれかに決められてしまうこともあり、私には自分で自分の道を決める権利もないのかー!と怒りが
込み上げるときも多々あった。
子供たちが悲しむのは嫌だから
「もう苦しむだけなら、神の手で子供達の心が痛まない(自死や誰かを恨まない)ような死にかたで殺してくれ!!」
と頭の中で発狂する時もあった。
だけんど
神様に祈らずに
感謝せずには
生きられない
その道しか
ない。
悔しいけれど
その道しかないの。
試練や境遇
私の今までの見てきた見方が
数ヵ月で変わるのだろうか、
また試練だらけの道を歩まされるだけ
ではないのか
引き寄せの法則では生きられない
何かがある。
今、すごく自分の人生に対して
不安です。

毘沙門天の地下にある神様巡り?の出口にあった言葉。
頼むよ神様~(´Д`)