自由ヶ丘へ |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

今日は自由ヶ丘へ
心屋さんのカウンセラー
とも花さんのランチ会に行ってきました。




こんばんはmika ☆ ですニコニコ


とも花さんの
読者登録1000人記念プレゼント
で当選し参加させてもらいました音譜


ここのところドヨーンとしていて
流されるままに過ごしていたのですが
ライヴで話を聞いてもらうと
気づきのアドバイスをもらえるので
どっこいしょと重い腰をあげて
出掛けました。



とも花さんの印象・・・
「綺麗なお姉さんがママになった」
ような感じでしたラブラブ
ブログのプロフィール写真の印象では
失礼ながらキャピキャピ明るい印象が
あったのですが、
しっとり落ち着いた綺麗なお姉さん
でしたラブラブ他の方のアドバイスをされてる横顔を綺麗だな~と見とれてました。




母の事が理解できなかったけれど
少しづつ想像で理解が出来、
でもだからと言って
受け入れられないような未解決の
モヤモヤが苦しくて


かなり長い時間話をしてもらって
母と私、どちらも「わかってほしい人」で

母の「弱音を吐かない」をわかったけれど
そこから来る人間性をうけいれたくない!


母の
・子供の人生のレールは親が敷いていく
子供はそれを走ればいい の言葉

・私が小4の時に教育委員会の
お偉いさんを身内にもつパワハラ先生が
担任として赴任して、オドオドしている弱い子が標的になり、私も標的になり
円形脱毛症になり朝になるとお腹をくだし
学校に行きたくない!と泣いて母に
懇願したけれど、許されなかった。
怒鳴られ叩かれ無理に行かされた。
(母は円形脱毛症の事も知っていた)

・私が20代の時に、
車に跳ねられ亡くなったたおばあさん
のニュースを見て
「良い死に方だね~」と。
「えっ!?」と聞くと
「遺族にお金が入るから良い死に方」と。




・・・他の良いところはあるんだけど
受け入れられない出来事・価値観・人間性ばかりがクローズアップされ
そこは理解したくない
とこだわっていた。



そして私は私で、私の価値観で
「たとえば、何が出来なくても、欝に
なったとしても、孤独でも・・・
ありのままの私の存在、存在しているだけで良いを受け入れてほしい。」
それをわかってほしい。

だったけど、それを伝えたら
「自死した弟二人(私の叔父さん)の事と
mikaが心を痛めて育った事、背負って
生きて行きます 」

と返事が来た。(一年ちょっと前)

つまり、私とは向き合いませんと
振られたわけです。その後色々あり絶縁。





その事をとも花さんに聞いてもらい、
やっぱりそんな母の事を受け入れられない
とそこでいつもストップして進めなかった
のですが、


とも花さん
「ありのままの自分を受け入れて
欲しかったように、
お母さんも『車に跳ねられたおばあさんが良い死に方』と言うお母さんも
そのままを受け入れてほしい
ってことなんじゃない?

えっ!!


まるで電撃が流れるような衝撃!

上に挙げたことは残念だけど
そういう母をそのまま受け入れるんだ

した事じゃなく、存在を。




それは私が良い悪いでdoing を
ジャッジしていたこと。

母も母である前に大袈裟に言うと
宇宙家族の一人なんだ!

と、Being を受け入れる大きな
大きな気づきでしたアップ虹


きっとこのとも花さんが気付かせてくれた
気付きは今後の私の基盤になると
思いますコスモス



とも花さん、ありがとうございましたラブラブ!