感受性 |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

自分の感受性のうねりに
車酔い・船酔いならぬ
感受性酔いになってしまいそうな
Mika ☆ です(;^ω^A



この前、図書館に行ったとき
特設スペースに詩人の
吉野 弘 さんの
特集が設けてありました。


「米寿を目前に控えた2014年(平成26年)
肺炎のため静岡県富士市の自宅で死去。87歳没。」


同じ富士市に住んでいたとは
知りませんでしたクローバー

吉野さんの詩で好きなのがこちら。



虹吉野 弘
「虹の足」    



雨があがって
雲間から
       
乾麺みたいに真直な
陽差しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、
虹の足を。

眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!

その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽりと抱かれて染められていたのだ。

それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。

―――おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。

多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。

そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが―――。

 
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最近、こんな感情のうねりの中、
また勝手に「独り」になっていました。
食事に行こうと連絡がきても
仲良くしてくれる人がいても
その他のぎこちない人達との空間に
私のほぼすべてが
「どうせ心をひらけない
と今までの総人生の結果がこれだよ
とそこしか見えませんでした。

でも吉野さんの詩のように
「他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが」

幸せを見ないとね
と思い直させてもらえた詩でした。


それから大好きな茨木のりこさんの詩。
ピリッと自分に渇を
入れてもらいます(^▽^;)




虹茨木のりこ

「自分の感受性くらい」   



ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


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鼻の奥がツーンと来るこの詩。
茨木さんが自身に向かって
書かれた詩だと思うのですが
この詩を読むと自分の甘えた心を
見透かされたようで
武者震いします。たぶん私自身が
拗ねたり独りになる方が楽と知ってて
そうしていること、それを戒められたと
心が気付くんでしょう。



まぁ独りになりたい時もありますわね。
でもこういう詩を思い出すってことは
もうそろそろ拗ねゴッコ辞めて
歩き出そうか、と飽きてきたときかも
しれないですヽ((◎д◎ ))ゝ